31歳サラリーマンの ホジキンリンパ腫闘病記

悪性リンパ腫ホジキン病の発病から完治までの記録

★私の病状と治療メニュー★

【病名:ホジキンリンパ腫 / 発生部位:胸部従隔および肺門リンパ節(鎖骨リンパ節への転移あり) / 進行の程度:ステージⅡ / 治療メニュー:抗がん剤(ABVD)治療2クール+放射線照射】  【2011年3月8日ひとまず寛解】  【2011年11月2日 ホジキンリンパ腫再発と診断。 /発生部位:脾臓(ひぞう)横のリンパ節と脾臓の一部 / 進行の程度:ステージⅢ / 治療メニュー:抗がん剤(ABVD→CHASE→大量LEAD)+自己幹細胞移植】 【2012年6月再発治療終了】

【再発】自宅 /これからの話

2012年06月26日 18時52分56秒 | 闘病記
血液検査とPET検査の予約の為、病院に行ってきた。

体がどうにも重たくて、すぐに体が辛くなってしまう事を医師に相談したら

『少なくとも半年間は絶好調にはならないと思うよ。そういうものだから』と教えてもらいました。

…半年は長いなぁ。



さて、標題の『これからの話』について。

細かく心配事や予定をあげればきりがないけど、当面の大きな気がかりは2つ。


(1)社会復帰はいつごろ出来るのか?

(2)もし、また再発したらどうするのか?


まず(1)

正直、リハビリも出来ない今の体調では いつ社会復帰できるのかなんて全く想像できない。

医師に聞いた話では、移植後3カ月くらいで社会復帰する人が多いらしい。

もちろん医師と相談しながらですが、取り敢えず 秋の復帰を目指して体力をつけていこうと思います。



次に(2)再再発の話。

まぁ… これに関しては今から深く思い悩んでも仕方ない事なので、細かい事はなった時に考えるつもりです。


でもね

治療前にも書きましたが、移植治療を行っても再発する確率は50%以上なワケで。

考え方は人それぞれだし、自分の考え方が正しいとも間違っているとも思わないけれど

性格的に私の場合、この確率で一切何も考えないのは「現実から逃げている」様な気がするんです。


「もしも」の時に狼狽して絶望するのも嫌だし、漠然とした不安におびえて日々を過ごすのも嫌だ。

だから 起こるかも知れない現実に目を向けて、その時『最初の一歩』を迷わず踏み出せるだけの準備はしておきたい。

…面倒な性格だなホントに。


という事で、入院中に医師に話を聞いたり調べたりしてた事を簡単に書きます。


もし再発した場合、これまで以上の治療の手段があるのかどうか?

医師の話によると『治療法は存在する』そうだ。


ごく最近の医療ニュースにも掲載されていたが、海外ではホジキンリンパ腫に特に効果が高い

抗がん剤の組み合わせ(一部新薬)が開発されていて、既に治療が始まっていて実績も出ている。

だけど残念なことに、日本国内ではまだ認可がおりておらず その治療は受けられない。


現在日本では新薬認可に向けて、名古屋の日本赤十字病院で一部の患者に対し治験が行われているらしい。

リスク判定が出来ていない為、一般のホジキンリンパ腫患者はその治験を受けられず、治験の対象は

『通常の治療後再発し、幹細胞移植治療を行い、その後再々発してしまった患者のみ対象』となっている。


つまり、私は再々発したら一応その治験に参加する資格を得るワケです。


あくまでも治験。その治験に確実に参加できる保証もないけど、希望は持てる。

ちなみにこの情報は2012年5月時点の事。

近い将来、この治療が認可されて初発のホジキンリンパ腫患者が受けられるようになると思います。



まぁいろいろと考えていますが、取り越し苦労で済めばそれに越したことはない。

これらの情報を頭の片隅に置くだけ置いて

明るく楽しく希望を持って 家族と一緒にこれから先すごしていきたいですね。

【再発】自宅 /最後の治療を振り返る。

2012年06月22日 17時55分47秒 | 闘病記
2012年5月10日から『37日間』入院して、大量抗がん剤投与と幹細胞自家移植の治療をやった訳ですが

治療体験の整理と情報提供の意味で、この期間を振り返ってまとめておきます。


この振り返りを書く為に、日々の体調を出来る範囲で記録してきたんですけど

『どのくらい辛かったのか』という事を詳細に書いても、これから移植治療をする人に対して

変に恐怖を与えるだけだと思うので、治療した内容と大まかな体調の推移だけ書くことにします。

特筆する情報は★印をつけて追記しときますね。


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【治療準備3日間】 各種検査/胸の「中心静脈カテーテル」挿入/水分の点滴開始(1日3L)


【投与1日目】 抗がん剤(デキサート・エンドキサン・エトポシド)投与/絶食スタート
        ≪体調≫吐き気と強い不整脈あり

【2~3日目】 抗がん剤(デキサート・エトポシド)投与/水分の点滴を「高カロリー輸液」に変更
       ≪体調≫強い吐き気とだるさがこの先延々続く

【4日目】 抗がん剤(デキサート・アルケラン)投与
        ★この「アルケラン」という抗がん剤は、粘膜に強い炎症を起こす副作用がある。
         医師から『投与中に氷をなめると口内の血流が抑えられて口がただれにくいよ』と
         アドバイスをもらい、売店で氷を買って 投与中 必死で氷をくわえていた。
         そのおかげか、口内炎や炎症は全く起こりませんでした♪

【5日目】 何もなし。(抗がん剤を排出する為)


【6日目】 幹細胞移植
        ★凍結保存してある自己幹細胞を解凍して点滴で投与する。
         融けるとすぐに細胞が死んでいくらしく、バタバタと開封して冷たいまま点滴。
         点滴が始まるとすぐに、ものすごいマズイ『味』がし始める。
         いちばん近い表現は『すごい生臭いトマトジュースの味』。
         細胞の培養液のせいらしいが、同じ事を言う患者は多いみたい。
         ちなみに私はトマトジュースが大嫌いです…

【7~9日目】 高カロリー輸液を種類変更/血球をあげる注射開始
          ≪体調≫水分も薬も一切口にできなくなる
           ★元々点滴が苦手な私だけど、この『高カロリー輸液』は特に合わなかった。
            変な表現だけど、甘ったるくてマズイ。体の奥からする匂いで吐きまくった。
            医師に泣きついて種類を変えてもらって、少しマシになった。

【10~11日目】 感染症で2日間発熱→抗生物質の点滴開始(1日5本)
           

【12~15日目】 じわじわだるさと吐き気が治まり始める/水分を少しずつ取れるようになる/毎日の輸血開始
           ★この頃ひどい下痢。下痢というより消化液が漏れ出す感じ。
            我慢とか出来るものでなく、やばい予感がしたら人の手を借りてトイレに行った。
            夜は看護士さんの指示でおむつをはいたが、運よく使わずに乗り切った。

【16~19日目】 吐き気、だるさが抜けて楽になる。/体重はこの時点で治療前から8Kg減。


【20日目】 移植から15日かかって幹細胞生着 / 胸のカテーテルを抜いて腕点滴に切り替え/3分粥の食事開始
        ★生着は『早くて10日、遅くて20日』というガイドラインがあるそうで
         私の場合はほぼ平均的な日数だったみたいです。

【21~25日】 白血球の上昇を待って、移植後20日で白血球6000到達。
         血球をあげる注射と抗生物質、輸血はここまでで終了。


【26~33日】 血球をあげる注射を止めたらどんどん白血球が下がり2600まで低下。
         血小板、赤血球は順調に回復。


【34日】 白血球が再び上昇し始める。/医師から許可が出てめでたく退院   

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以上、ざっと振り返ってこんな経過でした。      

私の経験した経過はあくまでも『参考』です。症状の個人差がとにかく大きい治療ですから。

看護士さんの話だと、私よりも症状が激しく経過が悪い人も多くいるようです。


この治療を経験して思うのは、治療前に体力の蓄えが必要だということ。

当然運動出来る状態じゃなかったので、ひたすら食べる事しかできなかったけど

10Kg近く体重が減っても結構元気なのは蓄えたおかげだと感じます。


あとは辛い時の心の支え。

そばにいてくれた妻や母はもちろん、このブログに頂いたコメントにも

とてもとてもとてもとても力をもらいました。


私を見守り、心配し、励まして下さった皆様。

心から感謝しています! 本当にありがとうございました!

【再発】自宅 /発熱→回復

2012年06月19日 09時42分02秒 | 闘病記
一昨日、17日の午後から発熱。

寒気と共にどんどん熱が上がって夜には39度をあっさり超えてしまって。

今朝になってようやく熱が下がりました。


原因は動き過ぎによる肉体疲労。

家に帰ってから体が思うように動かせないのがもどかしくて

少しずつ体を動かすリハビリをやっていた。

リハビリと言っても、少しの間続けて立っていたり 足を持ち上げたりしてた程度。

次の日は朝から体が重くて、午後から寝込んでしまった。


前にも似たような失敗をしたので、やりすぎないように気をつけていたつもりだったんだけど

今回は自分が思う以上に体が弱っていたみたいです。


心配する家族から『病院に行きなさい!』と何度も言われたけど、原因に心当たりがあったし

一応 血球の数値が上昇してから退院しているので「まず大丈夫」という確信もあって一晩様子をみることに。

なにより病院に戻りたくなかった。多分怒られるし…


結局 次の日の午後になっても高熱が下がらず、家族に引きずられて仕方なく病院へ。


病院で検査した結果、感染の兆候は無く問題なし。

医師から『キミはもう少し移植患者の自覚を持ちなさい』と一喝されました


早く体力を戻したいけど、しょっちゅうこんな高熱がでてはかなわんので

頑張って安静にしときます。


反省

【再発】 やっと退院

2012年06月15日 18時38分29秒 | 闘病記
今日血液検査をした結果、白血球は下げ止まって3000まで上昇。

血小板の数値も順調に上がって、医師からやっと退院の許可が出た。


結果が出たのは午後だったけど、体調も安定していたし

土日を悶々と病室で過ごすのも嫌だったので、荷造りして退院してきました。

と いうことで、今はもう家にいます。



誰にも言わなかったけど、入院前に家を出る時

『ひょっとしたら もうここには帰って来れんかもな…』とか ちょっとだけ考えたりもした。


帰って来られて良かったです。

【再発】病室 /大量抗がん剤投与から31日目

2012年06月13日 15時47分34秒 | 闘病記
今日血液検査をした結果、白血球がさらに低下(2900→2600)。

なかなか思う様には行かんです。


先週妻に『先生が採血の結果が良ければ来週にも退院できるって』と話をしたら

いつの間にか頭の中で「月曜日採血して火曜日退院♪」という予定になっていたらしく

入院が延びてすごいガッカリしてました。


『すごく順調に行けば』と説明してたつもりだったんだけどなぁ…

入院も1ヶ月を越えて、辛く淋しい思いをさせてしまっているので 申し訳ない限りです。


金曜日には数値が上がって退院できますように…!

【再発】病室 /大量抗がん剤投与から29日目

2012年06月11日 17時28分28秒 | 闘病記
今日の血液検査で白血球の数値が2900まで下がってしまった。

5日前に血球を上げる注射をやめてから数値がジワジワ下降しているみたい。

血小板の数値は順調に回復しているけど、注射無しで白血球の数値が下げ止まって

上昇してくるまでは退院の許可は出せないそうです。


でも、医師の話だと幹細胞移植する時の入院期間は『移植後30日間』が目安らしい。

先月18日に移植をしたので、焦らず 今週中に数値が上がるのを期待したいです。



先回の更新以降、一度軽い不整脈を起こしたけど体調はほぼ安定。

食事のリハビリも順調に進んで、形があるものを食べれるようになってきた。


あとは1ヶ月の寝たきり生活でヒョロヒョロになった体をなんとかしたい。

ぼちぼちストレッチ等 軽目の運動を始めて行きます。

【再発】病室 /大量抗がん剤投与から24日目

2012年06月06日 22時52分23秒 | 闘病記
今日の血液検査の結果。

医師が病室に来て『白血球6000!やったね!』とガッツポーズしてくれました

ここ数日37度後半の熱が出たり、腰や足の骨に痛みがあって

「上がってきたかな?」という感触はあったけど、医師の予想以上に順調にいったみたい。


白血球の数値は目標値まで行ったので、血球を上げる注射は終了。

あとは血小板の数値が上昇して 安定すれば退院です。


血小板の数値は現在2万。 退院の目安は13万以上で安定する事。

このまま順調に回復すれば、来週中には退院出来る見込みだそうです。


順調に回復できるように、食事のリハビリを頑張って体力をつけよう。

【再発】病室 /大量抗がん剤投与から22日目

2012年06月04日 16時08分18秒 | 闘病記
今日血液検査をした結果、白血球は2500でした。

目標の3000には届かなかったけど、順調に上昇しているという事で

午後の抗生剤点滴の後、点滴の管を外せる事になりました。

24時間点滴をつながれた不自由な生活からやっと開放です


今後の抗生剤は内服に切り替え。

血球を上げる注射は、白血球が5000を越えるまでは継続していくらしい。

退院の最低条件は輸血が完全に必要なくなる事なんだけど

医師によると、この治療をすると赤血球・血小板の数値が上昇しにくいそうで

それぞれ あと1〜2回の輸血は必要だろうとの事。

退院はまだしばらく先になりそうです、


食事のリハビリは、なかなか思うように進まない。

三分粥→五分粥→普通のお粥と徐々にステップアップはしているけど

お腹が下る症状が一向に収まらず、次のステップへのハードルはかなり高い。

油物や硬いものはまだ胃が受け付けないし、煮た野菜や果物なんかは

よく噛んで食べるけど すぐにアゴが疲れてしまう。

は〜早く普通にご飯が食べれるようになりたいです。



次の採血は水曜日。

この調子で白血球5000を突破してますように。

【再発】病室 /大量抗がん剤投与から19日目

2012年06月01日 15時41分38秒 | 闘病記
今日の血液検査の結果、白血球の数値は1100でした。

1000を突破したので、幹細胞の生着確定です!

これで 医師の言う『峠』は越えた訳だ。

生着の兆候がなかなか現れずにヒヤヒヤしてましたが、これで一安心です。


投与から生着に至るまで、特に最初の10日間程は 本当にきつかった。

つい最近の事なのに、 既に記憶があやふやになってる部分もあります。

途切れる事がない苦しみに耐えながら、ひたすら天井を見つめてプルプルしていた。


後半は精神的にギリギリの状態になって ネガティブな思考に頭が支配されて

不安や絶望が膨らんで卑屈な気持ちになって、そんな自分への嫌悪感で更に落ち込んで

もうどうにもならなかった。

幸い、声を出すのも辛い状態だったから 周りの大切な人達を傷つけずに済んだけど

あんな思いは二度としたくないなぁ…



今後のスケジュールについて。

無事生着したとはいえ、血球の数値がなかなか上がらない状態はまだ続いていて

引き続き輸血と抗生剤の点滴、血球を上げる注射は継続していきます。

採血で白血球が3000を超えたら、抗生剤を内服に切り替えて点滴から開放です。


食事は昨日から3分粥の流動食が始まっています。 これがまた不味い事… 

絶食中あれほど食事したかったのに、全く食が進まない魔法のような食事。

美味しい物を食べる為のリハビリだと思って頑張ります。


次の採血は月曜日です。