空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく

1. ぼくら寿命まで生き残りたいねん

2007-10-02 17:12:41 | こころに残るはなし
『オラ、こんな山嫌だ
雑木林消え腹ぺこ、眠れぬ
真冬なのに里へ…射殺
ツキノワグマ環境破壊に悲鳴』(1992.1.14 朝日新聞夕刊)

1992年。
ひとつの新聞記事が兵庫県尼崎市立武庫東中学校の生徒たちと
森山まり子先生という理科教師を動かしました。実話です。

現在彼らは「かつて森を消した文明は全て、滅びている」ということを胸に<日本熊森協会>という活動にまでそれを育てました。そこが出している小冊子『クマともりとひと』よりの抜粋です。

 ──────────

「クマは本来森の奥にひとりでひっそりと棲んでおり、見かけと正反対で大変臆病。99%ベジタリアンで、肉食を1%するといっても昆虫やサワガニぐらい。人を襲う習性など全くない。」
<ツキノワグマ日記/宮澤正義著>
宮澤さんは人間が入ることなどほとんどなかった数十年前の長野の山奥で、1日に20頭のツキノワグマとすれ違っていた。けれども何かして来たクマなど1頭もいなかった---。

 ‥‥‥‥‥

ある女生徒が持ってきた新聞記事(冒頭の記事)を授業で読んだ後のことでした。当時、自然保護運動にマイナーで憂鬱で絶対したくないというイメージを持っていた森山先生でしたが、真剣な顔で
「かわいそうやんか。助けてやろうや。」
という生徒たちに押されるように調べはじめ、そんなことに取り組む団体がないことを知ります。生徒たちは顔を合わす度に
「先生、『クマ守れ』言う人、現れた?」と、きいて来ます。
返事に困り、追い詰められたような気持ちになってついに同じ学校の理科教師3人と<野生ツキノワグマを守る会>を立ち上げます。
「みんなにやいやい言われていた、クマを守ってやろうという話だけどね。誰も守る人はいなかったんよ。それで、先生たち、『野生ツキノワグマを守る会』という会をつくりました。声をあげてみるね。」

 ‥‥‥‥‥

その日、私が職員室で仕事をしていると、何人かの生徒たちが思い詰めたような顔をして、私の机の方に向かってきました。
一人の男の子が「先生、『野生ツキノワグマを守る会』に、ぼくらを入れてください。ぼくら、あの新聞記事を読んで、胸が痛くて耐えられないのです。」と言って胸を押さえ、本当に苦しそうでした。
私は現代っ子がこのことにそこまで苦しんでいたなんて想像もしていなかったので、本当にびっくりし、胸がいっぱいになりました。でも、生徒を入れると、生徒を扇動したなどと批判されるだけだと思ったので、断りました。すると次の日、今度は生徒たちは4~5人ずつのグループになって登場しました。
「先生、本日『野生動物を山に返そうの会』を結成しました。」
「『ツキノワグマよみがえれの会』を結成しました。」
「『熊の会』を結成しました。」などと、言います。
このときすでに、私が教えていない生徒たちの顔も交じっていました。『理科だより』が校内をかけめぐっていたことを、後で知りました。こうして武庫東中学校に、16のクマの保護団体ができたのです。

生徒たちはこの問題は森の問題でもあると、初めからわかっていました。家から関係がありそうな本を続々と持ってきて理科室に集まり、むさぼるように読んで調べ始めました。読めば読むほど、「日本の森と動物が大変だ」と、もう危機感でいっぱいになっていきました。
生徒たちの動きはとっても早く、テレホンカードを集めて、クマが残っている兵庫県北部の但馬地方に、どんどんと電話をかけ始めました。町役場の係の人に
「兵庫県のツキノワグマが絶滅してしまいます。殺すのをやめてください。」と、頼みました。町役場の方は
「クマ守れ!?わしらとクマとどっちが大事なんや。許さんぞ。」
とどなたもかんかんでした。
当時、私たちは、なぜそんなに地元の方が怒られるのか、わけがわかりませんでした。猟友会に電話をしたりもしましたが、法的に認められていることをしているだけだと、反論されてしまいました。

そこで、こんなときは署名だということになって、
『絶滅寸前兵庫県ツキノワグマ捕獲禁止緊急要請』という署名文を、理科教師たちで作りました。作ったのはいいのですが、大人ってだめですね。正しいことをしているとわかっていても、何か照れてしまって。私たちは市内の理科教師に署名の依頼を送っただけです。しばらくして、市内のほとんどの理科教師70名から賛同の署名が返ってきました。ところが、生徒たちの会の方が、連日どんどん署名を集めてきます。私は不思議でたまらなくなって、あるとき生徒たちにたずねてみました。
「君ら、どうやって署名集めてるの?毎日こんなにいっぱい。」
その答えをきいたとき、私は声も出ませんでした。
生徒たちがこう言ったのです。
「先生、ぼくらピンポン鳴らして町内を回ってんねん。」
「駅に立っててんねん。」
「わたしたちはスーパーの前に毎日立っています。」
現代っ子が、自分に何の利益にもならないことのために、ここまで頑張っていたなんて。私は涙があふれそうになりました。生徒たちは、何の罪もないクマなどの野生動物を、人間のせいで絶滅させるのは、あまりにもかわいそうだと必死になって署名を集めに集め続けました。私は最後には、本当にもうわけがわからなくなって、ある生徒にきいてみました。
「君ら、何でそこまでするんや。」
一人の男の子が言いました。
「先生、これクマだけの問題と違う。ぼくらの問題でもあるんや。先生、ぼくら、寿命まであと何年生きなあかんと思う。あと70年ぐらい生きなあかんねん。今の自然破壊見てたら、僕ら寿命まで生き残れられへんてはっきりわかるねん。ぼくら寿命まで生き残りたいねん。」
まさに中学生の叫びでした。
もう一人の男の子は、寂しそうな顔をして、こう言いました。
「先生、大人って、ほんまはぼくら子供に愛情なんかないんと違うかな。自然も資源もみんな、自分たちの代で使い果たして、ぼくらに何も置いとこうとしてくれへんな。」
私は、大人の一人として、この言葉が本当にこたえました。返す言葉が、見つかりませんでした。

それから彼らの驚くべきさらなる前進が始まります。
詳しくは『クマともりとひと』/日本熊森協会
http://homepage2.nifty.com/kumamori/

この小冊子『クマともりとひと』は、クマはもちろん、日本のゆくすえやひとの生き方に直接結びついた深くひろいテーマをはらんだほんもののドラマが描かれています。こどもたちや人間の可能性が深く胸に響き、視野がひろがる名著です。日本熊森協会に問い合わせれば
1冊¥100+送料¥300で入手できます。
ぜひ多くの方が手にされますよう。


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4 コメント

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Unknown (トトロ)
2007-10-03 23:11:41
子供は敏感ですね。
ガードをつくっているのは、大人を信じてないから
だと思います。大人に大切なのは、分析なんかより、
信じる力を、どこまでも子供に向けてやることだと
思います。
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ほんとですね。 (ben-chicchan)
2007-10-04 12:46:52
子供はピュアでまっすぐです。
現代っ子もなにも関係ありませんね。
目を覚まさせられるようです。その時の中学生が大学生の頃、熊森協会の設立時にもがんばり、今も志を持った多くの若者がそこで働いているようです。
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地球に住んでいるのは人だけじゃないのにね・・・ (花房)
2008-03-17 23:53:47
最近、この本をセミナーの講師から貰って読みました。
子供達の純粋さと、熊を守り森を守ると人間も地球も守られるという事。読みながら・・・涙があふれて心にぐっ・・・と、来ました。
子供達の心の美しさ・・・誰かがやるだろうと逃げてる大人のずるさ。
森山先生をはじめ・・・知事まで動かした行動力
今、自分に出来る事考えさせられますね
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ほんとですね。 (ben-chicchan)
2008-03-18 13:38:23
わたしもぐぐっと来ました。にんげんてほんとはこんなとこがあるんだ、と思い出させられました。こどもたちやにんげんを信じる気持ちにさせられました。ほんと、自分は何をしたらいいのか、と考えさせられますね。
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