31歳サラリーマンの ホジキンリンパ腫闘病記

悪性リンパ腫ホジキン病の発病から完治までの記録

★私の病状と治療メニュー★

【病名:ホジキンリンパ腫 / 発生部位:胸部従隔および肺門リンパ節(鎖骨リンパ節への転移あり) / 進行の程度:ステージⅡ / 治療メニュー:抗がん剤(ABVD)治療2クール+放射線照射】  【2011年3月8日ひとまず寛解】  【2011年11月2日 ホジキンリンパ腫再発と診断。 /発生部位:脾臓(ひぞう)横のリンパ節と脾臓の一部 / 進行の程度:ステージⅢ / 治療メニュー:抗がん剤(ABVD→CHASE→大量LEAD)+自己幹細胞移植】 【2012年6月再発治療終了】

【再発】自宅 /2回目投与から9日

2011年11月28日 21時55分20秒 | 闘病記
先回と比べて少し回復に時間がかかったけど
ずいぶん体調、体力ともに回復してきました。

寒さにもだんだんと慣れてきて
週末は妻と買い物したり外食したり映画をみたり。

まだ すぐに疲れてしまうけど、家でじっとしていると
なかなか体力がつかないのでがんばって出歩いた。


医師に運動について相談したら、軽く歩く程度の運動が良いみたい。

先回、筋トレをやったと医師に話したら
「腎臓の負荷が心配だから激しい運動は避けて欲しいなぁ」
と怒られてしまった


体力を回復する為の時間が少ないので あせってしまうけど
じっくりやらないといけないみたい。

入院するまでの間は 出来るだけ出かけて歩くようにしようと思う。


でも人混みは避けて、防寒&マスクはしっかりと。

無理せず ぼちぼち行きます。

【再発】自宅 /再発性ホジキンリンパ腫の治療メニュー

2011年11月25日 14時42分30秒 | 闘病記
なかなか書く気が起らず、今まで先延ばしにしてきましたが
私が行う『早期再発性ホジキンリンパ腫の治療メニュー』について。

正直、自分にとっては少し目をそむけたい内容でもある。

でも、このブログを最初に書こうと思った理由が
『情報を求める人へ、詳しい治療の情報と自分の経験を伝えたい』
だったこと。

それと、今書き残すことで
自分自身、辛い治療に立ち向かう覚悟を決めたかったこと。

そんな思いがあったので…  書くことにしました。



以下、専門的&かなりの長文です。
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1年以内にホジキンリンパ腫が再発した場合、以下のメニューが
標準治療として実施される。

【1】『ABVD』抗がん剤治療を4〜6コース実施
【2】自己末梢血 幹細胞移植+大量抗がん剤投与を実施。

まず【1】で一度がんを寛解させてから
続けて【2】の治療を行う事になる。

では詳しい内容について。



【1】抗がん剤治療4〜6コース 

これは前回行なったのと全く同じ抗がん剤を投与します。
細かいことは以前の闘病記で書いているので省略しますが
「ABVD」の抗がん剤治療を4〜6コース実施します。
(1コース2回投与なので、計8〜12回の投与)

前回の投与から半年以内に再発すると、体に耐性がついて
同じ治療が実施できないらしいが、私の場合は
約10ヶ月経過していて、さらに先回2コースしか実施しなかったので
同じ治療で大丈夫らしい。

この抗がん剤がうまく効けば、の話だが
ひとまず がん細胞が体から無くなるまで(寛解まで)この治療を続ける。

2コースでがんが無くなればそこで終了するかもしれないし
6コースまで実施するかもしれない。
 ※人生で合計8コースしか投与できない。理由は『A』のアドリアシン
  という薬が、心臓の筋肉に与える毒性が非常に強いため

薬の効きが悪いときは、抗がん剤の種類を変えて治療をする。

4コースで終わると仮定して、終了するのは2月の末くらい。


初発も再発もこの治療でとんでもなく苦しんでますが
この治療を初発の2倍〜3倍実施します…

でも、免疫低下による合併症等は除き
この治療で死んでしまう様なことはまずありません。



【2】自己末梢血 幹細胞移植&大量抗がん剤投与

「短期でホジキンリンパ腫が再発してしまった場合は
 再度抗がん剤で寛解しても70%以上の確率でまた再発する」
というデータがあるそうです。

その為、通常の抗がん剤治療に加えて 根治を目指した治療が追加されます。
それが【2】の治療。

再発時の年齢が若い場合、短期の再発でなくても 予後の長期生存を目指して
この治療を実施する傾向にあるようです。


んで、具体的には何をするのか?

「再発する患者は基本的に血液を造る細胞自体に問題がある」
という考えの元、体内のあらゆる細胞を一度殺す治療をする。

その手段が、『大量抗がん剤投与』ということになります。

使える抗がん剤は数パターンあるらしいが、『ABVD』とは別のものを使う。


数日かけて、大量の抗がん剤(医師いわく、人が2~3人殺せる量)を
死なないように体を管理しながら投与をする。

この治療の負荷によって死亡する確率が、日本の実績で10~15%。
文字通り、死ぬほど辛い治療になるはずだ。


この治療を行うと、体内で血液を作ることができなくなってしまい
そのままでは死んでしまう。

その為、あらかじめ血液を造る幹細胞『自己末梢血 幹細胞』を取っておき
移植をする必要がある。

つまり
(1)骨髄から自分の造血幹細胞を採取する
(2)大量の抗がん剤を投与して細胞を殺す
(3)とっておいた自分の造血幹細胞を骨髄に戻す

というステップで治療をおこなう訳です。

造血幹細胞採取の際は、また別の抗がん剤(CHEASE)投与が必要になります。


小難しく書いてしまいましたが
ざっくり言うと、要するに『骨髄移植』です。

でも、白血病の様に 適合のドナーを探して他人の骨髄を移植するのではなく
自分の骨髄を移植できるので、かなりリスクは低いそう。

ただし、骨髄に転移があるステージ4の場合は
白血病と同じくドナーを探して移植する必要があります。
(私はセーフでした)


この治療を行った後の5年以上長期生存率は40~45%。

あらゆる細胞に影響が出る為、当然薬が手放せない生活にもなります。


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長々書きましたが、以上です。


治療での死亡率は10%以上

5年以上の長期生存率は50%以下


サイコロの丁半博打よりも分が悪い。

でも、病気の治療は博打とは違うんだ。

割合でくくられたって、患者の条件がみんな同じ訳じゃない。


私には守る家族がある、夢がある、信頼できる医師がいる
体力も考える知恵もある、そして治療に真っ向から立ち向かう強い意志がある。


絶対に負けない

どんな辛い治療も必ず乗り越えて見せる


後悔だけは絶対にしたくない。
出来ること、やるべきことを全力でやっていきます。

【再発】退院 /2回目投与から5日

2011年11月23日 23時29分21秒 | 闘病記
本日退院してきました。

体力は先回退院時よりもやや消耗している感じ。
前と同じように車椅子でドナドナされました。


病院の外に出るとビックリするほど寒い!

病室は温度管理されているので気が付かなかったけど
この1週間で完全に外の空気が入れ替わってる…

これだけ気温差があると、消耗している体にはかなりこたえる

防寒や体調管理を徹底して風邪ひかないようにしなければ。


家に帰ってからは、とりあえずモコモコ着込んで
雪だるまみたくなってました。

気温に体が慣れるまでは、しばらくこれで過ごそうと思います。


さて、がんばって体力戻して 美味しいもん食べるぞー

【再発】病室 /2回目投与から4日

2011年11月22日 10時27分28秒 | 闘病記
昨日の夜8時頃から、ようやく吐き気が落ち着いてきました。

まだ食欲はなく、思い出すと吐き気も襲ってくるので
詳しくは振り返れないけど

今回は先回以上に吐きまくった。

初日の投与中から吐いて、今まで
何回吐いたのか もう記憶にない。

胃液の吐きすぎで喉が焼けてしまって
声はもうガラガラ。

でも乗り切れた。
サポートしてくれた妻、母、看護師さん達に感謝です。



毎回思うことだけど、食べられないって本当にキツい。

吐き気が落ち着いた今でも

パンを一口入れて、噛んで、飲み込む。
それだけでもう息切れしてしまう。

食べる事ってこんなに体力を使うものなのかと…


普通に食べられる事がどれだけありがたいことなのか

美味しいと感じられる事がどれだけ幸せなことなのか

しみじみ思う


また美味しくご飯が食べられるように体力つけなければ
その為には辛くても頑張って食べないとね。


明日退院予定です

【再発】病室 /2回目投与当日(投与前)

2011年11月18日 08時17分46秒 | 闘病記
さあ、いよいよ今日の午後から2回目の投与です。

昨日から入院して、採血と肺炎の兆候がないか確認する
呼吸機能検査をやった。

肺活量を細かく調べる検査で、結構体力が必要な検査だけど
体力は十分に回復出来たので問題なくクリア。


シャキシャキ歩いて入院できたし、体力は十分回復。
体重もほとんど元通り。

なのに、とっても気分が悪い


これは100%気分的なものなんだけど


入院前に荷造りしてる段階でもう気分が悪くて
ちょっと吐きそうだった。

病室に入ってから食べている病院食もなかなか喉を通らない。

ここの病院食は、ほかの病院に比べて美味しくて
かなり味のレベルは高い方なんだけど

なんかもう、この見慣れた食器に入っているだけで不味そう


せっかく頑張って体調回復したのに、わざわざ入院して
体調不良になるのを待つという理不尽さ。

そりゃ気分も滅入る。



…と弱音を言ってても仕方ない。
この治療をこなさないと私には未来はないんだから。

もう一発、心に力をいれて治療に望みます!


さぁ、抗がん剤よ来るなら来い!

出来れば手加減してね!

【再発】自宅 /1回目投与から10日

2011年11月14日 15時14分28秒 | 闘病記
次の投与に向けて、体力は順調に回復中。

普通に食事ができる事がうれしくって 毎食モリモリ食べていたら
あっという間に体重が3Kg増えてしまいました…

乾いたスポンジが水を吸うような感じなんだろうか?
今度は増えすぎないように管理が必要みたいです。

息切れするほど動くと まだ胸やけのような症状が出てしまうが
体も 退院後に比べてずいぶん動かせるようになってきた。


唯一、腕の血管の痛みだけはしつこく残っているが
この痛みに関しては、どうしようもないことなので仕方がない。

前回の治療時も、投与を重ねるごとに痛みが増していって
4回の投与終了時には痛みで腕が使い物にならなかった。

今回の治療は前回よりも投与の回数が多いので、前以上の痛みを覚悟しておかないといけない。



次の投与は4日後。

体調を崩さないように気をつけながら もう少し体力をつけて
万全の体調で入院出来るようにしよう。



【再発】自宅 /1回目投与から7日

2011年11月11日 16時32分02秒 | 闘病記
最初の投与から、丁度1週間が経過しました。

昨日くらいから、抗がん剤の影響による左腕の血管痛が
徐々に強くなっていて、昨晩は痛みでなかなか寝付けませんでした。

前の治療の際に 初回の抗がん剤を投与した時よりも結構キツく痛む。
血管に関しては、前のダメージがまだ残っていたみたいです。


でもそれ以外は、順調な回復。
食欲も戻り、吐き気もふらつきもすっかり良くなりました。

なので、ここらで初回投与時の経過を詳しく振り返っておきます。
(思い出すと気持ち悪かったのです)


◆投与日:11/4◆

朝10時から左腕に点滴をつなぐ。
この点滴は、水分補給の為の点滴で、朝から夜10時までつなぎっぱなし。

この時点では、特に吐き気は無し。

午後2時から4種類の抗がん剤を投与。
抗がん剤は、先ほどの点滴のラインに割り込ませるような形で投与を行う。

「ABVD療法」の抗がん剤は、Dの『ダカルバジン』という薬が
投与時に激しい血管の痛みを伴う。

今回は初回だった為、我慢できない程の痛みではなかった。
でも、回数を重ねるごとに痛みが増していくので 今後の投与は覚悟が要ります…


1時間半ほどで全ての抗がん剤投与が終了。

気持ち悪さは既にあったけど、吐くほどではない。
食事もそれなりに取れたし、水も飲めた。

夜8時前からだんだんと吐き気が悪化。

早めに、吐き気止めの注射を入れたがほとんど効果がなく
1時間ほど耐えたけど 結局吐いてしまった。

そこからは ずーっと吐く寸前の状態。
少し体を動かすだけで吐きそうだったので、当然寝返りもうてず
声を出して会話する事さえできなかった。

寝るまでに数回リバースして、初日はなんとか就寝。


◆投与から1日~3日:11/5・11/6・11/7◆

朝起きて1時間くらいは、口をすすぐ程度の余力あり。

しかし、そこから夜寝るまで、ただひたすら込み上げる吐き気と
ひどい体のだるさに襲われていた。

当然食欲は全くなし。
きちんと時間通りに食事が運ばれて来る事が、辛くてたまらなかった。

毎回『少しでも食べなきゃ…!』と食事とにらめっこして
全く手をつけられずに、食事は片づけられた。

水分も取る気にならない…というか体が受け付けない。

『飲むぞ!』と気合い入れて、果汁100%のジュースを
手に取るが、ストローで2口くらいしか飲めない。 どうしても飲めない。


でも、あまりにも自分で栄養摂取できないと 点滴を入れられてしまう。

それだけは絶っっ対に避けたかったので、1日目の夜以降は
食事の時間の度に小さなロールパンを1つ手に取って
指でちぎりながら1時間くらいかけて口に押し込んでいた。


◆投与から4日:11/8◆

ようやく吐き気はひと段落。
まだ匂いに反応して吐くことはあったけど、常に吐きそうな状態は越えた。

体のだるさと食欲はまだ回復していなかったけど、この頃から
香りの良い甘い紅茶とかは飲めるようになった。

時間が経つにつれてだんだんと回復していき
夜にはシャワーを浴びることができた。


…長々と書きましたが、こんな経過でした。


いや~  やられました。

正直、蓄えていた気合いはもうカラッポ。

今週1週間でまた気合いを溜め直します。




治療を重ねるごとに、思い出すと気分が悪くなる症状が強くなっていくので
今後の治療では、多分詳しい経過は書けないと思います。

今後は、今回を基準に状況の良し悪しを書いていきますね。

【再発】退院 /1回目投与から5日目

2011年11月09日 14時57分26秒 | 闘病記
今朝は昨日より更に体調が回復。

水分もそこそこ取れるようになったし
朝食も半分以上食べられた。

でも体力の回復はまだまだ。
少し動いただけで動悸が激しくなって倒れそうになる。

退院の為に荷物をまとめるのもままならなかった。


結局、迎えに来た家族に荷造りを手伝ってもらい
車いすで荷物と一緒に運ばれて退院しました。

なんとも情けない…


そして昼前に自宅に到着。
たかだか1週間弱の入院だったけど『やっと帰って来れた』という感覚でした。


すっごい落ち着く。


家についてまずやった事は体重測定。

昨日の夜、顔を洗った時に なんだか小顔になったような感じがして
体重の減少が少し心配だった。


結果は… 「5Kg減」
びっくり。

入院前87Kgあった体重が82Kgちょいになっていた。
(ちなみに私は身長185cmの大男)

先週までのグルメツアーで少し増量はしていたけど、ちょっと急に減りすぎ…
前回はここまで急な体重減少は無かった。


このままじゃ次の治療時にヤバイ。 どんどん衰弱していってしまう。

なんとか来週までに85Kgぐらいまでには体重を戻さなきゃ。


まずはボロボロの体をしっかり休める。

食事は時間をかけてでもしっかり食べる。

落ちてしまった足腰の筋力を少しでもつける。


とりあえず、この辺が自宅療養期間の課題ですね。

がんばろ

【再発】病室 / 1回目投与から4日目

2011年11月08日 11時35分50秒 | 闘病記
金曜日に抗がん剤投与してから4日が経過し
やっとブログ更新できるまでに副作用が落ち着いてきました。

でも、まだ長い時間PCに向かうのは無理…


丸4日間、激しい副作用に見舞われていました。

ほとんど何も飲めず、食べられず
常に吐く寸前の状態。実際なんども吐いた。

正直、初回でここまでの激しい副作用は予想していなかった。

前回治療時の後半レベルの副作用で、
心を根っこからへし折られるような激しさ、辛さでした。

未だに食事はまともに口にできません。

でも、とりあえずピークは越えました。

回復を待って、明日退院予定です。

【再発】入院1回目

2011年11月03日 22時46分01秒 | 闘病記
今日の午後1時過ぎに入院しました。

前回の治療時と同じく個室の病棟へ入院。

見慣れた病棟に見慣れた病室。
なんだか『帰ってきた』というような感覚。


…帰ってきちゃったなぁ


荷物をほどいていると、前回病室で
過ごしていた時の記憶が戻ってきて、少し気がめいってしまった。

この場所に良い思い出ひとつもないもんなぁ。
病室キライです。
 

荷物を片付けた後、治療前のレントゲンと
心電図検査をサクサクとこなし

いよいよ骨随穿刺検査だ。


この骨随穿刺(こつずいせんし)という検査はどういうものかというと
一口に言って、骨随にがん細胞の転移があるかを見る検査。

骨随には血液をつくる組織があって、その部分に
がんの転移があると無条件で進行度がステージ4になってしまう。

その為、骨随から「骨髄液」を採取して調べる訳だが
その方法はというと

腰の骨に鉛筆の芯ほどのぶっとい注射針を突き刺して

骨の中の骨髄まで「ゴリゴリゴリ!」と針を貫通させて

注射器で骨髄液を「ギュー!」と抜き取る。


…むっちゃくちゃ痛いんですよこの検査
もちろん麻酔はするんですけどね。

リンパ腫系のがん患者は大体やる検査らしいけど
みんなが憂鬱になるという検査(笑)

私の場合もかなりの激痛でした。


でも、先回の治療を経験して思うに
抗がん剤の苦しさに比べれば全然マシです。
(個人的には)

激痛だけど長く続くわけではないし
痛みは歯を食いしばって耐えられても、気持ち悪いのはムリなので。

ちなみに検査の結果は「骨髄への転移なし」
安心しました。


今日のメインイベントも終わって
あとは病室でのんびり過ごしました。

明日は10時から腕に点滴をつないで
14時から抗がん剤の投薬開始です。

体調によってはしばらくブログの更新が止まるので
悪しからず…