家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

滝壺の岩に咲く花

2010-05-03 10:03:28 | Weblog
自治会費を届けた。

シアワセな住民に言った。

「良い場所ですねぇ」

住民は「そおですかぁ?」と意外だという感覚で言う。

「特に沢がある生活は最高ですね」と続けた。

「雨が降ると沢の音が大きくなってやかましいねって言うだけです」

笑顔で言うわりには冷めた答えが戻ってきた。

「ちょっと散歩させてくださいね」と言って沢沿いの道を登ってみた。

上には落差5メートルほどの滝があった。

滝壺にはアマゴなのだろうか黒い魚影が見え隠れする。

翌日静岡から友人が来たので、さっそく滝に連れて行った。

二人で滝壺の横の岩に座って妻の作ってくれた弁当を広げた。

滝壺から舞い上がるシブキの細かな粒子が空気中を漂うのが見えた。

話し声が聞こえないほど水の音は大きい。

静寂と正反対の、この状況が気持ち良いことは驚きだ。

ここに住み続けると、この感激は失われてしまうのだろうか、とこの住民の話を思い出して
いた。

ひょっとして良いことと悪いことが同じように在り悪いことを忘れるために良いことも忘れるのだろうかと、ひょうきんな考えも浮かんだ。

ふと滝壺の間近にある岩の上に黄色の花が咲いているのを見つけた。

よく見ればあちらこちらの岩の上で咲いているのだった。

集団で岩にへばり付いている。

だが苦しそうな感じは全くなく可憐な花たちが普通に咲いている。

ここを選んだのは自分のせいではない。

大水で流されてしまうかもしれない運命を知らない。

ここで咲くことしか知らない強さとシアワセを感じさせてくれた。

彼らの普通は大音響のシブキに満ちた景勝地なのだ。

住み続けると忘れてしまう長所と忘れなくてはいけない短所。

この花たちも多くを忘れて咲いているのだろう。