残照日記

晩節を孤芳に生きる。

風評被害

2011-08-21 16:11:58 | 日記
≪海越えた風評被害、深刻 日本産リンゴ、輸出8割減──安全、高級、高品質を売りにしてきた日本の農作物の輸出が、東京電力福島第一原発の事故で激減している。主に台湾へ輸出され、額で4割近くを占めるリンゴは、震災後の4~6月の輸出額が前年同期比で8割減にまで落ち込んだ。日本産品の放射能汚染への不安は、国内で思う以上に大きく、信頼回復は簡単ではない。≫(8/13朝日新聞)

∇同紙によれば、リンゴ輸出先の9割を占める台湾での苦戦に、先月末、青森県の三村申吾知事が台湾の衛生署(衛生省)や現地テレビ局、青果業者を訪問し、「青森で放射線検査をしていますから安全です」とPRしたが、台湾のスーパー松青幹部は、「青森が福島から300キロ以上離れていることを知らない人は多いが、同じ東北地方であることは知っている。消費者が警戒している」と話していたそうだ。 尚、農林水産省によると、2010年の野菜と果物を合わせた農作物の輸出額173億円のうち64億円をリンゴが占める。被害は農作物にとどまらず、畜産品や水産物、観光などにも広がっている。又、汚染された土地が嫌悪感を引き起こし、地価を下げる現象を不動産業界では「スティグマ」というが、被害は所謂“ホットスポット”地にまで影響が及ぶ可能性がある。週刊誌に「東京100ヵ所、千葉50ヶ所」などと騒がれた地域はたまったものではない。「風評被害」とは、東洋大の関谷直也准教授によれば、≪人々が事件や災害などの報道をきっかけに、消費や観光などを根拠なく危険としてやめることによる経済被害≫と定義されている由だが、「精神的・心理的被害」、場合によっては「身体的被害」までも加えるべきであろう。

∇辞書によれば、「風評被害」は、≪根拠のない噂のために受ける被害。特に、事件や事故が発生した際に、不適切な報道がなされたために、本来は無関係であるはずの人々や団体までもが損害を受けること。例えば、ある会社の食品が原因で食中毒が発生した場合に、その食品そのものが危険であるかのような報道のために、他社の売れ行きにも影響が及ぶなど≫とある。(「大辞泉」) 類似の言葉に「流言蜚語」というのがあるが、これは≪根拠のないのに言いふらされる、無責任なうわさ。デマ。≫(「広辞苑」) 関東大震災時、いわれもない「流言蜚語」のせいで、約6000名の朝鮮人が虐殺された。(金原左門著「大正デモクラシー」) 吉村昭著「関東大震災」にその発生から朝鮮人虐殺に至るドキュメントが縷々述べられているが、一節を引けばこんな具合だ。≪朝鮮人来襲の流言は、唯一の報道機関である新聞によっても一層広範囲に流布される結果を生んだ。東京市内の新聞社は壊滅していたが、地方の新聞社は朝鮮人による暴動事件を大々的に報道し、それらの新聞が焦土に化した東京、横浜にも持ち込まれていた≫。このあとの記述が、そのまゝ「流言蜚語」「風評被害」の本質とドミノ倒しを穿っている。

≪流言は乱れ飛んで、政府、軍、警察関係も一時はそれを信じ込んでいただけに、新聞は、巷間に伝わる流言をそのまま記事にしていたのだ。それらの新聞報道は、一般人に大きな影響を与えた。かれらは、争って新聞記事を読み漁り、流言が事実だと信じ込んだ。内務省では、大地震発生後新聞報道が人心の動揺をうながすことを恐れていた。そのため、大地震の起こった九月一日に、警保局長名で通牒を発し、「人心の不安を増大さるゝ如き風説は務めて避けられ」たいと強く要望した。そのうちに朝鮮人来襲の流言がすさまじい勢いでひろがるに伴って、新聞も一斉に報道し始めた≫。 そこで内務省は再三に亘って≪朝鮮人の妄動に関する風説は虚伝にわたる事極めて多い≫ので報道関係に慎重に扱うべし、時勢に妨害ありと認めれば頒布禁止処分をする、と通告した。≪しかし、これらの発令にもかかわらず新聞には依然としてそれに類した記事が掲載され、通牒に違反した理由で≫、報知新聞や東京日日新聞、時事新報等、当時の基幹新聞が差し押さえ処分を受けるまでに発展した。──流言の中味には、朝鮮人来襲の他に、「朝鮮人井戸に投毒」「富士山が大爆発中」「東京湾沿岸に大津波発生」「更に大地震の来襲あるべし」「社会主義者による暴動と放火多し」などがあったそうだ。

∇上記の文章から次のことが引き出せる。①新聞は何も検証せずに、≪巷間に伝わる流言をそのまま記事にしていた≫。②政府(内務省)の通牒文は≪務めて避けられたい≫とか、≪虚伝にわたる事極めて多い≫とか、≪多くは事実相違し≫等々曖昧な字句が羅列されたものだった。③市民は事実が知りたくて≪争って新聞記事を読み漁り、流言が事実だと信じ込んだ≫。④頒布禁止処分通告にもかかわらず、地方紙のみならず当時の大新聞までが≪それに類した記事を掲載≫し続けた。これがまさに「流言蜚語」発生と拡大の核になっている。後日この大震災を振り返って、社会学者の清水幾太郎が「流言蜚語」なる題名の著書を発刊した。(最近「ちくま学芸文庫」で新装出版されている。) 彼は、≪まづ「流言蜚語」はアブノーマルな報道形態として規定することが出来る≫とし、事実を正確に伝えるべき責任を持つ「報道」が、その本来を果たさず、≪要素と要素の間、知識の断片と断片との間に溝があり矛盾があって、到底それだけでは首尾一貫した報道として万人を満足させることが出来ないといふことが流言蜚語の成立に必要なのである≫とした。市民は“事実”を知ることに≪飢え≫ている。そこへきて曖昧で無責任な情報が、信頼すべき政府や一流紙からもたらされる。否応なく疑心暗鬼に油を注ぐ。それが「流言蜚語」をさらに伝播させる。……

∇彼は既に、今日の東日本大震災のそれを見通したかの如き指摘をしていた。曰く、≪報道と言われるものの中には、或る事件に関して行なわれる政府当局の発表の如きものも含まれる。民衆の信頼の上に立ち固有の権威に拠るところの政府当局の発表が流言蜚語の材料となるという如きは、いかにも有り得べからざることのように思われるが、そうではない。当局の発表は往々にして極めて抽象的であり、舌足らずである。民衆が事件について知ろうと欲するものはその詳細な経緯と彼等自身の生活に対するその作用とについてである。しかるに当局の発表は多くこうした欲求を満足させるものではなく、かえってその冷たい難解な言辞文体によってよそよそしい態度をとるのである。流言蜚語の材料となる所以である≫と。例えば初期の枝野発言。≪原子炉本体、圧力容器と格納容器については、問題が生じないという状態、外側でしか爆発していないし、そのレベルの衝撃には耐えられる構造≫≪外部の放射線量は風向きなどによって、変動するものであり、持続的な上昇でなければ心配ない≫≪「(3号機に)爆発的なことが万一生じても、避難している周辺の皆さんに影響を及ぼす状況は生じない≫≪20~30キロについても、仮に屋外で活動したとしても直ちに健康に、人体に影響を及ぼす数値は出ていない≫etc 今日はこゝまで。明日又。


ソクラテス流

2011-08-20 16:18:12 | 日記
【知るということ】
≪子曰く、由(子路)よ、女(なんじ)にこれを知ることを誨(おし)えんか。これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らざると為せ。是れ知るなり。(為政篇)≫(孔子が言った。「子路よ、お前に知るということを教えようか。知ったことは知ったこととし、知らないことは知らないこととする、それが知るということだ」と。)

【ソクラテス流儀】
≪ソクラテスは、信心について語る者にも、「勇気」という言葉をしょっちゅう口にする者にも、国家制度や説得的な話術の勝手が分っていると考えている者にも、もしもこれらの人びとが一度(彼と)歓談を始めてしまうと、彼らはたちまち破れてしまう。なぜならそうなるとソクラテスは彼らに、皮肉やさまざまな問答の上の術策を用いて、彼らがそれについて大変自信たっぷりにうかうかとおしゃべりしていることについて、彼らが根本的には何も理解していないこと、また彼らが自分自身を、一番理解していないことを示すからである。≫(ヴァイシェーデル著「思索への34階梯」公論社版より)

∇孔子もソクラテスも「知ったかぶり」を極端に嫌った。ことにソクラテスの場合、プラトンがソクラテスのやり方を「産婆術」と比喩したが、そんな生やさしいものではなかった。相手の意見が熟するのを手助けするどころか、相手の考察結果の真偽を識別・鑑定することがソクラテスにとって重要な役割だった。(岩波「哲学思想事典」の中畑正志京都大学教授) ディオゲネス・ラエルティオスは、その著書「ギリシア哲学者列伝」(岩波文庫)で、≪ソクラテスは、自分たち自身に大きな誇りをもっている人たちを徹底的に反駁して、彼らが愚かな人間でしかないことを示した。…それは相手の意見を奪い去るためではなく、真実をきわめようとする為だった。≫と書いている。それが高じて、高慢なアテナイ人に恨みを買い、≪不敬罪と若者たちを堕落させたという罪で告訴され、…ソクラテスは哲学者たちのなかで有罪の判決を受けて死刑に処せられた最初の人≫となった。(同書) 有識者・知識人と称される人々は、孔子やソクラテスに責めらぬように、発言・発表する前に、考察結果の真偽と妥当性・引用の正誤・思想&思考の整合性等につき、徹底的に検討しなくてはならない。“社会の木鐸”なのだから。──では、早速昨日の「天声人語」をソクラテス流に検証してみることにしよう。先ず以下に全文を転載する。

≪小学生のころ、作家の山田詠美さんは教師を「良い先生」と「悪い先生」に分けていたそうだ。子どもは大人と同じように悩み苦しみ、大人以上に羞恥心(しゅうちしん)を持っている。そのことを知っているのが良い先生だったと随筆に書いている▼教師ではないけれど、この人たちはどちらだろう。福島県の子らが東京で、政府の担当者らに思いを伝えた。素朴で切実な訴えへの答えは、「最大限努力したい」といった紋切り型が目立ったそうだ▼会合の後にある子が言った「何で大人なのにちゃんと質問を聞いていないの?」は大人にとって痛烈だ。「何さいまで生きられますか?」「菅そうり大臣へ 原発全部止めてほしいです」。来られなかった子の手紙にも、「子どもながらに」という形容を許さぬ悩み、苦しみ、疑問が詰まっていた▼福島では、検査をした子の45%に甲状腺の被曝(ひばく)が確認されたという。専門家は「問題となる値ではない」と説くが、そうであっても心の重荷はつきまとう。事故以来、この手の言葉の信頼性は暴落している▼「身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」と言う。古めかしいが、親にもらった体を大事にしなさいとの教えだ。国策の果ての放射能で損なうようなことがあっては、ご先祖も泣こう▼英詩人ワーズワースに「子供は大人の父なり」という一節があった。俗にまみれず神に近いからだが、打算や保身でがんじがらめの大人には耳が痛い。父から教わる必要が、ありはしないか。≫

∇文中≪身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり≫は、「孝経」出だしの「開宗明義章第一」からの引用である。「孝経」の作者は孔子説、曾子説、曾子門人説等諸説あるが、曾子門流の手になる説が妥当だろうとされている。「孝道」について説かれたもので、孔子と曾子が歓談している折に、孔子が「孝」という無上の徳について語ったところから始まる。孔子が言うには、≪孝行があらゆる道徳の根本なのだ。教化の由って生ずる根源なのだ≫と。そしてそのすぐあとに有名な≪身体髪膚、これを父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始めなり。 身を立て道を行い、名を後世に揚げ、もって父母を顕(あら)わすは、孝の終りなり。≫と続くのである。即ち、「我が身体、髪・皮膚の末々に至るまで、すべて父母から頂いたものだ。それを敢て毀傷しないようにする。それが孝行の始めだ。そして立派な人物になり、正しい道を行い、名を後世にまで高く揚げて、あれは誰々の子だと父母の名を世に広く輝かせる。それが孝行の終わりなのだ」とする。こゝで注意しなくてはいけないのが、≪敢て毀傷しない≫の意だ。父母から頂いた大切な身体・髪・皮膚を「敢て(みだりに)」傷つけるな、即ち、「自分の不注意によってみだりに傷つけてはいけない」、の意であって、天声人語子が≪国策の果ての放射能で損なうようなことがあっては、ご先祖も泣こう≫という意味に使うのは笑止千万だ。

∇ソクラテスに「天声人語子よ、何でもかでも大震災や放射能事故に結びつけるのはいかんよ、そういうのを牽強付会と言うのだ。第一「孝経」の本文を読んだことがあるのかね」、と叱られるはずだ。子どもたちの甲状腺被曝は、個々人が「戦々競競として」(論語)身を慎んで尚、≪敢て毀傷≫したものではない。まさに“想定外”で起きた大震災で顕になった、≪国策の果ての放射能≫被害であって、子どもたちには防御不可避の≪毀傷≫だった。寧ろ、天声人語子は、≪会合の後にある子が言った「何で大人なのにちゃんと質問を聞いていないの?」は大人にとって痛烈だ。「何さいまで生きられますか?」「菅そうり大臣へ 原発全部止めてほしいです」。来られなかった子の手紙にも、「子どもながらに」という形容を許さぬ悩み、苦しみ、疑問が詰まっていた≫をもっと重く受け止め、子どもらの「諫爭」を真剣に傾聴すべきことを訴求すべきだった。「孝経」の「諫爭章第十五」に、次の言葉がある。≪ 父に争子(そうし)あれば、すなわち身、不義に陥らず。 ゆえに不義に当っては、すなわち子もって父に争わざるべからず≫と。聞き手の曾子が孔子に、「子が父親の言いなりになったら、それは孝行と言っていいでしょうか」と尋ねたことへの回答である。否、否、子がどんなことでも親のいいなりになればいいものではない。父親が間違っていたらその非行を諌め争わなければいけない、と。

∇儒教で「孝」とか「忠」といえば、みだりに従うことと捉えてはいけない。≪諸侯に争臣(非道を諌める大臣)五人あれば、無道といえどもその国を失わず。 大夫(家老)に争臣三人あれば、無道といえどもその家を失わず。≫≪ 臣、もって君に争わざるべからず。ゆえに不義に当ってはすなわちこれを争う≫というのが本来の儒教思想なのである。≪会合の後に≫子どもらが言った幾つかの言葉は、婉曲的な表現ではあるが、大人への厳しい「諫爭」なのである。大人たちは真摯な気持で、それに耳を傾けるべきなのだ。そして堅い決意を以て「行動」に移すべきなのだ。甲状腺被曝への完全対策、ひいては脱原発へと。──そのことを天声人語子は、英詩人ワーズワースの≪「子供は大人の父なり」という一節≫を挙げ、≪俗にまみれず神に近いからだが、打算や保身でがんじがらめの大人には耳が痛い。父から教わる必要が、ありはしないか。≫ などと“美文調”で文章を結んでいるが、≪父から教わる≫は適切な表現ではない。「教わる」のではなく「諫爭」を聞き入れることこそ緊要なのだ。尚、「子供は大人の父なり」は有名な「虹」という詩の一節である。≪わが心はおどる。/虹の空にかかるを見るとき。/わがいのちの初めにさなりき。/われ、いま、大人にしてさなり。/われ老いたる時もさあれ。/さもなくば死ぬがまし。/子供は大人の父なり。/願わくばわがいのちの一日一日は、/自然の愛により結ばれんことを。≫(「ワーズワース詩集」岩波文庫) 天声人語子はこの原詩も読んでいるようには思えない。嗚呼!


写真・人相

2011-08-19 19:03:59 | 日記
【三学】
少にして学べば壮にして為すあり。
壮にして学べば老いて衰へず。
老いて学べば死して朽ちず。 
(佐藤一斎「言志晩録」)                  

∇今日は眼科治療。帰宅してふと大学時代のスナップ写真を見ていたら色々なことが思い浮かんだ。 一つは、「座の心理」ということで、人は不思議と、会議の席取りや劇場での座席をある位置に定めたがる。自分はいつも端に座を占めている。そこが落ち着くからだ。 決して謙遜・引っ込み思案というわけではない。片側が自由であることを本能的に欲する からかもしれない。根っからの束縛を厭う勝手人間のなせる心情なのだろうか。 二つは、「人相」ということである。アリストテレスに「人相学」なる著作があり、 人を動物の容貌に類型してその性質を推定できるとした。小生はさしずめ「亡羊猿」か。 「宿曜経占術」では、「柳宿」といい、「軟眼にして眠り多し。性強情にして怒りを嗜む。 布施を好み、又侵奪も好みて著しく諸事に耽る」。よく当っている。写真の顔はまさに未だ成長なき自分のまゝだ。……

∇既に物故された大学時代の恩師O先生に、卒業間近、友人N君と祇園でご馳走になった。先生じっと小生の顔を見られて曰く、「君は化学では成功しないね。まあ、しかし何者 かにはなるだろう。その為には社会へ出たら、決して晩酌するな。10分でよいから毎日 読書しなさい」と。 O先生の予言は的中して、企業人生では三度失敗。何とか自由業で20周年やり遂げた。「座の心理」や「人相」による判断もそう馬鹿にしたものではない。尚、恩師の御訓えだけは しっかり守って実践している。そのうち人相も好転し、「座の心理」にも変化が表れるかもしれない。 プルータークは、人の性格は容貌よりも言論に表れると言った。ブログで自分の意見を練ることも、或は人相に少なからぬ変化を誘発するに違いない。「善き顔」を作りたいものだ。瞳孔を開いたせいか霞んで見えるので今日はこゝまで。 明日又。

政局浮遊

2011-08-18 18:58:10 | 日記
≪民主29日に代表選案 岡田氏主導、党内に拙速批判≫≪海江田氏 代表選立候補の意向≫≪野田氏、前原氏に協力要請か≫≪前原氏が18日午前に開いたグループの会合では「前原氏が自ら立候補するべきだ」≫≪前原グループの一部には馬淵澄夫前国土交通相を支持する動きもある≫≪鹿野氏が推薦人確保≫≪「民主代表選、積極的に携わる」小沢氏≫≪鳩山グループ、野田氏不支持を確認≫≪谷垣氏 大連立否定 伊吹派・町村派は主戦論≫≪亀井代表、社民党福島党首 大連立に反対≫……。

【治国平天下の「九経」】
≪凡そ天下国家を為(治)めるに九経あり。曰く、修身・尊賢・親親・敬大臣・体群臣・子庶民・来百工・柔遠人・懐諸侯なりと。≫(天下を治めるには九つの重要な“道理”がある。第一にトップリーダーが先ず身を修めること。第二に賢人を尊び教えを請うこと。第三に「親親」すなわち身内同士の結束を大事にすること。第四に大臣を信頼し敬うこと。第五に官僚すべてを自分と一体として意思疎通を図ること。第六に庶民・国民を我が子の如く慈しむこと。第七に百工(産業人=農業、工業、商業ら)を大切にし、それぞれの事業の継続発展を図ること。第八に四方の外国人たちを厚遇して当国を訪れるべく便宜を与えること。第九は世界中の国々と円満外交を結ぶことである。≫(「中庸」より)──新しい内閣の党首心得としてプレゼントしよう。もうひとつ。

【政治改革の要】
≪私はかつて日本の旧幕時代の各藩のいろいろな改革歴史を研究してみたことがある。この時に非常に感じたことは、どの藩でも恐ろしく行き詰って大改革をやったという歴史を見ると、必ず藩侯が誰か自分が全幅の信頼を置いて全権を委せられるような人物を用いておる。そういう全権を委せられた人物は必ずまた金融に関してはこの男、法律に関してはこの男、教育に関してはこれというふうに、自分が全幅の信頼を置いて委せられるような人物を必ず持っている。この組織のない政治改革というものはかつて成功したためしがない。小田原評定で国政が改革されたという例はいまだかつてない。≫(安岡正篤「陽明学十講」より)─そのためには、民主党では小沢・鳩山そして野党・自民党では伊吹・町村という「旧弊首領」を追い払う必要がある。それが未発に終われば、又菅内閣と変わらぬ「ねじれ政治」が待ち受けていることを肝に銘じておくべきだ。呂新吾の「呻き」が聞こえる!

【我が仲間よ】
≪今の士太夫(政治家・官僚・知識層)たちよ、鳩首して侃々諤々の論争をしているその時、自分の心に問うてみよ。果たして自分は真に天下国家のために“済世安民”を願って言っているのか。或は又、自身の妻子のために立身出世して富貴にならんことを欲して言っているのかを。世の治乱、民の死生、国の安危は、たゞこのどちらを念頭に置くかによって決まる。嗚呼、我が仲間は日に多くして、世は益々苦しんでいる。我が仲間が日に日に偉くなるに比して、世の中は益々窮乏している。世間の人々はどうして我が仲間たちのいることを喜ぶだろうか。≫(「呻吟語」より)≪世衰え俗下り、朋友中、平生最も愛敬する所の者と雖も、亦た多くは頭を改め面を換え、両端の説を持して以て俗の容るゝ所を希(願)う。意思はなはだ衰颯(すいさつ=衰えること)、哀れむべしとなす。≫(日頃は偉そうに言っている連中も、いざとなれば「頭を改め面を換え、両端の説を持して」=あっちの顔色こっちの声に媚びて皆の言い分を全部取り入れようとする。信念も何もあったものではない)≫(王陽明「黄宗賢に輿ふる書」より)


塞翁が馬

2011-08-17 17:22:57 | 日記
【幸運】
≪幸運を願っても良い。しかし、幸運に頼ってはならない。≫≪銀貨は丸い。こちらに転がってくるかと思うと、あっちに転がってゆく。≫≪幸運に頼っているだけではいけない。幸運に協力(努力)しなければならない。≫(「タルムード」)

≪カナダで勤め先の解雇宣告翌日に約5億4000万円の宝くじに当選した男性らが話題に──カナダのオタワで、勤め先の工場から解雇宣告を受けたその翌日に、思わぬ幸運を手に入れた男性たちが話題になっている。「もちろん誰も信じなかったよ。冗談じゃない、当たったんだよ」と話し、喜びを隠し切れない男性。会社の同僚18人と共同で宝くじを購入したところ、見事に当選し、700万カナダドル、日本円にしておよそ5億4000万円を手に入れた。しかも前日、勤めていた工場が大規模なレイオフを発表し、職を失うことが決定したばかりだった。宝くじの賞金は、1人あたり3100万円に相当するということで、突然舞い込んだ幸運に、仲間と祝杯を挙げた。≫(8/14 フジテレビ系FNN)

【希望】
≪ユダヤで最も敬意を払われたラビの一人にアキバという人がいた。彼がある時旅行していた。ロバと犬と小さなランプを持って。夜になったのでラビ・アキバは一軒の納屋を見つけ、そこで寝ることにした。就寝にはまだ時間が早かったのでランプをつけて本を読み始めた。すると一陣の風が吹いてランプが消えてしまった。仕方なく彼は寝た。夜中に狐が来て犬を食い殺し、ライオンがロバを殺した。朝になると彼はランプを持ってとぼとぼ出発した。ある村の近くに来ると、人影が全くなく、彼は前の晩、盗賊がやってきて村を破壊し、村民を皆殺しにしたことを知った。もしランプが風で消えていなければ彼も盗賊に襲われていたに違いない。犬が生きていたら吠えて、盗賊に見つかったかもしれない。ロバもやはり騒いだはずだ。してみるとすべてを失っていたおかげで、彼は盗賊に発見されなかった。ラビは、「最悪の状態でも人間は希望を失ってはいけない。悪いことがよいことにつながることもありうることを信じなければならない」と悟った。≫(「ユダヤ5000年の知恵」より) 

∇但し逆も真なり。──宝くじ一つとっても、大金を当てたがために悲劇を招いた例は数えるに暇ない。近年の実例をネット上でざっと拾っただけでも次の如し。≪ハンガリーで警察署の15人で共同購入した宝くじが高額当選(約15億円)し、全員そろって辞職。現地では大混乱≫≪米国フロリダ州で、約28億円という高額の宝くじに当選した人物が、自宅近くに埋められていたコンクリート塊の中から、バラバラ遺体で発見された。≫≪16歳のときに宝くじで3億円当てた女性。家具付きの家を4軒購入、高級車や贈り物、豪華な休暇をエンジョイしたが、同棲した男性は前科持ちで、金を持ち逃げ。現在では生計を維持するため、掃除婦の仕事を3つ掛け持ちしている。≫≪ニューヨークの宝くじで約150億円の大当たりをしていた某氏。当選前には銀行口座に82円しかなく、自己破産宣告をし、約450万円の借金があった。17年間連れ添っていた妻が、宝くじ当選のわずか10日後に離婚届を提出し、宝くじの当選金の一部を求められ、離婚した。≫≪17歳で約3億円当てた男性が29歳で孤独死。≫≪岩手宝くじ殺人事件─2億円の宝くじに当選した岩手県一関市の女性が05年に行方不明、遺体が岩手県陸前高田市内で発見された。≫etc etc

∇ もう一つ凄いやつを。≪2007年、米ウェストバージニア州での話。宝くじで3億1490万ドル(約363億円)を当てたジャック・ウィテカーさん。一躍有名人となった一家は報道陣に追われ、泥棒に狙われ、友人たちは一斉に借金を頼んできた。人間不信に陥ったウィテカーさんは酒びたりの日々を送るようになり、飲酒運転でつかまったことや、カジノの女性従業員たちに暴行罪で訴えられたことで、妻は家を出た。一方、孫娘のブランディさん(当時14歳)は、一家の金に目をつけた誘拐騒ぎなどで通学が困難になり、次第に年上の遊び仲間とつきあうようになり、ついには麻薬中毒に。3年後、遺体で発見されたブランディさんの体内からは、コカインが検出。以上の出来事が、当せん後の5年間に起こった。──ウィテカーさん曰く、「当せん後の5年間で何もかも失ってしまった。賞金と引き換えに取り返せるものなら、すぐにでも返金したい」と。≫(livedoorブログより) 「聖書」箴言に曰く、≪明日のことを誇ってはならない。一日のうちに何が起こるかを知ることができないからだ。≫ 要するに“人間万事塞翁が馬”である。滅入らず高ぶらずいこう!

【人間万事塞翁が馬】
≪国境の要塞に方術をよくする翁(塞翁)がいた。ある時この塞翁の馬が理由もなく胡(えびす)に逃げていってしまった。人々は皆「お気の毒さま」と言った。塞翁言うには、「なに、これがどうして禍なもんか。福になることだってある」と。数ヶ月後、その馬が胡の駿馬を率いて帰ってきた。人々は皆「これは/\慶賀なことです」と言った。塞翁「なに、これがどうして福なもんか。禍の種になることだってある」と。塞翁の家は良馬で満ちた。息子が騎馬を好んだが、そのうち落馬して肋骨を折った。人々は皆「お気の毒さま」と言った。塞翁曰く、「なに、これがどうして禍なもんか」と。一年後胡人が襲撃して戦争になった。男達は手に武器を取り闘ったが、死する者十に九。塞翁の息子は不具者とて戦列から外れたお陰で父子共に生き残った。≫(「淮南子」人間訓) その後のことは語られていない……。