法華経と浄土三部経(どちらが出世本懐の中の出世本懐なのか)
法華経と浄土三部経
どちらが釈迦出世本懐の経典であるか、
仏教史上、常に争われてきた一大問題である。
法然上人の大原問答が一番有名であるが、
信長も安土宗論で浄土宗と法華宗を戦わせた。
負けた方が切腹という命がけの法論だけに
お互い真剣勝負であった。
結果はすべて浄土仏教の勝利となった。
このように仏教の歴史の中で
釈迦如来の出世本懐の経を明らかに
することに先人達は命をかけたのだ。
(天台智の五時の教判)
その中で法華経を出世本懐とする主張するもの達が
拠り所としたのが天台智の五時の教判であった。
智は釈迦一代の説法の順序を分類して五時にわけ、
教え導く形式方法から四種とし、
人々の性質能力に応じて教え導いた教理内容から
四種の法を立てた。
これが天台の五時の教判といわれるものであった。
現代の新興宗教と呼ばれるものも多くが
五時の教判をもって、法華経を出世本懐経としてきた。
とろこが明治以降、経典の研究が進むにつれ、
天台の五時の教判の誤りが鮮明となり、
天台宗でも
「天台智の五時の教判は、
何十年も前のカレンダーを
使用しているようなもの」、
と誤りを認めている。
五時の教判
①華厳時-釈迦成仏後、21日間に説かれた説法
②阿含時-華厳経の後、12年間
③方等時-阿含時の後、16年間(8年とする説もある)
この時代に多くの経典を説かれたが
浄土三部経も内容から、この方等時に
はいるといい、方便経であると断言した。
④般若時-方等時の後、14年間(22年とする説もある)
無量義経(法華経の開経)に「四十余年、未顕真実」
とあり、この四十余年間は真実を説いてこなかった
今から説く、法華経が真実であると主張した。
⑤法華時-最後8年間、法華経を説いた。
このように釈迦一代の教えを五つの時代に
分けたのだが、それが間違いであったのだ。
法華経と浄土三部経
どちらが釈迦出世本懐の経典であるか、
仏教史上、常に争われてきた一大問題である。
法然上人の大原問答が一番有名であるが、
信長も安土宗論で浄土宗と法華宗を戦わせた。
負けた方が切腹という命がけの法論だけに
お互い真剣勝負であった。
結果はすべて浄土仏教の勝利となった。
このように仏教の歴史の中で
釈迦如来の出世本懐の経を明らかに
することに先人達は命をかけたのだ。
(天台智の五時の教判)
その中で法華経を出世本懐とする主張するもの達が
拠り所としたのが天台智の五時の教判であった。
智は釈迦一代の説法の順序を分類して五時にわけ、
教え導く形式方法から四種とし、
人々の性質能力に応じて教え導いた教理内容から
四種の法を立てた。
これが天台の五時の教判といわれるものであった。
現代の新興宗教と呼ばれるものも多くが
五時の教判をもって、法華経を出世本懐経としてきた。
とろこが明治以降、経典の研究が進むにつれ、
天台の五時の教判の誤りが鮮明となり、
天台宗でも
「天台智の五時の教判は、
何十年も前のカレンダーを
使用しているようなもの」、
と誤りを認めている。
五時の教判
①華厳時-釈迦成仏後、21日間に説かれた説法
②阿含時-華厳経の後、12年間
③方等時-阿含時の後、16年間(8年とする説もある)
この時代に多くの経典を説かれたが
浄土三部経も内容から、この方等時に
はいるといい、方便経であると断言した。
④般若時-方等時の後、14年間(22年とする説もある)
無量義経(法華経の開経)に「四十余年、未顕真実」
とあり、この四十余年間は真実を説いてこなかった
今から説く、法華経が真実であると主張した。
⑤法華時-最後8年間、法華経を説いた。
このように釈迦一代の教えを五つの時代に
分けたのだが、それが間違いであったのだ。