原発再稼動反対の首相官邸前デモや大飯原発前での座り込みには、多くの若者が参加していた。
小さい子どもを連れて、家族で参加している人も多かった。
田中龍作ジャーナルには、小さな子どもを抱いた母親が機動隊と対峙する写真が載っていた。
(田中龍作ジャーナルより転載)
それらを標的にして、ネット上でデモを誹謗中傷するような攻撃が続いている。
曰く、「子どもを危険な場所に連れて行く親の神経は異常」等々。
こんな中、脱原発の運動を支持するジャーナリストのお一人だと思い込んでいた江川紹子氏も小さな子どもを抱える母親に対して「一般市民に共感されない。脱原発の気運を殺ぐ。」と発言された。
そうなのだろうか?
私は、この写真を見たとき「運動の側に、こんな人たちが出てきたのだ。」と大いに感激した。
どこの政党にも属さない一般の母親たちが、ツイッターでの呼びかけに応じて、デモや座り込みに参加していく。おそらく初めて参加する母親たちも多いに違いない。
子どもを連れて参加することは常識ハズレなのか?教育上、慎むべき行動なのだろうか?
もう、30年?ほど前になるが、まだ子どもたちが学校に上がる前、私たちも原子力空母の佐世保寄港に反対する全国集会に参加したことがあった。
夫が下の子を背負い、私が上の子の手をしっかり握り、一家で参加した。
子どもたちのためにも、原子力空母の寄港にはしっかりと反対しなければとの気持ちからだった。
原子力空母の寄港を、基地の街ゆえの宿命などとすることはできなかった。
いやなものはいやだ!と意思表示したいと思ったのだ。
1982年の石木ダムの強制測量のときも、子どもたちも反対の座り込みに参加した。
自分たちの住む家がなくなるかもしれないのだ。今の生活ができなくなるかもしれないのだ。親と一緒に座り込むことは、至極当然のことではないか。
「危険な場所に子どもを連れて行くべきではない」というが、原発再稼動のほうが、よっぽど危険なのではないか!
これらの行動が教育上問題だとする人のほうが、問題があるように思われる。
小さい子どもを連れて、家族で参加している人も多かった。
田中龍作ジャーナルには、小さな子どもを抱いた母親が機動隊と対峙する写真が載っていた。
(田中龍作ジャーナルより転載)
それらを標的にして、ネット上でデモを誹謗中傷するような攻撃が続いている。
曰く、「子どもを危険な場所に連れて行く親の神経は異常」等々。
こんな中、脱原発の運動を支持するジャーナリストのお一人だと思い込んでいた江川紹子氏も小さな子どもを抱える母親に対して「一般市民に共感されない。脱原発の気運を殺ぐ。」と発言された。
そうなのだろうか?
私は、この写真を見たとき「運動の側に、こんな人たちが出てきたのだ。」と大いに感激した。
どこの政党にも属さない一般の母親たちが、ツイッターでの呼びかけに応じて、デモや座り込みに参加していく。おそらく初めて参加する母親たちも多いに違いない。
子どもを連れて参加することは常識ハズレなのか?教育上、慎むべき行動なのだろうか?
もう、30年?ほど前になるが、まだ子どもたちが学校に上がる前、私たちも原子力空母の佐世保寄港に反対する全国集会に参加したことがあった。
夫が下の子を背負い、私が上の子の手をしっかり握り、一家で参加した。
子どもたちのためにも、原子力空母の寄港にはしっかりと反対しなければとの気持ちからだった。
原子力空母の寄港を、基地の街ゆえの宿命などとすることはできなかった。
いやなものはいやだ!と意思表示したいと思ったのだ。
1982年の石木ダムの強制測量のときも、子どもたちも反対の座り込みに参加した。
自分たちの住む家がなくなるかもしれないのだ。今の生活ができなくなるかもしれないのだ。親と一緒に座り込むことは、至極当然のことではないか。
「危険な場所に子どもを連れて行くべきではない」というが、原発再稼動のほうが、よっぽど危険なのではないか!
これらの行動が教育上問題だとする人のほうが、問題があるように思われる。
記事を書いてUPしてしまうと、ほっとしてなかなか読み返すこともしないので、こんなに遅くなってしまいます。
ごめんなさい。
私もcosmosさんがおっしゃっているように、
>むしろ共感する人が増えるのでは?脱原発の機運が上がるのでは?
と思います。現に、この写真を見た私は若い母親たちの勇気に感動したのですから。
実際に江川さんが何と言ったのか、どういう意味で言ったのか、私は全文も前後の言葉も知らないので、決めつけたくはないけれど、「一般市民に共感されない。脱原発の気運を殺ぐ」とは思いません。
むしろ共感する人が増えるのでは?脱原発の機運が上がるのでは?
なぜなら、彼女が何故脱原発を叫ばずにはいられないか、彼女が守りたい宝物をしっかりと胸に抱いているのですから。