西風に吹かれて

日本の西端にある基地の街から、反戦や平和の事、日々の雑感を綴ります。

ご冥福をお祈りします

2011-11-17 09:10:38 | 反戦・平和
「佐世保空襲を語り継ぐ会」の事務局長だった山口英雄先生が亡くなられた。
昨夜、会の代表であるW市議から連絡を受け言葉を失った。



食道がんで手術をされたことは知っていたが、手術後お元気になられて「元気になりましたよ。」と笑顔で話されてから、まだ半年も経っていないのだ。

先生は「語り継ぐ会」の事務局長であると同時に、43年間反基地のデモを続けている「19日佐世保市民の会」のメンバーでもあった。

物静かでいつもにこにこされていた。メカに強く、IT機器にも詳しかった。
「先生、ご専門は電気ですか?」と聞いた私に、「いえいえ、小学校の教師だから何でも屋ですよ。」と言われたっけ。

一人でこつこつと歩き回って調べ上げ、本にされた「軍港佐世保の今と昔」は労作である。



佐世保市内と近郊に残る日本帝国海軍の戦跡と現在の自衛隊、米軍基地を探して、記録し残された。
この本は、子供たちに平和の大切さを教えていく教師のための「虎の巻」となる貴重な1冊だ。
記事も写真も製本さえもすべて一人で作成された、文字通りの労作なのだ。

追加注文しても、「手作りなのですぐには出来ません。」と断られたりしたな~。

東京の友人にこの本を送ったら、直接、先生に感想とカンパが送られてきて、とても喜ばれていたのを思い出す。

みなさん高齢の空襲体験者の中では一番の若手で、会を牽引されていた方だけに残念でならない。

ご冥福をお祈りしたいと思う。




さよなら原発!福岡一万人集会

2011-11-13 23:03:39 | 原発事故
今日は朝から、友人のIさんご夫妻と「さよなら原発!福岡1万人集会」に出かけた。

午前10時、集会場所の福岡・舞鶴公園にはテントが張られ、舞台の上では沖縄のエイサーが舞われている。舞台の両脇にもテントが張られ、本・Tシャツ・野菜・食べ物などの出店がずらりと並んでいる。



でも、参加者は少ない。う~~ん、1万人も集まるのだろうか?

Iさん夫妻と一緒に公園内の出店を見て回る。おいしそうなお弁当やチヂミ、おにぎりに水餃子とお昼が楽しみになるメニューがいっぱい。

私は、Peaceと書かれたTシャツと1万人集会の記念バッチと見たかったのにとうとう見にいけなかった映画「チェルノブイリハート」のガイド本を買った。

11時20分、舞台上ではシンポジウムが始まった。公園入り口からはのぼりを立てた集団がぞくぞくと入ってきている。すごい数だ。1万人も集まるだろうかと心配したのが嘘みたいだ。





シンポジストは福大名誉教授の石村善治さん、九大教員の出水薫さん、鹿大教授の木村朗さん、元慶大助教授の藤田祐幸さん。



それぞれの脱原発の思いを話されたが、10日ほど前にお話を伺ったばかりの藤田さんのお話は、さらに強い明快なメッセージだった。
「目標は2つしかない!今すぐ原発を止めること。今すぐ福島の子供たちを助けること。」

ここで中休み。

こんなに人が多いからとても会えないだろうと思っていた熊本のKさんとも佐賀のBさんとも出会えた。日頃の行為のせいかな? 



13時、集会再開。

主催者から、今日の参加者が1万5千人であること、入り口で行っていた集会賛同の署名が6千人を越えたことが発表されて会場はどよめいた。

今日の集会の呼びかけ人を代表して12名の方々が発言され、集会宣言を採択して集会は終了し、3つのコースに分かれてデモに移った。(パレード?私ら世代はやっぱりデモだ!)
15時、デモは天神で流れ解散となったが、人波は後から後から続いていた。





さよなら原発!福岡一万人集会

Avaaz.org からのメール

2011-11-09 11:41:56 | 原発事故
以下のようなメールが、市民運動の窓口として使っている夫のメールアドレスに贈られてきた。
これまで、Avaaz.orgという団体の名前など聞いたことがなかった。
どんなことをやっているのかも知らなかった。

調べて見ると、『米国に本部を置く国際的なNGO組織で、グローバル市民擁護団体Res PublicaとオンラインコミュニティーMoveOn.orgにより共同設立され、2007年1月より活動を開始している。』とあった。
そして、環境問題や人権、宗教紛争と言ったことを主な活動としていることが分かった。

また、[ Avaaz ]という言葉は、ヒンディー語・ウルドゥー語・ファルシー語・ボスニア語・トルコ語・ネパール語・ダリー語を含む数言語で、”声”又は”歌”を意味する。
とも書いてあった。

私など、日本に住み何かしなければとの思いを持ちながらも、どんなことをやればいいのか、いまひとつ掴めぬまま署名活動をやったり映画会を計画したり、右往左往の毎日だけど、世界の人たちも福島のために動いているのだ!

頑張って行こう!


日本在住の皆様へ


福島の勇気あるお母さん達が、自分の子供達を避難させる為に抗議行動を始めました。しかし 、日本政府はこれらの人々の避難に対して何らの援助も行っていません。福島の子供達を守る為に、大規模な国民の抗議が総理大臣を説得できる唯一の手段です。二日後に日本政府はこの問題について緊急会議を開催します。福島の子供たちを救おう!

今現在、福島市とその付近では、数千人の地元住民が、高レベル汚染地区に閉じ込められています。黒い雨が空から降り、地元の農作物は汚染され、津波によって住む場所をなくした家族やその子供達は避難することもできません。それでも政府は彼らを助けることを拒んでいます。

そこで福島の女性たちが動きだしました。日本中から数百人のサポーターが集まり福島の子供たちが避難するための支援を野田総理大臣に求めるため、東京の経済産業省前に座り込み、訴えています。私たちも彼女達と供に訴えることができます。

これは事実上、彼らの命をかけた行動です。放射能汚染の真只中にいる子供達には、時間がありません。 プレッシャーを感じ始め、日本政府は48時間後に緊急会議を開催する予定です。福島の母と子供たちをサポートしよう!子供達の健康と未来のために嘆願書に署名し、家族や友人に転送してください。署名が2万に到達すれば、野田総理大臣に直接届けられます。


http://www.avaaz.org/jp/save_the_fukushima_children_1/?cl=1373881623&v=10927

我が国は今、選択すべき時にある。家族の価値観を大切にし、全ての子供たちの未来のために国家を再建していくか、困難に直面する人々に対して、このまま見て見ぬ振りを続け見捨てるか。福島に住む家族には一刻の猶予もない。日々大量の放射能を浴び、深刻な健康被害のリスクを高めている。

長期的な放射線被曝は、今日の子供たちだけでなく、その子供たちの子供たちまで、何世代にもわたって悲惨な影響をもたらす。チェルノブイリの事故後、旧ソ連は現在日本で問題となっている地域よりもはるかに低い放射能汚染地区の住人も避難させた。放射能で汚染された地域に取り残された福島市の子供たちは、自主避難に対する政府の援助無しに、この健康を脅かす深刻な状況から抜け出すことはできない。それにもかかわらず、日本政府は汚染レベルが、25年前のチェルノブイリ事故後に旧ソビエト政府が強制避難地区に設定した基準の4倍に達するまで、避難地区の対象としない。

何万もの日本人が力を合わせてこの状況に警報を鳴らせば、情勢を変え多くの家族に希望をもたらすことができる。日本の皆で共に抗議の声を上げ、野田総理大臣に国の信用に関わる問題であることを示し、立ち上がって人々の命を救うよう説得しよう。 緊急会議は二日後に開催されます-- 今すぐ嘆願書にあなたの署名を!ご家族やお友人にこのメールを転送してください。


http://www.avaaz.org/jp/save_the_fukushima_children_1/?cl=1373881623&v=10927

3月11日、大地震に見舞われた日本は、今もまだその破壊の規模を受け入れようとしている。しかしこの荒廃の中に、国家再建のチャンスがある。私たちの国は今までにないほど団結し、日本のすべての人々のために、よりよい国にしていこうと行動し始めている。今こそ日本の子供たちとその子供たちの子供たちのために、健全な未来の土台を作っていこう。

希望を込めて

やっと

2011-11-07 21:47:34 | 日記
9月9日にプツンと切れて、どうしても立ち上がらなかったパソコンが、修理を終えてやっと戻ってきた。

パソコンを買いなおすにも先立つものが必要だし、なにより6月に買いなおしたばかりのパソコンだ、また買いなおすなんてとんでもない!
…というわけで、メーカーに修理に出してもらい返って来るのを待ちに待っていた。

戻ってくるまでの間、動きが悪くすぐ固まる古いパソコンをひたすら大事に使い続けてきた。
繋ぎおえての感想は、「パソコンってこんなに早かったんだ!」


で、ニューパソで作成の最新記事は土曜日にあった中学校の「同期会」のことを。



私は昭和38年に佐世保市立福石中学を卒業した。卒業以来一度も同期会などなかったのだけど、4年前「還暦」を迎えたときに、市内の中学校全部のS38年の卒業生が集まって還暦同窓会なるものを開催し全国から2000人の卒業生が集まった。

それを契機に、福石中学38年卒業同期会では「元気に動けるのもせいぜいあと10年。2年ごとに顔を見せ合おう!」と決め、今回は2回目の顔見せの会開催となったのだった。





私たちは団塊の世代と呼ばれる戦後ベビーブームの生まれである。
1学年が780人と多いからかも知れないが、遠くは茨城・千葉から75人が集まった。

顔も名前も覚えていない人も多いけど、そこは同期、何だかみんな和気あいあいと楽しんで、おしゃべりに花が咲き大いに盛り上がった。

「また2年後に会いましょう!それまで元気で。」と乾杯をして別れたが、はたして2年後、私は元気でいるかな?









脱原発社会へ

2011-11-02 21:09:00 | 原発事故
今日は、グリーンコープ主催の脱原発学習会に出掛けた。



講師は元慶応大学助教授の藤田祐幸さん。



今から7年ほど前まだ大学に勤務されていたとき、反原発の活動家だったKさんと一緒に、先生を佐世保にお呼びして講演会を開いたことがあった。

それから半年ほどして、先生はわが夫の出身地である大瀬戸町雪浦に引っ越してみえた。
引越しの挨拶状を戴いたが、それには自宅から玄界灘が見えると記されていて、「それは違う、あの海は角力灘と呼ばれていて、東シナ海だ。」と夫が力説したことを覚えている。

今日の講演会はすごく大事な話、大変な問題をわかりやすくお話してくださったのに、参加者が少なくて本当に勿体なかったな~。



原発を稼働させなくても日本の電力は充分足りること、ガスや石油によって電気を作りその電気によって暖房するよりも、直接、石油やガスを使って暖房したほうがエネルギーは3分の1で済むことなど「そうなんだ!」と納得できる話ばかりだった。



日本のマスコミは本当のことを報道しない。

福島から大気中に排出された放射性能によって、ヨーロッパ・グリーンランドも汚染された。そのことはノルーウェーから全世界に報道されている。フランスからも情報が流れている。韓国の上空を福島から出た汚染された大気が流れたとき、韓国の学校は休校になり、子供たちは家の中で過ごした。
しかし、同じ頃に汚染大気が流れた九州の子供たちは、マスクもせず学校に通い戸外で遊んでいた。


ソ連はチェルノブィリ原発事故によって崩壊した。
それは多くの汚染された町や村から人々を移住させ、事故処理に国家予算の何倍ものお金がかかったからだ。

日本は、ソ連よりもひどい国である。福島県民100万人は移住すべき人たちなのに、日本という国がなくなることを恐れて、国民を犠牲にしていると語気を強めて話された。

そして、あなた方一人一人が黙っていないで、声を上げることだと締めくくられた。

藤田先生、もちろんです!
微力ですが、声を上げます!小さな力でも集まれば大きな力になる。

微力だけど無力ではない!