もっとも、私は、アメリカで就職しようなどとは思っていなかった。級友のウェズリー・ミクサ(現在The Environmental Company Inc.にいる模様)からはサン・ディエゴの銀行にでも勤めたらどうだと勧められたが…。むしろ私は、アジア開発銀行や国連開発計画(UNDP)などの国際機関への就職を目指していた。中でもUNDPは、フィリピンでのサンゴ礁再生プロジェクトなどの話に強い感銘を受け、ぜひ職員になりたいと思っていた憧れの機関である。
しかしながらこれらは極めて狭き門。今思うとかなり無謀な挑戦だった。アジア開銀は書類を送っても音沙汰なし、UNDPについては、外務省のアソシエート・エキスパート試験経由での応募を行っていたが、10月の最終面接で落ちた(結果は12月発表)。
他方で私は、日本に帰国直後の平成15年5月に、新聞で「日本にもロースクール制度導入~2度目の適性試験を11月に実施」などという記事を見て、ロースクールの適性試験も受験していたのである。
しかしながらこれらは極めて狭き門。今思うとかなり無謀な挑戦だった。アジア開銀は書類を送っても音沙汰なし、UNDPについては、外務省のアソシエート・エキスパート試験経由での応募を行っていたが、10月の最終面接で落ちた(結果は12月発表)。
他方で私は、日本に帰国直後の平成15年5月に、新聞で「日本にもロースクール制度導入~2度目の適性試験を11月に実施」などという記事を見て、ロースクールの適性試験も受験していたのである。