8月も終わりに近くなる時期には、毎年もう30年以上前になってしまった高校生の頃を思い出します。
夏休みの初めの10日間ほどバイトして、その金で映画を見に行ったりプールに行ったり、私の家は田舎だったので(今でもそこに住んでますが)、映画館や市民プールがある熊本市まで暑い中、自転車で往復していました、(今とあんまり変わらないような・・・)。
だけど夏休みの毎日を遊びまわるほど金が続くわけはなく、40日ほどある夏休みの80%は蚕(かいこ:絹を吐き出して繭をつくる虫)の餌である桑の葉が乾かないように雨戸を締め切った暗い家の中で本を読んで過ごしていました。
ただ長く暑く退屈で、早く学校が始まらないかと思い、百姓の仕事だけはしたくないと思い、この地を1日でも早く出ていきたいと思っていました。
あの頃の気持ちを思い出すと、果てしなく広い湖の乾いた底に呆然と立っている自分というイメージがいつも浮かびます、途方に暮れて、行き先さえ定まらない、自分がそこに立っていることさえ怪しくなってくる。
結局、百姓から完全に逃れられず、その地を逃れられず、高校時代から抱えている問題に解答を見つけられず、50歳をとうに過ぎてしまったのですが。
夏休みの初めの10日間ほどバイトして、その金で映画を見に行ったりプールに行ったり、私の家は田舎だったので(今でもそこに住んでますが)、映画館や市民プールがある熊本市まで暑い中、自転車で往復していました、(今とあんまり変わらないような・・・)。
だけど夏休みの毎日を遊びまわるほど金が続くわけはなく、40日ほどある夏休みの80%は蚕(かいこ:絹を吐き出して繭をつくる虫)の餌である桑の葉が乾かないように雨戸を締め切った暗い家の中で本を読んで過ごしていました。
ただ長く暑く退屈で、早く学校が始まらないかと思い、百姓の仕事だけはしたくないと思い、この地を1日でも早く出ていきたいと思っていました。
あの頃の気持ちを思い出すと、果てしなく広い湖の乾いた底に呆然と立っている自分というイメージがいつも浮かびます、途方に暮れて、行き先さえ定まらない、自分がそこに立っていることさえ怪しくなってくる。
結局、百姓から完全に逃れられず、その地を逃れられず、高校時代から抱えている問題に解答を見つけられず、50歳をとうに過ぎてしまったのですが。