31歳サラリーマンの ホジキンリンパ腫闘病記

悪性リンパ腫ホジキン病の発病から完治までの記録

★私の病状と治療メニュー★

【病名:ホジキンリンパ腫 / 発生部位:胸部従隔および肺門リンパ節(鎖骨リンパ節への転移あり) / 進行の程度:ステージⅡ / 治療メニュー:抗がん剤(ABVD)治療2クール+放射線照射】  【2011年3月8日ひとまず寛解】  【2011年11月2日 ホジキンリンパ腫再発と診断。 /発生部位:脾臓(ひぞう)横のリンパ節と脾臓の一部 / 進行の程度:ステージⅢ / 治療メニュー:抗がん剤(ABVD→CHASE→大量LEAD)+自己幹細胞移植】 【2012年6月再発治療終了】

自宅/2回目投与から12日

2010年11月30日 14時52分24秒 | 闘病記
家に帰ってきてから、体の調子は上々。
これといった変化もなかったので、久々の更新になってしまった。


2回目の投与前は、動くとすぐにくたびれてしまう状態だったが
今は、買い物などに出かけても あまり疲れないようになった。

やはり狭い病室にいるよりも、家で過ごす方が
体を動かす量は増えているらしい。

食事も、この一週間はおいしいものを沢山食べた。
おかげで体重も、入院前と同じくらいに増量。(妻も?)

しっかり体力はついたので、気合いを入れて3回目の投与に挑もうと思う。


明日からまた一週間の入院生活が始まる。

同じ内容の繰り返しになってしまうかもしれないが
状況を逐一レポートしていきます。

自宅/2回目投与から6日

2010年11月24日 14時22分06秒 | 闘病記
昨日の午後、一時退院した。

病室から駐車場まで荷物を抱えて歩いたのだが
大した距離でもないのにグッタリ。

調子が良くはなってきたものの
さすがに動き回れる程は回復していないみたい。

2回目の投与前、調子が良い時に腹筋・スクワットなどの
筋トレはしていたので、筋力はさほど落ちてないと思うのだが
動き回る体力はまた別物らしい。

せっかく家に戻ったのだから、少しは動けるように
リハビリせねば。


それはそうと
2回目の投与をおえて、少し変化が出てきた。

抗がん剤の点滴をイメージするだけで
少し気持ち悪くなるようになってしまったのだ。

2回の投与で気持ち悪さが体にすりこまれてしまったのか
点滴の情景を思い浮かべるだけで胸やけ誘発。

『そうなる人もいる』と話には聞いていたが
まさか自分が『そうなる』とは思ってもみなかった。


・・・デリケートだったんだな意外と。

また腕の血管が痛み出しているので、気にはなってしまうが
できるだけ病気や病院の事は考えないようにして

のんびり過ごそう。





入院20日目/2回目投与から4日

2010年11月22日 22時03分31秒 | 闘病記
今日の午後から少し調子が落ち着いて来た。
まだ胃もたれの感はあるが、なんとか食事は完食出来る様になった。

やっぱり先回とほとんど同じ経過だった。
『やっと終わったか…』という感じ

先回と違う点として
先週木曜に抗がん剤を投与してから 2回の血液検査を行ったが
白血球の数値が先回より少し低くなっているらしい。


この白血球の数値は 免疫力が低下しているかどうかの指標となり
普通の人でおよそ8000前後が標準値。


私の場合
最初の投与時に4500程度まで数値が低下し
2回目となる今回は3000まで下がっている。


つまり風邪をひき易かったり、いろんな菌に対する抵抗力が低く
体調管理に注意が必要な状態らしい。
(2000を割ると、入院したまま管理が必要)

3回目、4回目と白血球の数値が下がる恐れもあるので
今まで以上に、気をつけなければ。


それはそれとして、明日はやっと退院日。

ほいほい出歩いたりは出来ないが、家でのんびりして
美味しいものでも食べて ゆっくり過ごそうと思う。


帰ったら豚肉のしゃぶしゃぶでもするかな

いいお肉で♪

入院18日目/2回目投与から2日

2010年11月20日 22時10分56秒 | 闘病記
夜飲んだ吐き気止めが少し効いてきたので
ブログ更新。


予想通り、今日は一日中キツイ吐き気に見舞われた。
先回よりも吐き気のレベルはややきついかもしれない。

投与前に打った吐き気止めは、何だったんだろうか?
全く効果を感じないんだいけど。

使ってなかったら、もっと調子が悪化していたということだろうか。


朝昼晩と3回吐き気止めを服用したが、やっぱりあんまり
大きな効き目は感じず、食事もほとんど取れていない。

先回よりマシな事と言えば、調子よく便通がある事くらい。


明日、明後日と徐々に調子が回復するはずなので
がんばって耐えよう。


もう少しもう少し…

入院17日目/2回目投与から1日

2010年11月19日 11時41分17秒 | 闘病記
昨日、2回目の抗がん剤投与を行った。

先回とほぼ同じスケジュールで
朝10時から針を刺し、13時過ぎから投与開始。

今回は、投与する前にあらかじめ
「3日間は効果がある」という吐き気止めの注射を打ってもらった。

そして例の 痛くて辛い『D』ダカルバジンの投与を開始。

つい先日まで腕の血管が痛かったので、先回よりも痛かろうと
覚悟はしていたが、先回とは比べ物にならないほど強く痛んだ。

本当に痛くて、投与の15分間が異常に長く感じた。

腕全体が押し潰される様に痛んでしびれて、投与中は
腕がピクリとも動かせなかった。

今回もどんな痛みか例えてみると、
腕全体をゴム帯できつくグルグル巻きにして
うっ血した状態でほっといたような感じ。

痛そうでしょ?


吐き気は先回同様、投与直後は大して感じず
夜になってから悪化。
22時頃にピークを迎えて、たまらず吐き気止めを
注射してもらった、

あらかじめ、吐き気止めを入れたはずなのに
大して効果は感じなかった。

昨晩の薬の効果で夜は何とか眠れて、今朝起きてからも
ひどい吐き気は無い。

ほぼ前回の投与時と 同じ経過をたどっているので
この分だと、明日また体調が悪化するものと思われる。


正直気が重い。

昨晩もそうだったが、抗がん剤による体調の悪化を繰り返すと
『もうやだ。もう抗がん剤なんて二度と打ちたくない。』
と強く思う。


でもこの治療をやらなければ、自分は死んでしまうし。


気合いを入れて覚悟を決めて、治ってからの楽しい事を考えて

とにかく耐え抜くしかない。

入院14日目/今後のスケジュール

2010年11月16日 12時41分56秒 | 闘病記
前回の抗がん剤投与から、早くも12日が経過した。

先週の火曜日以降、気持ち悪さは全く無く
途中で少し出た血管の痛みも、だんだん落ち着いてきた。

体調はとても良好な状態をキープしている。


投与以降、2~3日おきに確認していた採血の結果も問題無く
予定通り 明後日に2回目の抗がん剤投与をする事になりそうだ。


投与した後の体調変化の状況を踏まえ、医師と看護師と相談して
今後の治療・入院スケジュールを決めたので、日程を整理して書いてみる。


11月18日  抗がん剤投与(2回目)
11月23日  退院

12月1日   再入院
12月2日   抗がん剤投与(3回目)
12月7日   退院

12月15日  再入院
12月16日   抗がん剤投与(4回目)
12月21日  退院

年末    PET検査(転移の状態を確認するCT撮影)

年明け1月  放射線治療実施


当初、3回目以降の投与は外来の通院で行う予定だったが
数日は確実に寝たきりの状態まで 体調が悪化する為
投与後1週間は入院して、面倒を見てもらう事にした。

その方が自分も楽だし、なにより家族が安心できる。

家に帰りたい気持ちもあるが、調子が悪い時は
狭い個室の病室が、結構快適だったりもするし(笑)


ともかく、体調の異変なく順調に治療が進み
狙い通りの効果が確認できれば、上記のスケジュールで
治療は完了する事になる。


治療はまだまだ前半戦だが、気持ちを切らないように
気合いを入れて臨んでいこうと思う。 

@回想7 /精子保存の話

2010年11月15日 16時03分41秒 | 闘病記
このブログは知人も見ているので、今回の内容を
詳しく書くべきか 正直迷った。

夫婦のプライバシーに関わる内容も含むから。

でも、私の様に若くしてがんの治療を行う人には 絶対に知って欲しいし
もし私が知らないまま治療を開始していたら、きっと激しく後悔していたと思うので
妻と相談してブログに書くことにしました。


先日の回想で少し書いたように、自分で調べて
『がんの治療によって子供が作れない体になる』という事を知った。
★私が見た資料★

正確には、長期間 非常に子供が出来にくい状態になってしまう。

抗がん剤の種類にもよるが、薬の影響で生殖機能が2~5年間低下または失われる。
男性の場合は『精子造成能力の一時的な低下』

要するに、数年間『種無し』若しくはそれに近い状態になってしまうらしい。


ショックだった。


がん経験者である、保険会社のS氏に相談したところ
『医師に希望すれば、精子の冷凍保存をしてくれるはず』と教えてもらった。

方法としては『不妊治療の顕微授精』となってしまうが
実際に不妊治療をするにしてもしないにしても、選択肢を残しておきたいと思い
精子の冷凍保存を医師に頼んでみる事にした。


幸いな事に、受診していた総合病院は『不妊治療センター』も併設されており
医師に希望を伝えると、すんなり対応してもらう事が出来た。


不妊治療センターで診察を受けて精子の採取を行い
不妊治療4回分の精子を冷凍保存した。(保存期間は2年間)

『これで心おきなく治療にのぞめる』
心底ほっとした。


実のところ
他の病院ではどうかわからないが、私の時は
医師から『不妊状態になりますよ』という説明は一切なかった。

最初の勢いのまま治療を開始していたら、知らない内に『種なし状態』に
なっていた訳で、間違いなく激しく後悔していたと思う。


私の使用した抗がん剤に限らず、多くの抗がん剤で同様の副作用があるらしい。

ブログを見た人からこの情報が伝わり、たとえ一組でも
私と同じくがん治療にのぞむ若い夫婦の救いになったら


ホントに幸せです。

@回想6 /セカンドオピニオンの検討

2010年11月15日 14時05分31秒 | 闘病記
今回はセカンドオピニオンの病院を探した時の事について。


がんを患った多くの人に知って欲しいので、経緯をすっ飛ばして結論を書きます。

私はセカンドオピニオンの病院探しを『株式会社メトック』という
がん専門の医療コンサルタント会社に依頼しました。

日本全国に医師や病院、最新の治療情報などのネットワークを持っていて
個人の病状に応じて、最も適した病院や治療メニューの情報を
提供してくれる会社です。
もちろん、先端医療の紹介もしてもらえます。

この会社に調査を依頼したおかげで、本当に心から安心して
今の治療を受ける事が出来ています。

下記、お世話になった『株式会社メトック』の情報です。

(株)メトック 
住所:〒105-0004 東京都港区新橋6-4-3 ル・グラシエルBLDG.7-5F
TEL: 03-5425-4630

★株式会社メトック紹介の記事【pdf】

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≪以下、セカンドオピニオン探しの経緯です≫


最近言葉こそ良く聞くものの、『セカンドオピニオン』が
実際にはどういうものなのか、正直 私は良く知らなかった。

参考に、私がセカンドオピニオンを検討した際に知った要点をあげると

(1)セカンドオピニオンは基本的に『自由診療』となり
   健康保険の適用が受けられないこと。

(2)最初に受診した病院の検査結果(PET-CT画像等)をコピーしてもらい
   セカンドオピニオンの病院へ持参して受診すること
   
(3)セカンドオピニオンの病院は、自分で探し
   自分で選択しないといけないこと。


(2)と(3)は普通に聞こえる事だが、私がものすごく困ったのが
(3)の『病院を自分で探し自分で選ぶ』という点。


どうやって病院を探せばいいのか?何を基準に病院を選べばいいのか?
さっっっっぱりわからなかった。


知り合いに病院関係の人間がいれば相談もできるが、そんな知り合いはいない。

今の担当医に『紹介して』と頼めない事はないが、
極端な話 【今の医師以外の意見を聞きたい】=【あなたの診断を100%は信用していません】
という事なので正直頼みにくい。

それに、仮に紹介してくれたとしても 自分と治療方針が大きく異なる医者などは
きっと紹介しないだろうから、受けるだけ無駄な気もする。

シンプルに大きな病院を選ぶという方法もあるが
大きい=良い医療では無いと思うし、病院の選択肢も多すぎる。


結局、
私が取った手段は、インターネットの口コミサイトを調べたり
病院のホームページにある悪性リンパ腫の症例数を比べたりという事だった。

しかし、情報をたくさん集めたところで 判断するのは素人の自分自身。
結局決定的な判断材料にはならず、途方に暮れてしまった。


正直、もう考えるのが辛くなって くじけてしまいそうだった。


そんな時、保険会社の担当S氏から
『がんの医療コンサルティングを専門に行う会社があるので、依頼してみませんか?』
という話を持ちかけられた。

そんな会社があるなんて全然知らなかったが、保険会社の世界では
かなり有名な会社らしい。

『それ専門の人がいるなら、どこの誰に聞くよりきっと間違いない』と思い
今の病院で受けた診断結果と、治療内容の説明を(株)メトックに送り
すぐに調査を依頼した。


1週間ほどして、調査の結果が手元に届いた。

県外の遠い病院であっても、出向いて治療を受けるつもりでいたのだが
結果は意外な内容だった。

1、あなたを診断した医師は、最新の論文や研究データを非常によく勉強されている
2、患者への説明も、「普通ここまで言わない」という位、とても詳しく丁寧にされている
3、医師から提示された治療メニューは、間違いなくあなたに最適な治療である

【結論】今かかっている主治医に、そのまま治療を任せるのがベストな選択です

ということらしい。

少々拍子抜けだったが、身近な病院で最適な治療が受けられるなら
それに越したことはない。

早速病院へ連絡し、セカンドオピニオンを受診せず治療開始する事を伝え
入院の予約を取りなおした。


専門の機関からお墨付きをもらった事で
今現在、一切の不安も疑いもなく治療に専念する事が出来ています。

入院9日目/抗がん剤投与から7日

2010年11月11日 21時03分41秒 | 闘病記
ちょっと変化があった。

血管に痛みが出てきたのだ。


気持ち悪さなど、体調は相変わらず問題ないが
2日ほど前から、抗がん剤を入れた側の腕の肘の内側に
少し違和感を感じるようになり

投与から7日目の今日は、はっきりと『痛み』を感じる様になった。

どんな痛みかは これまた表現が難しいのだが、うずくような結構強い痛み。


凄く嫌~な書き方をすると

血管に注射針を刺す時ほどの痛みはないが、
刺した状態で注射針を『グイッ』と持ち上げられた様な痛み?

『ズキン』ではなく『キーーーーーン』って感じ。

ずっと痛むので慣れてくるとは思うが、かなりわずらわしい。


医師の話によると、
投与時に血管痛がある『D』ダカルバジンの影響もあるが
投与時痛みの無かった『V』エクザールも血管への攻撃性があるらしく
複合的なダメージであろう という事だった。

しかも、以前説明されたとおり 効果的な対処法も特に無い。


なんにせよ、まだ投与は一回しかしていないのに 結構痛むので
あと3回の投与をして 一体どこまで痛みが増すのか…

かなり不安。


次の抗がん剤投与まであと1週間。

それまでに血管の痛みが収まってくれる事を期待したい。

@回想5 /保険・医療費の話

2010年11月11日 17時35分29秒 | 闘病記
【お断り】
内容に保険関係の話が出てきますが、あくまでも
私個人が経験した内容、個人的な感想です。

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気持ちが落ち着いた後
私が最初に不安を覚えたのは、

『治療のお金は大丈夫だろうか?』だった。

なんせ、がんになる想像すらした事が無いから
治療費にいくらかかるかなんてさっぱり分からない。

とりあえず、保険の証券と明細を引っ張り出して
保険がいくらおりるのか確認した。


家族の勧めもあったが、元来性格がびびり症な事もあり
何かがあった時の備えとして、独身時代の25歳から
終身の生命保険と医療保険をかけていた。

加えて、結婚を機に会社の団体医療保険にも少し加入していて
確認した結果、ちょっとびっくりするくらいの お金が入る事がわかった。


『こんなにもらえるの?保険用意しといてよかった~!』
…と思ったのと同時に、本当に大きな病気にかかってしまったという事も実感。

なんたって『3大疾病』。
あらゆる条件、条項で支払いのMAXに該当するんだもんなぁ…

嬉しかった反面、ちょっとへこむ。


次に国の高額医療費制度についてもインターネットで確認

健康保険の種類によって条件は異なるが、どうやら申請すれば
毎月の窓口支払額が一定額を超えた場合、超過分の金額が後で
戻ってくるらしい。


お金の心配は全くしなくてもよさそうだ。これで一安心。


とりあえず、保険の事に関してはこれからいろいろと手続きが
必要そうだったので、保険会社の担当S氏の携帯に連絡した。


連絡するとS氏は驚いた様子で、次の日すぐに家に駆けつけてくれた。


この時に話をして初めて知ったのだが、偶然にもS氏自身 がんのキャリアがあり
しかも2度の再発を経験しているらしく、保険の事だけではなく
自身の経験から様々なアドバイスをしてもらった。


セカンドオピニオンの病院選びや、最新の治療方法の調査
治療によって子供が出来なくなる事への対応

これらの事全て、S氏に紹介・仲介をしてもらった。

さらに後日、私に情報を提供する為に 先進治療の現場へ自ら足を運び
話を聞いて来てくれたりまでした。


『保険のプランナーってここまでしてくれるもんなの?』と
こちらが恐縮してしまうくらい、私の為に色々と駆けずり廻ってくれた。


結果的に、私の不安は全て このS氏のおかげで解決する事が出来
S氏には本当に本当に感謝している。


「いざ」という状況になって実感できた事だが
この人に保険を任せていた私は本当にラッキーだったと思う。