歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

源信僧都⑩-12(往生要集-死後の地獄)

2009年09月17日 | 七高僧
源信僧都⑩-12(往生要集-死後の地獄)

では死後のジゴクとはどんな世界かというと、
『賢愚経』に釈尊は
「如何なる喩をもってしてもジゴクの苦は説けない」
と言われている。
しかし、強いて「教え給え」と願った仏弟子に対して
「では喩をもって説こう」と仰言って、

「朝と昼と夜と、それぞれ百本の槍で突かれる。
 その苦しみを何と思うか」
と尋ねられた。

弟子は
「僅か一本の槍で突かれてさえ苦しいのに、
 一日三百本で突かれる苦しみは心も言葉も及びません」。

その時、釈尊は豆粒大の石を御手にとられて、
「この石と向こうの雪山と、どれ程違うか」
とお聞きになり
「それは大変な違いでございます」
と答えた弟子達に
「日々三百本の槍で突かれる苦はこの石の如く、
 ジゴクの苦はあの雪山の如し」
と仰言っています。

これは魚に火煙のことを知らせようと
する以上に困難なことであり、
犬猫にテレビや原爆の説明をするよりも
至難なことだったと思う。

こんなことを知らずに、
虎のフンドシの鬼や釜をそのまゝ事実と
思ってアザケッタリ、疑っているのは
情けない幼稚な仏教の聞き方だ。

阿弥陀仏は、このジゴクよりジゴクへ
苦の旅をしている我々を救わんと
大願を成就して下された。
こんな素晴らしい本願は
他に絶対にありませんから
無上殊勝の願とか超世の悲願とか
いわれる。

未来のジゴクは、現在のジゴクの延長ですから、
現在のジゴクを解決することが
一切の救いの根本になる。
阿弥陀仏の本願は、平生業成(平生に救う)が、
その渊源、肝腑になっているわけも
お判りになると思う。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。