エルサレムの北東郊外にあるパレスチナ自治区
人口2万数千の町アナタ。
ここにイスラエル警察との衝突に巻き込まれて
10歳の娘を失った父がいる。
バッサム・アラミンさん(38)。
1月16日、学期末の試験を終えたバッサムさんの娘アビールさんは、試験勉強を手伝ってくれた母親へのおみやげを買うため、学校の向かいの雑貨店に入った。
『永遠に愛しています』と書かれたカードを買い、外に出るとイスラエル国境警察の装甲車が止まっていた。それから何が起きたかは分からず、情報が錯綜している。
投石してくる子供らに国境警察がゴム弾や催涙ガスを撃ってアビールさんらが巻き込まれたとニュースでは伝えられた。だが、近くに住む保険代理店経営のサラマさん(51)は「投石などなかった。」とも述べている。
アビールさんは後頭部を強打され、2日後に亡くなった。
父親のバッサムさんは、17歳だった85年から7年間、イスラエル軍への抵抗闘争でイスラエルの刑務所に服役した。
そこでヘブライ語を学び、パレスチナ人の権利を否定するイスラエル人看守と対話を続けた。
「ナチスのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の犠牲者が、逆に加害者になっている」とねばり強く語った。
バッサムさんは言う。
「看守は8ヶ月の対話を経て、我々の権利を支持すると言ってくれた。このとき、私も対話による和解しかないと悟った。」
バッサムさんら元戦闘員と元イスラエル兵士たちが、「平和のための戦士」という団体を立ち上げたのは2年前。偶然にもアビールさんが倒れた1月16日だった。メンバーは約300人。イスラエルとパレスチナの双方で集会を開き、体験談を話している。
バッサムさんは「娘の死を無駄にしたくない。暴力では解決できないことを再び訴えていく。」と語り、間もなく活動を再開する。
<07.1.30 朝日新聞より抜粋>
人口2万数千の町アナタ。
ここにイスラエル警察との衝突に巻き込まれて
10歳の娘を失った父がいる。
バッサム・アラミンさん(38)。
1月16日、学期末の試験を終えたバッサムさんの娘アビールさんは、試験勉強を手伝ってくれた母親へのおみやげを買うため、学校の向かいの雑貨店に入った。
『永遠に愛しています』と書かれたカードを買い、外に出るとイスラエル国境警察の装甲車が止まっていた。それから何が起きたかは分からず、情報が錯綜している。
投石してくる子供らに国境警察がゴム弾や催涙ガスを撃ってアビールさんらが巻き込まれたとニュースでは伝えられた。だが、近くに住む保険代理店経営のサラマさん(51)は「投石などなかった。」とも述べている。
アビールさんは後頭部を強打され、2日後に亡くなった。
父親のバッサムさんは、17歳だった85年から7年間、イスラエル軍への抵抗闘争でイスラエルの刑務所に服役した。
そこでヘブライ語を学び、パレスチナ人の権利を否定するイスラエル人看守と対話を続けた。
「ナチスのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の犠牲者が、逆に加害者になっている」とねばり強く語った。
バッサムさんは言う。
「看守は8ヶ月の対話を経て、我々の権利を支持すると言ってくれた。このとき、私も対話による和解しかないと悟った。」
バッサムさんら元戦闘員と元イスラエル兵士たちが、「平和のための戦士」という団体を立ち上げたのは2年前。偶然にもアビールさんが倒れた1月16日だった。メンバーは約300人。イスラエルとパレスチナの双方で集会を開き、体験談を話している。
バッサムさんは「娘の死を無駄にしたくない。暴力では解決できないことを再び訴えていく。」と語り、間もなく活動を再開する。
<07.1.30 朝日新聞より抜粋>
知らないうちに、傷つき、傷つけられて。
あからさまな暴力でないにしろ、
家族が暴言はいたり、冷たい仕打ちをしたときに、
平和的な応対を出来るか、
そういう心でいられるかと、問うたとき、
難しいなとつくづく思います。
家族ですら。。。一瞬でも許せない自分が居て。
これを読んで、、こんな自分の心をきれいに洗ってくれた気がした。勇気も沸いてきました。
バッサムさん、心底痛んでいる。“それでも”ひとはこういう選択もできるのだと、身を持って示してくれています。自らの足りなさに嫌気が差していても、ひとの精神性に感動するのはこういう時です。わたしも心洗われ、勇気が湧きました。光はどこか遠いところにあるのではなくて、闇の中にこそ光がありますね。選択できるのだという希望の光が。
でも、怒り狂ったところで、解決なんかしない
んですよね。
・・それから・・どうするかですね・・。