残照日記

晩節を孤芳に生きる。

良いお年を!

2011-12-28 18:14:26 | 日記
【改過】 「論語」より
○子曰く、過てば則ち改むるに憚ること勿れ(学而篇及び子罕篇)
○子曰く、過ちて改めざる、是を過ちと謂う。(衛霊公篇)

≪「日本沈没」取り消します 韓国紙、震災紙面変更「日本応援する」──27日付の韓国紙、中央日報は、東日本大震災発生当日の状況を報じた3月12日付の1面で「日本沈没」という見出しを付けたことが「災害に苦しむ日本人を傷つけた」として、当時の紙面を取り消すとする「反省文」を掲載した。反省文は、今年の同紙の報道全般について不適切だった点を振り返るコーナーに、1ページの3分の1程度を割いて掲載。新たに「力を出せ、日本」との見出しを付けて編集し直した紙面を並べた。同紙は、当時は大きな津波被害の状況を劇的に伝えようと「日本沈没」という日本の小説の題名をそのまま使ったと説明。読者などから「刺激的だ」との批判を受けたことも紹介し、「人類愛」を重視する同紙の精神とは懸け離れた結果になったと弁解。さらに「遅ればせながら、日本国民を応援するため」に紙面を編集し直した。≫(12/27 [韓国] 共同)

∇年末の善き話題である。日本側から訂正せよ、詫びを入れよと迫ったわけでもないのに、自発的に≪遅ればせながら、日本国民を応援するため」に紙面を編集し直した。≫とあるのが気持いい。過ちて改めた中央日報の「改過」魂に敬意を表したい。我々も、来年は全てこの精神でいきたいものである。「西郷南洲遺訓」に曰く、≪(道を学ぶには)敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。己に克つの極功は、「意なく、必なく、固なく、我なし」(「論語」)」と云へり。≫と。「敬天愛人」即ち、人智の到底及ばぬ無限の存在である「天」(天地自然)を畏敬し、その他人も自分も同一に愛する「天」のように、自分を愛する心を以て他人を愛せ。それが出来るようになるには、終始「克己」を心掛けよ。そして「克己」の究極は、次の「四絶」にある。即ち、「意」(主観的な恣意)、「必」(無理押し)、「固」(固執)、「我」(“我”=自己への執着=オレが/\)の、4つの“身勝手で頑なな心”を捨て去る努力をすることだ、と。

∇老生自身、「敬天」の工夫には、「易経」の「天雷无妄(てんらいむぼう)」の卦の「流れのまゝに」や、良寛禅師が地震見舞い状とて山田某に宛てた手紙の次の言葉を反芻している。≪災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬる時節には、死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候。かしこ。≫ 又、「愛人」の極功である「四絶」には「遺教経」にある「知足安分」に徹しようと務めている。曰く、≪汝等比丘、若し諸(もろ/\)の苦悩を脱せんと欲せば、当に知足を観ずべし。知足の法は、即ち是れ富楽安穏のところなり。知足の人は、地上に臥すと雖も、なお安楽なりとす。…≫(「遺教経」) 石庭で知られる竜安寺には、方丈の北東に茶室蔵六庵があり、その前に水戸光圀寄進と伝えられる「吾唯知足(吾れ唯だ足るを知る)」と刻んだ石造のつくばい(手水鉢)がある。「仏遺教経」のこの教えを採り入れたものと伝えられる。人生の黄昏を「日々是好日」と楽しみ、時至れば静かに消えていく。そうありたい。改過の記事を読んだ爽やかな年の暮れ。老生を温かく見守ってくれた末弟一家、親友、近隣知己、そして読者の皆々様に御礼を申上げ、今年を一先ず閉じることにしたい。来春又お会いしましょう。良いお年を!


割れ窓理論

2011-12-27 17:35:17 | 日記
【事は必ず細事に起る】 老子
≪天下の難事は、必ず易きに起こり、
 天下の大事は、必ず細に作(起)る。≫(第64章)

>「ヒヤリハットの法則」といって非常に小さなミスが重なり大きな事故につながることがあります。これを防ぐためには「5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)」、「KY(危険予知)、KYT(危険予知訓練)、KYK(危険予知活動)」が大事です。…≫(当ブログ投稿者 危機管理アドバイザー尾下義男氏)

≪「割れ窓理論」で犯罪防止、取り締まり強化へ──無人販売所や畑、駅構内などでの犯罪が目立つとして、静岡県警は駅構内での張り込みや山間部での巡回を増やすなど、取り締まりの強化に乗り出した。軽微な犯罪を摘発することで重大犯罪の芽を摘む米国の犯罪抑止理論「割れ窓理論」に基づく対策という。…清水署管内では、10月頃から、無人販売所や畑、山林などでの窃盗被害が目立っている。同署によると、11月、無人販売所での窃盗で検挙したのは、26人(前年同期比7人増)、畑や山林の農作物を盗む「野荒らし」が16人(同12人増)といずれも増加した。同署は11月から、人目に付きにくく、被害が多い山間部でのパトロール回数を2倍近くに増やしたほか、不審者に気づかれないようにするため、制服勤務が原則の警察官が私服で張り込みを行うなどして取り締まりを強化している。…同署の後藤健一地域課長は「お金がなくて、食べられない人が罪を犯すというわけではない。『これくらいならいいや』というモラルの低下が問題」と指摘している。≫(12/26 読売新聞)

∇「割れ窓理論」については、当ブログでも以前に述べた。年末の犯罪防止に一役買ってもらいたいので、再録する。──「壊されたまゝ放置された窓ガラス」とでも訳される「ブロークンウィンドウズ理論」。アメリカの犯罪学者ジェームズ・Q・ウィルソンとジョージ・ケリングが発案したもので、「犯罪は無秩序の不可避的な結果」だとする理論。即ち割れたままで修理も何もされていない窓のそばを通りかかった人は、誰も気にしていないし誰も管理していないと思う→しばらくしてまた他の窓が割れる→それがやがて無法状態の雰囲気を醸し出す→次々と向かいのビル、隣の通りへと伝わり、「このエリアでは何でも許される」という「空気」を伝播させる。かくして都市街では、落書きから凡く風紀の乱れなど、比較的些細な問題の累積が深刻な犯罪の淵源・呼び水になる。この連鎖する現象を「ブロークンウィンドウズ理論」と名付けたのである。

∇彼等はその学説を立証するため、スラム街の路上に1台の車を停めっぱなしにして、経過を観察した。車が「停めてあるだけ」の状態では、何も起こらなかった。次にわざと車のフロントガラスを割り、割れた窓を放置したまま再び観察を続けた。すると、みるみる人がやってきて次々にタイヤやエンジンを盗み出し、あれよと見る間に車体は無惨な姿になってしまった。──このような実験を通して彼等は、スラム街の破壊・盗難のきっかけは駐車それ自体ではなく、無防備な状態(割れた窓)にしたまゝ放っておくことにある、と考えたのである。(老生は、貧困や日頃のストレスの蓄積が「割れた窓」の更に元の起爆剤になっている、と思うのだが・・・) 理論(現象といった方が適切かも)の是非云々よりも重要な点は、ケリング博士等の理論を市政に取り入れた当時のニューヨーク市長R・ジュリアーニ氏だ。

∇彼は治安向上の最優先を公約に掲げ、「割れ窓理論」を取り入れ、警察官の大幅な増員をし、路上パトロール強化のほか、割れた窓や落書きを放置しないというような軽犯罪を次々に取り締まることを徹底した。その結果、1993年には約1900件あった殺人事件が、2001年には約600件まで減少したという。些細と思える学説に耳を傾けて街を改善していった市長が偉いともいえる。蛇足を加えれば、「割れ窓理論」は、尾下義男氏が指摘された「ハインリッヒの法則」を裏返したその犯罪版だともいえる。既にご承知の通り、「1件の重大災害の陰には29件のかすり傷程度の軽災害があり、その陰には300件のけがはないがヒヤッとした体験がある」。これをハインリッヒの法則または1:29:300の法則という。70年も前に50万件以上の労働災害から導き出された法則だ。どんな大きな事件の裏側にも必ずその淵源となる小さな禍種が渦巻いている。それを「見て見ぬふり」をしていてはダメ。老子曰く、≪天下の大事は、必ず細に作(起)る。≫

世論の趨勢

2011-12-26 18:02:36 | 日記

○去年今年(こぞことし)貫く棒のごときもの 虚子(新年)
○来る年今年 貫くごとき 棒やある     楽翁(年末)

【震災後の政治に「不満」8割 朝日新聞世論調査】
≪朝日新聞社が実施した郵送による世論調査では、東日本大震災後の政治の現状に不満を抱いている人が80%に達した。一方で原子力やエネルギー政策をめぐる国民投票や、首相公選制への賛成は7割に上った。停滞する政治にいらだち、自分の手で政治を前に進めたいという意識がのぞいた。 震災後の日本の政治にどの程度満足しているかを聞くと、「どちらかといえば不満」52%、「不満」28%で、「どちらかといえば満足」15%、「満足」1%だった。「不満」は無党派層で36%、20代で35%と高めだった。 震災復興と原発事故について民主党政権のこれまでの対応を「評価しない」という人は71%で「評価する」は25%にとどまった。民主支持層でも50%が「評価しない」だった。…≫ (12/26 朝日新聞)

∇ヨーロッパEU圏、オバマ米国、プーチンロシア、民主政権日本など、今年は先進諸国全てが国家の危機存亡の岐路に立つ“政治不在の年”だった。今年最後の朝日新聞の世論調査にもそれが如実に表れている。さて、世論調査だが、政権や与党に対する不満もそうだが、今回の調査では、野党の自民党の対応も「評価しない」は80%で、「評価する」は16%だった。≪いまの政治が「あなたの意思」をどの程度反映しているか聞くと、「反映していない」が「まったく」25%、「あまり」59%、「反映している」は「ある程度」12%で「大いに」0%だった。≫ 国民投票で原子力やエネルギー政策の方向性を決めることに賛成は68%、反対は25%だった。首相選出に国民投票方式で選ぶのにも70%が賛成、現状方式が23%だった。又、デモに政治を動かす力があるや否やには、「ある」が44%、「ない」が50%だった。

∇面白い質問があった。現在の民主党政権と、過去の自民党政権についての比較評価だ。結論を先に述べれば、「財政再建や行政のムダ削減」「政治とカネの問題への対応」「年金や医療などの社会保障政策」に民主党が軍配が挙がり、「外交・安全保障政策」「景気対策」「官僚に対する指導力」に自民党の評価が高かった。じゃあ、いまの自民党に政権を任せてよいかと聞くと、「任せられない」が56%、「任せてよい」は30%にとどまった。──来年2012年の干支は「壬辰」(みずのえたつ、じんしん)だ。朝日夕刊にアシカの仲間オタリア・レオくん(オス・9歳)が、≪新年に向け、書き初めの練習に励んでいる。練習を披露したのは。飼育員に手伝ってもらいながら、口にくわえた筆で来年の干支「辰」の文字を書き上げ「笑顔」のポーズ≫の写真が載っていた。果たしてどんな年になるのやら? 来年は、突きつけられた上記の「民意」をどう実現するか、先ずは議員同士で真剣に熟議して欲しいものだ。

クリスマス・イヴ

2011-12-25 16:04:47 | 日記
○八万(やよろず)の神集へかしイヴ今宵  楽翁

∇今日は12月24日、「クリスマス・イヴ」である。スーパーに買物に出かけたら、場内がクリスマス関係の食品を買う人々で賑わっていた。年の瀬を迎え、威勢のよい掛け声があちこちで聞こえるのは何故か嬉しい気分に満ちて非常によいことだ。──ところで、≪「クリスマス・イヴ」の原義は「クリスマスの夜」であるのになぜ「クリスマスの前夜(または前日)」を指すのかという理由は以下のとおりである。ユダヤ暦およびそれを継承する教会暦では、日没をもって日付の変り目とする。このため伝統的教会では、クリスマス・イヴの日没からクリスマスを起算する。このような教会では、「クリスマス・イヴ」は既にクリスマスに含まれている。カトリックでは、クリスマスには夜半・早朝・日中の3回ミサを行うが、日本などでは夜半ミサを前にずらして24日夜に行うことがある。一方、プロテスタント一部教派では、25日に日付が変わったときをもってクリスマスの開始とする。≫(フリー百科事典「ウイキペディア」より)

∇言うまでもなくクリスマスの前夜祭なのであるが今では、キリスト教の信仰・教義云々には殆ど無関係で、“ただのイベント”という宵祭りになっている。「恋人や家族と過ごす日」を謳い文句に、商魂たくましい商人たちがあの手この手で「贈答品」「お祝い品」を企画提案し、市民たちもそれに乗って財布の紐を緩める日である。キリスト教信者かどうかに拘泥せず、ドンちゃん騒ぐ「イヴ」であってよいと思う。老生は宗教に関しては、キリスト教・イスラム教・ユダヤ経の如く、唯一の神的存在者だけを認めてこれを信仰する「一神教」ではなく、寧ろ原始的諸宗教の如く、複数の神々を同時に崇拝する「多神教」であるべきだと考えている。信仰の対象がキリストだか、ヤーウエーだかはどうでもよい。マホメットでも孔子でも出雲の神々でも、○○、△△、□□でも、新興宗教でもよい。人々が、某信仰と出会い、その機縁が生じたということは、まさしく個々人の「業縁」であり、「宿縁」である。「唯一神」、そしてその教条にのみに偏倚することこそが、独断・差別・偏狭を招来する原因ではなかろうか。

∇今年一番感じたことは、東日本大震災、タイの大洪水を始めとする“自然の猛威”に茫然自失した「人間というもの」の「頼りなさ」「儚さ」だった。どんなに偉そうに、宗教家が自分の属する宗教の「神の御業」を力説しようが、その「宗教上の神的存在者」ではなく、“本来の神”≒“自然”の偉大さ、不可思議さの前には、頭を下げ、黙々と従わざるを得なかった。そして人生をリセットして再スタートする際に、被災者を力づけてくれたのは、唯一神ではなく、多岐多様な「神々」であり、生身の「人間」であったりした。勇気付けられたのは、高遠なる「信仰」よりも、ドロドロした巷の「処世術」であったりもした。要するに、苦難を生き抜くには、隣人たちや先人の知恵の中から、TPOに適った訓戒・手本を見つけ出して応用していくのが緊要だ。宗教でいえば、ある事に関してはキリスト教的、ある事に関してはユダヤ教的、イスラム教的、儒教的、…新興宗教的であってよい。どん底から這い上がるべく、「神々の助け」を総動員することが賢明策なのである。

∇かつて内村鑑三曰く、≪東洋道徳は言う、「己の欲せざる所は人に施すことなかれ」(「論語」顔淵篇)と、西洋道徳は言う、「何事でも、人から自分にして欲しいと望むことを、人にもしてあげなさい」(マタイ伝7)と。二者は相互によく似ている。しかしながらその間には大いなる相違がある。前者は消極的道徳であって、後者は積極的道徳である。前者に従えば他人に害を加えさえしなければ、それで事は済むのである。後者に従えば己の善と認めることは進んで之を他人に施さねばならないのである。…≫と。果たしてそうだろうか。「何事でも、人から自分にして欲しいと望むことを、人にもしてあげなさい」というイエスの言葉は、≪人から自分にして欲しいと望むこと≫が、万人共通であるとの前提が成立してはじめて当を得る。実は自分の欲することと他人の欲することが全く逆な場合も多いのである。又、「論語」の「己の欲せざる所」が、実は「他人の欲する所」でもあるのだ。結局、TPOにより西洋道徳と東洋道徳を使い分けすることの方が賢明策である。八万(やよろず)の神々が集合して、今年一年の苦労を吹き飛ばすほどのクリスマス・イヴであって欲しいものだ。

喪に服す

2011-12-24 17:22:48 | 日記
≪正恩氏背後に若い喪服女性=妹か妻との見方も──北朝鮮の朝鮮中央テレビは21日、死去した金正日労働党総書記の後継者、金正恩氏が平壌の錦繍山記念宮殿で、弔問客に直接応対する様子を放映した。正恩氏の背後には若い喪服姿の女性が立っており、同氏の妹か妻との見方が出ている。韓国のYTNテレビが伝えた。朝鮮中央テレビの映像によると、女性はやせ型で、髪を後ろに束ねている。悲しみに暮れ、目を伏せていた。正恩氏には妹ヨジョンさんがいることが分かっている。また、韓国の一部メディアは、正恩氏が昨年、結婚したと報じていた。≫(12/23 時事通信) 

∇22日付朝日新聞には、≪ 正恩氏、服喪いつまで 17年前の金総書記は3年≫の表題で、後継者・金正恩氏の服喪期間についての記事が載っていた。「服喪」は、周知の通り、≪喪に服すること。近親者が死んだ後、一定期間、行いなどを慎しむこと。≫(「大辞泉」) 儒教では、葬儀のしきたりや服喪の決まりは結構ウルサイ。先ず、弔問客対応時に≪正恩氏の背後には若い喪服姿の女性が立っており≫、の「女性」は誰か。94年7月、金日成氏が82歳で死去した折に、この位置に立っていたのは、金正日氏の妹・金敬姫女史だった。今回も金正恩氏の妹ではないか、とする説が有力だという。いずれ判明することだ。そして、問題は服喪期間。金日成氏が死去した時は、3年間の服喪期間を経た97年10月、金正日氏が労働党総書記に就任した。今回の場合は「四十九日」「1年」「3年」といった様様な憶測が流れている。老生思うに、正恩氏の権力掌握次第だろう。父親ほどのカリスマ性も、経験も、統治能力も未知数な正恩氏の服喪期間は、教科書どおりには進まないだろう。喪服期間が早いほど、組織体制固めの緊急度を表徴することになる。孰れにせよ、遺訓政治のような形を3年間続けることは難しいとの意見が大勢である。“3年間の喪服”はありにくい、ということだ。

∇さて、「論語」に親の服喪について面白い記事が載っている。≪弟子の宰我が、当時、子が父母の死後三年間(実質二十七ヶ月)、親の喪に服す決まりがあったのに反発して、「そんなに長い期間喪に服していたら、礼・楽そのものが行われず消滅してしまいます。一年でいいのではないでしょうか」、と孔子に訊いた。そうしたら、孔子はキットなって叱った。孔子「お前は親が死んで、僅かに一年経っただけで、米の飯を食い、美服を着て平気なのか」。宰我「別に平気ですけど」孔子「お前が平気だったらそうするがよい。君子たるもの喪に服している間は、何を食ったってうまくないし、どんな音楽を聞いても楽しくないもんだ」。 宰我が退出すると、孔子は嘆かわしい顔をしてこう言った。「子供は生まれてから三年経ってやっと父母の懐から離れる。三年も子を心配してくれたその父母への思いが『三年の喪』というしきたりになったのに。 宰我には、父母への三年の愛すらないのか、冷たいやつだ」と。≫(陽貨篇)──この章は色々考えさせられる問題を含んでいる。伊藤仁斎は「論語古義」で、宰我がこの時点では未だ父母存命中だからそんなことをいっているのだ、といい、荻生徂徠は「論語徴」で、孔子が礼楽を重んじたのでその点は宰我の指摘はもっともだ、といい、朱子の「論語集注」は宰我を責める説を集め等々、古来、宰我の心情の是非・弁護さまざまである。老生は宰我の肩を持つ方だが、「父母への三年の愛すらないのか」にはじーんと身に詰まされる思いがする。……