西風に吹かれて

日本の西端にある基地の街から、反戦や平和の事、日々の雑感を綴ります。

議会傍聴

2012-09-13 22:42:44 | 石木ダム
朝から、佐世保市議会本会議の傍聴に出かけた。



本会議初日に、企業会計決算議案が上程され、企業経済委員会に付託され審議されることになっていた。

上程された案件の中には、佐世保市立総合病院、佐世保市交通局とともに、佐世保市水道局の23年度の決算が含まれており、どういう結論になったのか、またどういう反対討論が行われるのか、ぜひ聞きたいと思ったのだ。




平成23年度水道事業決算についての反対討論は共産党のY市議のみ。

しかし、この反対討論がすばらしかった。

要約すると

<平成23年度決算は、約20%の水道料金値上げが年間通して市民に圧迫をもたらした。また、この値上げにともない、一般会計から2億の財政投入、1億の借り入れがおこなわれ、水道事業会計を支えなければいけなかった。

厳しい水道事業経営なのに、必要性もなく実現性もない、石木ダム建設事業推進に財政投入した決算になっている。

一般会計からは年間3億の支援を受けなければならないのに、100億を超える北部浄水場統合事業に着手した。大手巨大企業に儲け口を提供するためではないのか?

石木ダムを必要とする水需要予測値は、一日平均配水量8万4901トンとされていた。決算値(実績値)は7万1153トン、その差1万3748トン、約2割の見込み違いだ。
では、一日最大配水量はどうか。予測値は、日量10万5730トン、決算値8万240トンにすぎなかった。その差日量2万5490トン。25%の見込み違い。

有収水量は予測値は7万2336トンに対し、決算値6万2345トン。その差9991トン、14%の見込み違い。給水収益額に換算すると、8億3千万円の損失である。正しい予測値であれば、59億6400万円の給水収益があがっているはずなのに、決算における給水収益は51億3000万円にとどまっている。8億3000万円の大きな違いだ。この事実の前にたまらず水道局長は「単年度、単年度の予測値が正しいとはいっていない」と、とうとう石木ダム必要性の土台になる水需要論の誤りを部分的ではあっても認めることになった。
それでも水道局長は「将来的には必ず予測値は正しいものと確信している」となお、土俵際で踏ん張る見解を表明した。>


水道局長は、Y市議の反対討論中、ずっと下を向いたまま顔を上げることがなかった。
とても顔など上げてはいられない心境だったに違いない。

さらにY市議は続けて

<もうひとつ、決算が明らかにしたもの、渇水対策がきわめて意図的に行われ、「いかに佐世保の水不足が慢性的構造的なものかと世論誘導行ってきたものか、明らかになった。
昨年8月10日、佐世保市水道局は、渇水危機の記者会見を行ったが、川棚川からの取水実績を聞くと、平均日量1万2000トン、1万3000トンもあった。
8月10日の下の原ダムの貯水率87%、貯水量191万トン南部水系で市民の使用する水量は、日量2万7000トンである。
川棚川からの取水を一滴も行わない、雨も全くふらなかったとしても下の原ダム貯水量でもって、71日間、2カ月以上も持ちこたえることができた。
それを、水が足りないと、渇水危機をあおったのか?

電力が足りないといって、原発再稼働を迫ってきた構図と同じように、水が不足しているとあおって石木ダム建設促進をはかる行政のゆがみは極限に達している。>


と、市と水道局を厳しく断罪された。

Y市議と社民党の4人の市議が反対しただけで、平成23年度の水道事業決算は賛成多数で認められたが、今日の議会を傍聴していた市民には、真実がはっきりと見えたはずだ。

黒い物質

2012-09-10 20:31:49 | 原発事故
高濃度に汚染された“黒い物質”が、東日本各地に点在しているという。

南相馬市の市議会議員・大山こういちさんは、この黒い物質を発見し、早くから危険だと警鐘を鳴らしてこられた。

大山さんのブログ
http://mak55.exblog.jp/

大山さんが、この黒い物質を東北大学に送り、調査を依頼したところ、この物質は「藍藻(らんそう)」という微生物の可能性があると指摘された。そして、この微生物が地表や雨水に含まれる放射性セシウムを吸収したのではないか…とのことだった。


この“黒い物質”は東京都内でも見つかっている。






"黒い物質"を追う:志葉玲・小出裕章



学者でもない普通の市民たちが、自分たちで調べ上げ、子どもたちやこれからの世代が生き延びるため、自衛のために奔走しているのに、政府は何をしているのだろう?
国会議員たちは何をしているのだろう?学者たちは何をしているのだろう?


この国の為政者たちは、国民を完全に見捨てるのだろうか?








立ち込み?!

2012-09-09 21:55:44 | 反戦・平和
毎月9日は、定例の「反核座り込み」の日だ。

いつもは四ヶ町アーケードに面した島瀬児童公園前の広場に、耐寒用のシートを敷いて座り込むのだが、今日は島瀬公園も松浦公園も塞がっていて使えない。

佐世保市の公園課に行って空いている公園を聞くと、四ヶ町入り口の三角地帯の公園だけが空いていて、仕方なくそこに座り込むことになった。

しかし、今日は夕方から激しい雨。

屋根もない吹きっさらしの場所では、横殴りの雨で、座り込むどころか立っているのも大変な状況だ。



こんな中、知的障がい者の太鼓演奏のプロ集団「瑞宝太鼓」のメンバーの方々が立ち寄って、さすがにこの雨の中、太鼓の演奏はできなかったものの、笛とシンバル、鈴などで演奏をしてくださった。





17日に佐世保コミュニティセンターで演奏会をされるのだとか…。

沢山の参加者があるといいな~。


雨脚はますます激しくなり、とうとう30分ほどで“座り込み”は終了。

でも、地区労が動員してくれたからか、雨の日曜日だというのに50人もの参加だった。

来月は、いつもの場所でちゃんと座り込まなきゃね。


促進パレードの新聞記事

2012-09-08 21:05:31 | 石木ダム
昨日の新聞には、一昨日の「水を大切にする日」のパレード、実は石木ダム建設促進一色のパレードの様子が大きく取り上げてあった。



しかし、パレードが始まる前に、私たちが「ダム建設反対」のチラシを配ったことを載せていた新聞は2社しかなかった。






私たちの反対運動を載せるか載せないか、これは大きな違いである。

「石木ダム建設は佐世保市民の願い」ではなく、佐世保市役所や一部の市民の願いであること。

それに、先日のアンケートでもわかるように、市民の大半は佐世保が水不足だともダムが必要だとも思っていないこと。

私たちの運動が掲載されることによって、それらのことが少しづつではあるけれども、市民や県民に認識されていくのではないか…。

そう思えるからである。

新聞紙上には、「石木ダム建設は佐世保市民の願い」という横断幕の写真が大きく取り上げられていたが、今年は新バージョンも登場。

「水不足は続いています 今までも これからも」



これって、わけがわからん!  思わず笑ってしまったけど…。


水を大切にする日

2012-09-07 20:28:03 | 石木ダム
昨日は、佐世保市が定めた「水を大切にする日」だった。



平成6年の大渇水による長期の制限給水を教訓に、制限給水に入った9月6日を「水を大切にする日」として定めたのだと言う。



最初は平成6年8月1日、北部地区から制限給水が始まった。1月ほど遅れて南部地区も制限給水に入り、9月6日佐世保市内全域が制限給水に入ったのだった。

当時、痴呆症の父を抱え大変な思いをしたことを覚えている。
幸い我が家には井戸があり、沸かせば飲むことも出来るという良質の井戸水だったので、洗濯はすべて井戸水でまかなった。

今でこそ井戸水はモーターで汲み上げているが、その頃は手動式のポンプ。
バケツに汲んで、洗濯機まで運ぶのも一仕事だった。


この年は西日本各地で少雨が続き、福岡市でも高松市でも佐世保より長い期間に亘って、制限給水が続いた。
そこで、福岡市では節水条例を定め市民一丸となって節水に取り組み、海水淡水化で水を確保した。
大渇水になると、当然ダムの水も干上がるからである。

しかし、佐世保市はこのことを言わない。
あの時のような大渇水に備えて「石木ダム」を作らなければならないと言うのである。

節水条例を作ったり、新築の住宅には節水機器を義務付けたりといろいろな対策が考えられるのに、佐世保市では「石木ダム」建設だけが、渇水対策なのだ。

そして、「水を大切にする日」といいながら、実態は「石木ダム建設促進」一色のイベントをやるのである。

昨日は、午後6時から市長をはじめ県議、市議の議員たちが島瀬公園に勢ぞろい。
「慢性的な水不足解消のために、一日も早い石木ダムの実現を」とぶち上げた。



新聞では600名の参加となっていたが、3分の1は市の職員や水道局の職員、あとは水道局の下請け業者などからの動員で、仕事帰りのサラリーマンが多かった。



さすがに、残暑が厳しいからか「促進市民の会」のご老人たちは少なかった。



この会に先立ち、私たちは島瀬公園横で、「石木ダムありきのやらせパレード反対」のチラシ600枚を配ったが、1時間ほどで配り終えた。

私たちをダム賛成派だと思い込んで、「ダムには反対だからチラシはいらない」と言った人も数人いたし、自分も石木ダムには反対だと言って長いこと話し込まれた人もいた。
また、「頑張ってください。」と声をかけてこられた人もいて、佐世保市民の意識も随分と変わってきているのではと思われた。