言葉の旅人

葉🌿を形どって、綾なす色彩に耽溺です。

なにわの海の時空館(3)

2008年05月13日 | Weblog
元和偃武(げんなえんぶ)なってのちの頃からは兎も角、徳川家康・秀忠統治の時代である慶長・元和の期間は、意外にも海外にも国交を求めて門戸を開いていた事はあまり知られていない。キリシタン禁制の強烈な印象のせいかもしれないが。
 それでも、政権の奪取成るや否や一挙に鎖国へと傾斜し、明国と同様に排外的な鎖国のみで国家を保とうとするのでなかった事は驚きでもある。
 社会経済の面から、貨幣制度の統一と交通制度の整備として、早くから(豊臣政権が未だ余然を保っていた時から)後藤庄三郎を江戸に呼んで金座を開かせ、慶長6年に伏見には堺から大黒常是を呼んで銀座が開設されたが、駿府そして江戸へ移設されている。
 三貨制の基礎が成ったのはこれからである。
 そして、菱垣廻船が大坂~江戸を行き来し始める。海上幹線交通路が瀬戸内を中心としていた時代から東へと延びた瞬間なのだ。
 京都・大坂・江戸の三基幹の金融流通体系が始まった事は、同時に単なる都市と農村との分離である事だけでなく、巨大な非生産消費人口を養う為、農業生産者との媒介者としての商工業者を生み出すに至る要因となったのである。
 これが、「町人」の発生なのだ。
 それまでは町人という階級は存在しなかったのである。
 江戸時代という期間は様々なとらえ方が出来るのだが、僕が一番得心するのは一に「町人」なのだ。
 言うなれば、現在の中産階級意識は、この町人意識の延長線上にあるのではないかと思える位なのだ。
 そう考えて「時空館」の浪華丸を見ていると、その背後にある製造業流通業の発達の歴史が浮かんで見える気がしたのは当然だとは思いませんか?独り合点かな~?