残照日記

晩節を孤芳に生きる。

弁当屋

2010-09-30 08:02:04 | 日記

<おじさんへ。こんにちは。その後、お元気ですか。(中略) 食事は毎日しっかりと食べていますか。何かおかずがいるようでしたら送りますのでいって下さい。(後略)>(昨日届いた末っ子格の姪からの手紙)── 家内が亡くなって二ヶ月余り。一人身の過し方もどうにか馴れてきた。生前家内が近隣のお付き合いをよくやってくれていたので、当初はそういう方々から有難い差し入れを頂戴したり、姪たちが時折送ってくれる惣菜で食を賄っていた。最近は写真にあるような、家庭的料理をメニューとする「弁当屋」さん等を利用している。スーパーでも惣菜に一工夫がなされているようだ。老人や一人暮らしの家庭が急増しているからだろう。有難い時代である。

世襲

2010-09-29 07:30:16 | 日記
○操らる人形哀れ秋朝鮮  楽翁

<金ジョンウン氏、党中央委員に選出──【ソウル支局】北朝鮮の朝鮮中央通信によると、28日に開かれた朝鮮労働党代表者会で、金正日(キムジョンイル)総書記(68)の三男ジョンウン氏(27)が、党中央委員と党中央軍事委員会副委員長に選出された。>(読売新聞) 今時「世襲」で体制維持を図る北朝鮮。そしてそれを裏で歓迎する中国。日本に生れてよかった。或る脱北者曰く、「世襲が続くなら、北朝鮮が戦争で負けて体制が崩壊する以外に民衆が幸せになる方法はない」(朝日新聞)  写真は、松戸市本福寺門前にある、「吉田松陰脱藩の道」の碑。

「老子」の三宝

2010-09-28 07:35:07 | 日記
我に三宝有り、持して之を宝とす。
一に曰く慈、
二に曰く倹
三に曰く敢えて天下の先とならず。
      (「老子」67章)

最近この章を反復・反芻している。百万巻の書を読むに勝る名句だと思う。「慈愛」の心、即ち先ずは「他人にGIVE」の実践が大事。自分は、普段は「倹」、即ち「つつましい」日常生活を送る。そして「敢えて天下の先とならず」とは、「オレがオレが」の心を捨てること。“勝ち組”になろう、としゃにむにならず、「先」や「勝ち」を他人に譲ること。この三つの宝を堅持すれば、天は必ず我を守ってくれる。──そんな確信を抱いている。

∇<トルストイの読書観>(「人生の道」・岩波文庫)
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◆多くの著述家の著作を読んだり、色々な種類の書籍を読んだりすることが、我々の頭脳に昏迷をかもし出さないよう、戒心するがよい。疑いもなく価値のある著述家たちの著作によってのみ、自己の頭脳を養うべきである。(セネカの言葉)

◆余りに多くの物を読みすぎるのは、たしかに思索にとって有害である。私が自分の研究せる多くの学者たちの間に逢着した大学者達は、いずれも期せずして寡読者だったのである。─ 問題は何を思索すべきかではなく、いかに思索すべきかが重要。

◆人々はしばしば、多く知れば知るほどますますよくなるものと考える。が是は正しくない。肝心なのは、多くを知るということではなくて、われわれが究め得るありとあらゆる事象の中から、一番必要な事柄を究め知るという事である。大切なのは知識の量ではなく、知識の質である。

彼岸花

2010-09-27 12:49:05 | 日記

○曼珠沙華あっけらかんと道の端  漱石 
○彼岸花蕭蕭と降る雨の中     楽翁

∇何事も無く過している身には、今頃、あちこちの道の端・田の畦・土手等々で見かける曼珠沙華(彼岸花)は「あっけらかんと」(何事もなくけろりと)咲いているようにみえる。だが、蕭蕭と降る雨の中、墓地や庭隈に咲いている彼岸花は、無性に物悲しさを感じさせる。まさにそれは「死人花(しびとばな)」の名が相応しい。写真は拙宅の門前に咲いている白い彼岸花。もともと「曼珠沙華」は梵語で「赤」を表す語だとか。

秋の気配

2010-09-26 07:37:06 | 日記
○秋晴れの妻亡き朝や茶をすゝる  楽翁

今朝は、いかにも“秋”という気配。残念なのは妻が側にいないこと。一人で啜るお茶の侘しいことよ。炎暑の日々の中、最期を迎えただけに、一日でよいからこんな秋の清涼な朝を過させたかった。だが、悔いてもしょうがあるまい。──それにしても焼香に訪れてくれる人々の絶えぬこと。家内の生前の功徳が忍ばれる。昨日もプリンや、カボチャジャム入りのパンを焼いて下さった方々が訪れた。(写真) 老生も残照の日々を、少しでも徳行に励むことにしよう。