パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

見続けると人となりが見えてくる

2019年07月10日 09時11分52秒 | あれこれ考えること

人は長く話すと性格や人格が垣間見える
だが初対面の相手は大きく見えたり自分より優れているかのように思う
名の知られた人に対してはその肩書や情報によって、つい無条件に
信頼すべき人のように思ってしまう

ところが我が国の首相のあの人物
付き合いが長くなっているので無条件に尊敬に値する人物とは思えなくなってきている
むしろ、彼のアラが見えてきている
国会での質問への長々と関係のないことを話すこと
自分で野次を飛ばしておきながら、相手がやじるとムキになって非難する
直近の選挙絡みでは、笑いを取るために「民主党の枝野さん、、名前がコロコロ変わるから覚えられない」
と批判する
自民党総裁でありながら自民党が行ったトンデモ本の配布を知らなかったり、読んでないという
意気込みは気負って言うが結果責任としての政治上の成果は出していない(北朝鮮との対話、拉致被害者、北方領土)
統計においても、統計はユーザーの目的によって  云々と官僚が述べているが、野党が別の視点からその統計の数字を
持ち出すと一切受けつけず、自分たちの数字のみが正しいものと言い張る
そして不安を煽るのは、その人間性(最終的な判断を下す元となる)が信用できないということ

これらはまるっきり反対の心酔者も存在するから、一面的な見方と言えるが
ただ言えることは、長く話す(付き合う)と根っこの部分の人間性が見えるということ

例えば政治的な面において、人は自分に人を見る目があると何を持って自信を持つのだろう
直感と言うのは恥ずかしいので、政策・マニフェストによって判断すると言うかもしれない
しかしそのマニフェストを一般の人はどれだけ理解して、その後の検証をするだろうか
結局のところ人は人物像で選んでいるのではないか
(利害関係がある場合はそれに従うに違いないだろうが)

人の本性を垣間見せるために、数年前、3人が舞台に立って話す機会を設けた(期間を開けて3日間)
一応ルールは決めた(各自話す時間は3分間)
しかし、そのルールを破っても途中でストップはかけることはしなかった
何故ならば、そこにその人物の根っことなる人間性が見られるからだ
3分の音がなっても平気で話し続ける人か(誰かみたい)
それとも3分の音がなると途中でも慌てて話をやめようとするか
そうしたところが見えた
これは話すときだけでなく聞いている時の対応も違いが見られた
「時間オーバーしてるぞ」と聞こえるように指摘する人
オーバーしてても黙って聞いている人
そのどちらが良いかはその場にいた人が決めること

人を見るのには時間をかけて見たほうがいい
肩書だけではわからない何かが見えてくる
現在新城市で行われている議会報告会
そこにいる人達は長い時間見続けられて尊敬の念が増える人物か
それとも、呆れられる人物か(最近不祥事が多すぎる)
選挙のときだけでなく、こういう機会を生かさないと適切な判断はできない、、

それにしても、、、

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする