歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

日々好日(2月3日 節分の鬼退治)

2012年02月03日 | 日々好日
日々好日(2月3日 節分の鬼退治)

2月3日は「節分)」。
節分とは本来、「季節を分ける」
つまり季節が移り変わる節日を指し、
立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日に、
1年に4回あったものだった。

ところが、日本では立春は1年のはじまりとして、
とくに尊ばれたため、次第に節分といえば
春の節分のみを指すようになっていった。

立春を1年のはじまりである新年と考えれば、
節分は大晦日にあたる。

平安時代の宮中では、大晦日に陰陽師らによって
旧年の厄や災難を祓い清める「追儺(ついな)」の
行事が行われていた。

室町時代以降は豆をまいて悪鬼を追い出す行事へと発展し、
民間にも定着していった。

節分には豆をまくが、
これは中国の習俗が伝わったものとされている。

豆は「魔滅(まめ)」に通じ、
無病息災を祈る意味がある。

しかし、鬼と聞くと虎の皮のフンドシをまき、口は耳元まで裂け、
頭には角が生え、金棒を持った
あの恐ろしい形相をした鬼の姿を想像するだろう。

しかし、元来、鬼とはそんなものをいうのではないのだ。
経典などには鬼は、仁に遠し(遠仁)と書かれてオニを読んでいる。

仁に遠い心をオニというのである。
仁とは人間の慈悲の心をいう。
親ならば、子供の苦しみは親の苦しみ、
子が病気にでもなれば、夜中でもタクシーを走らせ、
病院を探す。
病気が治ると、子供以上に安心するのである。
その親のやさしさ慈悲の中で、子供はスクスクと成長するのである。
もし、この慈悲の心がない、無慈悲な親に育てられた子は不幸である。
子供に保険金をかけ、金ほしさに殺害。
まともな人間のなせる業ではない。
無慈悲な人間のやさしさも持たない

、仁に遠いオニ(遠仁)である。

時代劇の水戸光門の定番がこれだ。
病気で伏せているお爺さんのところに、怖い顔したヤクザの
おにいさん達が乗り込んでくる。
借金の片(かた)に、可愛い孫娘を引っ張っていく。
するとお爺さんのいう決まりゼリフ。

「お前たちは人間のやさしさもないのか。この人で無し。鬼」

では、このオニは何処にいるのか。鬼ヶ島にいるのだ。
この鬼ヶ島は岡山県や、香川県の瀬戸内の島ではない。
私達の心に鬼が住んでいる。
鬼ヶ島とは、鬼が心、心が鬼なのである。
鬼のような恐ろしい心、無慈悲な心で、
自分だけではなく、他人までも傷つけ苦しんでいるのが、
本当の実態なのである。