パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

モーツァルト、ベートーヴェンの演奏会

2009年06月26日 21時13分13秒 | 音楽
6月5日(金)
モーツァルト
交響曲 第36番 ハ長調K.425「リンツ」
ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.466
交響曲 第38番 ニ長調 K.504「プラハ」

アイヴォー・ボルトン指揮
ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団
ピアノ :ラルス・フォークト

6月25日(木)
ベートーヴェン
エグモント序曲
ピアノ協奏曲第3番 ハ短調
交響曲 第7番 イ長調

大植英次指揮
ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー
ピアノ:小菅 優

生演奏を聴いている時、
自分はいったい曲自体の良し悪しを聴いているのだろうか
それとも演奏の違いを聴いているのだろうか

今月は縁あってオーケストラの生演奏を2回も聴く機会に恵まれた

ここ最近はゴールデンウィークのラ・フォル・ジュルネでしか
生の演奏会の接することが無いのが当たり前になっていたので
久しぶりの演奏会を通ぶって演奏のあら探しをするよりは
曲自体に身を任せ充分楽しむことにした

専門ではなく、ただ好きなだけで素人の自分は
単に思ったことを感覚的に口にするしかできないが
それでも不意に気づくことが多いのは生演奏の良さだろう

オールモーツァルトの演奏会
プログラムは全て好きなもの
最初の「リンツ」序奏で、急に「音とは消え去るもの」
などという事実が頭に浮かんだ
それから何かに発展して考えたわけではなく
ただそう思っただけ

あまり大きな編成のオーケストラではなかったが
結構な音量で、ベートーヴェン前のかわいい曲というよりは
ちゃんとした交響曲になっている
しかし、残念ながら始めは音が硬い

ニ短調のピアノ協奏曲はよかった!
このピアニスト好きなタイプ
少なくとも昨日の小菅さんよりは好み
第1楽章のカデンツァで音が指一本の部分になった時
長調に行くのか短調に移行するのかわからないような、
形式通りではないモーツァルトの面目躍如のところ
間の取り方、静寂の深さ ゾクゾクしてしまう

「プラハ」は会場の雰囲気にも慣れた所為か
それともこの曲の方が弾き慣れているのか「リンツ」よりは
しっくりしていた
と同時に「プラハ」はただ軽やかなだけでなく
中の音も詰まっていて演奏しがいのある、つまり多様な解釈の可能な曲で
別の演奏も聴いてみたい気持ちがわき上がった

そして昨日のオールベートーヴェンプロ
エグモントは楽団自体が「私らの音楽」みたいな自信を持って
思いっきり演奏していた(様に感じられた)
そこには指揮者の存在はあまり感じられなかった(?)

3番のピアノ協奏曲
第2楽章の始めのあたりは
後期のピアノソナタを思わせる瞬間があって
それに浸ろうとすると、さらっと逃げられてしまって
まだまだ後期の世界には到達していないんだ
と一人で納得してしまった

小菅さん、指は回るし若々しいけれど
なんだかいつも現在進行形みたい
目の前の壁、障害(?)を全力で乗る切るみたいな
ちょっと呼吸する雰囲気や過去を振り返るくらいの余裕があったなら
等と思ったが検討ハズレ?

7番の交響曲は始めの楽章が頑張り過ぎで
最後の楽章のどんちゃん騒ぎの効果がどうなのかな?
と不安になったが、ちょっとばかり的中したみたい
イケイケー!に終始しても熱狂までは至らず
少し残念

それはもしかして指揮ぶりが気になり過ぎた所為かもしれない
途中から指揮が音楽に没頭しているというよりは
ナルシズムに酔っているように自分には感じられてしまって
音楽に集中して聴けなくなったみたいだ

そうだもう一点感じたこと
それは木管の小音量の音は難しいな!
ということ

たった1本や2本でも結構大きな音に聞こえてしまったりして
静かな曲の雰囲気をデリケートなニュアンスよりは
曲がより説明的になってしまうところがあった

ま、そんなこんなで、
あれこれ文句(?)をあげつらっているのは
結局は楽しんだ証拠
(この機会を与えてくれた友人に感謝)

それにしても昨日の演奏会は、女子高校生が多かった
のだめカンタービレでベト7が採り上げられたから?
彼女らの耳には果たしてどんな風に響いて
どんな影響を与えたのだろう?
流行やファッションで終わらないでくれればいいのだが、、、
コメント
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