残照日記

晩節を孤芳に生きる。

広島原爆忌

2011-08-06 18:01:07 | 日記
【8月6日】峠三吉
≪あの閃光が忘れえようか/瞬時に街頭の三万は消え/圧しつぶされた暗闇の底で/五万の悲鳴は絶え/ 渦巻くきいろい煙がうすれると/ビルディングは裂け、橋は崩れ/満員電車はそのまま焦げ/涯しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島/ やがてボロ切れのような皮膚を垂れた/両手を胸に/崩れた脳漿を踏み/焼け焦げた布を腰にまとって/泣きながら群れ歩いた裸体の行列/……三十万の全市をしめた/あの静寂が忘れえようか/そのしずけさの中で/帰らなかった妻や子のしろい眼窩が/俺たちの心魂をたち割って/込めたねがいを/忘れえようか!≫(「原爆詩集」より)

≪菅総理大臣は、広島市で開かれた平和記念式典であいさつし、「66年前、広島を襲った核兵器の惨禍を、人類は決して忘れてはならず、2度と繰り返してはならない。私は日本政府を代表し、唯一の戦争被爆国として究極的な核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け、日本国憲法を順守し、非核三原則を堅持することを誓う」と述べた。そのうえで「わが国は『核兵器のない世界』の実現に向け、国際社会の先頭に立って取り組むと強く決意し、実践してきた。志を共有する国々との活動などを通じて、核軍縮・不拡散の分野における国際的な議論を主導していく」と述べた。…(又、)「エネルギー政策の白紙からの見直しを進めており、原子力についてはこれまでの『安全神話』を深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を講じるとともに、原発への依存度を引き下げ、『原発に依存しない社会』を目指していく。今回の事故を人類にとっての新たな教訓と受け止め、世界の人々や将来の世代に伝伝えていくことが、われわれの責務だと考えている」と訴えた。≫(8/6NHKオンライン)

∇広島に原爆投下されたのが66年前の今日、昭和20年8月6日だった。新聞、テレビは待ち構えていたように“戦争と平和”“原爆と原発”の文字で喧しい。特に「核」と「原発」という「軍事と平和利用」の表裏一体に関し、原発自体が核リスクだとか、今こそ「非核三原則」「米国の核の傘」「核エネルギーの平和利用」「核軍縮外交」なる4政策の根本的是非論を徹底討議すべき時ではないか等、かの戦争の悲惨とフクシマの惨事を絡めた「脱原発」討論が盛りあがっている。菅首相も再び“脱原発依存社会を”を強調し出した。──実は、それらの議論は既に出尽くした感がある。残るはそれを決断するのが「政治の役割」なのだが、軸足が定まらず、千鳥足の「政治」にどう「猫鈴」をつけたらよいのか、が究極の問題である。「子ども手当て」「高速道路無料化」云々などはこれに比すれば、かくも長期間与野党が紛糾するに及ばぬ些事である。それは又、後日語ることにして、今日は広島原爆忌、岩波「近代日本総合年表」を繰って、8月6日の広島に原爆投下された日から、15日の“終戦詔書”放送までを拾ってみることにした。終戦までの10日間を単に羅列した数行の記事であるが、その裏側には筆舌に尽し難い人間悲劇が隠れていたに相違ない。ふとかつて見た大宅壮一原作・岡本喜八監督の「日本の一番長い日」の笠智衆 ・鈴木総理、山村聡・米内海相、三船敏郎・阿南陸相 等の顔や、玉音盤奪取の攻防場面等が彷彿した。──

∇年表中の資料によれば、太平洋戦争の戦没者は、1947年の政府発表で、陸海軍155万5308人、一般国民29万9485人(事実上は合計300万人に達すると推定される)。又、被害国富は45年8月末価格で約500億円、戦災による文化財被害は名古屋城・徳川家康廟など国宝293件、史跡名勝天然記念物44件、重要美術品134件(46年文部省発表)だった。尚、原爆被害者で現在存命者が26万6千人余、シベリア元抑留者が推定12万5千人おられること等も記憶しておきたい。(※数字は資料によってかなりばらつきがあることをご了承されたい。)

<年表:終戦までの10日間>(年号は昭和)
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06:B29、広島に原子爆弾投下(死者二十数万)
08:ソ連、対日宣戦布告(日本は8/9の放送で知る)
09:B29、長崎に原爆投下。御前会議開催。
   毛沢東・朱徳、抗日戦は最後の段階に入ったと声明。
10:午前2時半、国体維持を条件にポツダム宣言受諾を決定。
   政府、中立国スウェーデン、スイスを通じて、連合軍へ申し入れ。
11:新聞各紙、情報局下村宏の国体護持の談話、阿南陸相の
  全将兵への断固抗戦訓を並べて掲載。
12:日本の降伏条件に対する連合軍の回答公電到着。
   (天皇制には直接ふれず)
14:御前会議、ポツダム宣言受諾を決定。中立国を通じて連合軍へ
   申し入れ。天皇、戦争終結への詔書を録音。
15:陸軍一部将校、終戦阻止の反乱、録音盤奪取をはかったが
   鎮圧される。正午、戦争終結の詔書を放送。鈴木内閣総辞職。
   二重橋前の玉砂利に正座して頭を垂れる人、終日続く。