DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

夢(82)

2014-04-03 10:17:54 | ButsuButsu


世の中には、多くの偽装や捏造のニュースが飛び交っている。

こんな老舗や大手が、と思うほど有名なレストランやデパートが、偽装食材や偽装メニューを提供して謝罪している。

なぜこんなことが起こるのだろうか。

どうも、我々の社会の中で、時間が短縮してきている気がする。

早く結果を出すことが求められ、人間の判断を鈍らせているのかもしれない。

そこにはマスコミの影響も大きい。

政治家や官僚の焦りもあるようだ。

早く、早く、と急き立てられるように仕事をさせられる。

決まった期間の中で成果が出ないと、切り捨てられてしまう。

もっとゆっくりでもよいではないか。

今日できることは、明日やろう。

そういう人間の思考や判断の尺度にあった生活をすべきではないかと思う。

偽装には、外見(包装紙)の部分と中身(内容物)の問題があるような気がする。

最中(もなか)の入った箱に、饅頭(まんじゅう)の包装紙を用いて、最中ですとして売った場合、これを偽装というのだろうか。

単に、包装紙を取り違えた、ということではないのか。

問題は中身だ、と売っている人は言うのかもしれない。

最中の入った箱に、饅頭の包装紙を用いて、饅頭ですとして売ると、これは偽装なのだろうか。

そこに故意と過失の問題が絡んでくる。

小保方晴子さんの問題も、よく似た事情だ。

彼女は、包装紙は過失で取り違えたけれども中身は正しいものです、と言っているようだ。

委員会は、包装紙を故意に取り違えたので中身も怪しいのでは、と言っている気がする。

報道によると、特定国立研究開発法人の閣議決定を急ぐために、委員会の結論をせかしたようだ。

翻って、小保方さんの立場を考えてみる。

故意に包装紙を偽装し、中身を捏造したことになった場合、研究者としての生命は完全に断たれることになる。

あの年代の若い研究者が、そのようなことを意図的に行うのだろうか。

そして、国際的に高名な共同研究者たちが、そのことを見破れなかったのだろうか。

どうも腑に落ちないことが多い。

現段階では、一方向の情報しか表面に出てきていない。

この種の問題では、かならず双方の言い分をきちんと聞いて、冷静な判断をする必要がある。

我々の周辺でも、包装紙は立派だが、中身に乏しい商品がたくさんある。

膨大な予算を使って、中身の乏しい商品を粗製乱造しても、国際競争に勝てるとは思えない。

時間をかける部分は、しっかり、ゆっくりと考え鍛えるゆとりが欲しいものである。

拙速は国を滅ぼす、ということは、長い歴史の中で我々が学んできたことだ。

4月2日(水)のつぶやき

2014-04-03 05:21:56 | 物語