残照日記

晩節を孤芳に生きる。

知る権利

2010-11-30 10:21:06 | 日記
○三ツ星の冴えてはやくも師走なり  楽翁

<子曰わく、民は之に由(よ)らしむべし。之れを知らしむべからず。>(「論語」泰伯篇)──古来注釈は色々ある。例えば古注では、人民は無知なものだから、政府の施政方針に従わせるだけでいい。一々その理由を説明する必要はない、とする。朱子の新注では、人民全部が政府の施政方針を知る事は理想だが、それはなかなか難しい。随順させることはできても、一々説明することは至難だ、とする。政府情報はどこまで知らしむべきか或は否か。古くて新しい問題である。──

∇内部告発情報をネット上で暴露する「ウィキリークス」が、アメリカ外交文書約25万件の一部を公開し、オバマ政権に、深刻な打撃を与えている。外交上重要な各国主脳を茶化した人物酷評や、米韓高官による南北朝鮮統一を展望した協議、中東諸国が対イラン攻撃を求める実態などが含まれている。「ウィキリークス」は先にも米軍の機密文書40万点を公表して話題になった。又、アフガニスタンでの戦闘に関する9万件以上の軍事機密文書や、イラクのバグダッドで07年に米軍の攻撃ヘリコプターが記者や市民を銃撃した生々しい映像を公表したことでも物議を醸した。アメリカ政府は米国のみならず、同盟・友好国の外交上の利益が多大な打撃を受けると厳しく批判している。

∇「ウィキリークス」の創始者であるジュリアン・アサンジはオーストラリア人、元ハッカーでコンピューター・プログラマーだったそうだ。2006年に「大衆のための初の情報機関」をスローガンに「ウィキリークス」を立ち上げた。彼は英紙ガーディアンのインタビューで<権力者の横暴と戦うことこそ、優れたジャーナリズムの役目。そして権力というものは、挑戦されると決まって反発するものだ。つまり、物議を醸している以上、情報公開は良いことなのだ>と語っている。<「ウィキリークス」は果たして知る権利に応える「正義のメディア」なのか?それとも国家の安全保障を脅かす「敵」なのか?>(11/4 NHK「クローズアップ現代」)

∇日本でも“ビデオ流出問題”以来「知る権利」が声高に叫ばれている。先ずは「知る権利」とは何か。 学習百科事典「学研キッズネット」によれば次の通りである。<国民が真実を知る権利。国民は政府や企業などの行為について知る権利があり、政府や企業は国民に知らせる義務がある。政府や企業が都合の悪い情報をかくすと、国民は政治について正しい判断ができなかったり、欠陥商品を買わされるおそれがある。ヨーロッパでは,憲法・基本法などで「知る権利」を保障している国もあるが、わが国は,最近まで憲法その他の法規に明文の規定がなかった。しかし、地方公共団体が情報公開制度をとりいれるようになり1999(平成11)年には国も情報公開法の制定(2001年施行)をし、「知る権利」はみとめられてきた。>

∇我が国での「知る権利」はまだ緒についたばかり。「日本国憲法」第21条に定める<集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する> =「表現の自由」を敷衍発展させた権利と考えられる。岩波「芦部憲法」によれば、<表現の自由は、世界人権宣言19条に述べられているように、「干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由」と「情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む」ものと解釈されるようになった。知る権利は、「国家からの自由」という伝統的な自由権であるが、それにとどまらず、参政権的な役割を演ずる。個人がさまざまな事実や意見を知ることによって、はじめて政治に有効に参加することができるからである。さらに、知る権利は、積極的に政府情報等の公開を要求することのできる権利であり、云々>とある。

∇「知る権利」を具体的に規定したのが「情報公開法」(「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」)である。<国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定め>てある。この中で、<公にすることにより、国の安全が害されるおそれ、他国若しくは国際機関との信頼関係が損なわれるおそれ又は他国若しくは国際機関との交渉上不利益を被るおそれがあると行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある情報 >や<公にすることにより、犯罪の予防、鎮圧又は捜査、公訴の維持、刑の執行その他の公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれがあると行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある情報 >は、不開示にできるとしている。──「ビデオ流出」や「ウィキリークス」暴露情報は、果たして「知る権利」相当の情報なのか、単なる「知りたがる情報」に過ぎないのか。「熟議」すべき時だと思う。

アジア大会雑想

2010-11-29 08:41:13 | 日記

▼細井平洲が上杉鷹山公に申し上げて曰く、<人を育てる上で心得べきは、菊好きの者が菊作りするようなやり方をしてはならないということです。寧ろ百姓が菜大根を作るようにすべきなのでざいます。というのは、菊作りというものは、花や形が見事に揃うように多くの枝や蕾をもぎ取ったり、伸びすぎたところを切り揃えたりして、自分の好み通りに仕立てます。従って、不出来の花は花壇に一本も残りません。百姓の菜大根作りはそれと異なります。一畑の中には出来不出来、大小不揃いも生じますが、一本一株をも大切にしてそれぞれを大事に育てます。要は食用に立つようにと、育てることが大切なのでございます>と。(「嚶鳴館遺草」)

∇アジア大会が終わった。今大会は五輪を上回る史上最多の42競技476種目が実施され、45カ国・地域から約9700選手が参加したそうだ。金メダル獲得数で断然1位だったのが中国で、これまでで最多の199個を獲得した。2位が韓国で76個、3位の日本は目標の60個を下回る48個にとどまった。他国を圧倒した中国選手団の段世傑団長は、<「多くの金メダルを取ったといっても、その大部分は五輪の金レベルに達していない」と冷静に分析し、「ロンドン五輪に向けて全力で取り組む。我々はいささかも怠ることは出来ない」と、継続的な強化と、さらなる躍進を宣言した。>という。(11/27読売新聞)

∇金メダル数で2位の韓国は、前回の58個から76個へと伸ばし、総数でも232個と、日本の216個を上回った。財閥企業から豊富な資金援助を受けていることが特徴的だそうだ。(読売) 一方惨敗の日本。日程ミスで有力メンバーを送り込めなかったり、他国の情報を分析する戦略面でも後手に回った。市原団長は「戦略的な選手強化をしなければ、ロンドン五輪で好成績を収めることはできない」と語っている。<強化ポイントを探る上でも大事になる情報戦略から練り直さなければ、日本のスポーツは気づかぬうちに、世界やアジアから取り残される危険性もある。>(以上は11/26毎日新聞)

∇さて、09年の世界人口推計によれば、中国が約13億人、日本が1.3億人、韓国が0.5億人となっている。一方、国民生産性や豊かさを推し量る目安の一つである一人当たりGDP(名目USドル値)では、日本が39,740、韓国が17,074、中国は3,735である。GDP総額で世界第2位をほゞ手中にした経済大国中国ではあるが、一人当たりGDPは日本の10分の1、韓国の5分の1にも満たない。仮にこの数値を以て国民の満足度を比較すれば、金メダルが日本、銀が韓国、中国はメダル圏外に位置づけられるだろう。アジア大会で圧倒的強さを見せ付けたスポーツ大国中国は、今、富める者と貧しい者との経済格差が益々開いて、所謂“優勝劣敗”に対する格差解消問題に頭を痛めている。

∇メダル獲得者に多額の賞金を出したり、財閥が豊富な資金援助をしたりして、国際競技大会でメダルを競うことが一概に悪いとは思わない。或る意味では国威発揚の場にもなり、国民にとっても、自国の選手たちの活躍が励みになることもあるからである。しかし国民的価値はそこまでだ。大会が終われば興奮の渦は彼方に消え、現実の自分の生活の満足度如何が問われる。しかも世界大会は頻繁に行なわれ、アジア大会は勿論のこと、世界選手権やオリンピックでさえ特別価値を失いつゝある。メダル獲得数にこだわる必要はない。従ってメダル獲得のためのエリート教育に過分な資金を投じる必要はない。上掲の細井平洲の言葉を借用すれば、「菊作り」よりも、「菜大根作り」を重視する国家であるべきだ。国民にとってスポーツ大会は娯楽の一つに過ぎないのだから。


偶然の一致

2010-11-28 08:57:20 | 日記

 当然あり、自然あり、偶然あり。
 君子はその当然を尽くし、
    その自然に聴(任)せ、
    その偶然に惑はず。(「呻吟語」)

∇オバマ大統領が、友人とバスケットボールのプレー中に、唇を12針も縫うけがをしたとのことだ。先の中間選挙で共和党が過半数の議席をとり、民主党が歴史的大敗を喫したばかり。まさに「踏んだり蹴ったり」「泣きっ面に蜂」だ。思えば世界中の耳目を集め、鉦太鼓を鳴らして誕生したオバマ大統領だった。それが今ではどうだ。米世論調査会社ゾグビーが行なった調査結果によると、オバマ大統領の支持率は過去最低の39%、不支持率は最悪の60%に達し、大統領の2012年の再選は「危険な状況にある」とされている。(11/23共同通信) ふと我が民主党政権にも共通する「何か」があるような気がし出した。

∇自民党政治への不満が爆発して民主党が圧勝したのも束の間、現在は「カネと政治」不信、外交問題を機に晒した大臣等の失言の数々、内閣の危機管理の甘さ等々が立て続けに重なり、管首相のリーダーシップが厳しく問われている。新聞各紙の世論調査によれば、最近の内閣支持率は20%台前半、不支持率が60%台にのぼる。政権維持ができるかどうかの目安とされる“危険水域”に入った。早くも「12月末内閣改造」説や「1月解散」説が取沙汰されている。偶然なのだろうが、米「民主党」で起きていることが同時に日本「民主党」でも起きている不思議。今年は、日米同名の「民主党」なる団体の“年回りが悪い”のかもしれない。──ふと、寺田寅彦の「藤の実」という随筆が脳裏を掠めた。

∇ある日のこと、寅彦宅の庭の藤棚の藤豆が突然はねて、その実の一つが飛んで来た。家の者の話によれば、藤豆は午後一時過ぎから四時過ぎごろまでの間に頻繁にはじけ、庭の藤も台所の前のも両方申し合わせたように盛んにはじけた、という。寅彦は銀杏の葉が散るときも、椿の花が落ちるときも似たような現象に出くわした。又、<先日宅(うち)の子供が階段から落ちてけがをした。それで、近所の医師のM博士に来てもらったら、ちょうど同じ日にM氏の子供が学校の帰りに道路でころんで鼻頭をすりむきおまけに鼻血を出したという事であった。それから二三日たってから、宅の他の子供がデパートでハンドバッグを掏摸(すり)にすられた。そうして電車停留場の安全地帯に立っていたら、通りかかったトラックの荷物を引っ掛けられて上着にかぎ裂きをこしらえた。その同じ日に宅の女中が電車の中へだいじの包みを置き忘れて来たのである。>

∇似たような出来事が場所を違えて同じ日に起こる。類似の事件がA市とB市、そしてC市とたて続けに起こる。不思議なようで、現実にはそのような現象がよく起きる。α家に不幸なことが続いたり、火事の発生、介護疲れで老夫婦が殺傷する事件、ひき逃げ事件、学校教師の盗撮、飛行機の墜落事故等が同時にあちこちで起きたりする。 寺田寅彦は、このように、藤の実がいっせいにはじけたり、人間がけがをしたり、遺失物をしたり、あるいは飛行機や汽車などの事故が重なるのは、科学の立場から見れば全く偶然なのだろうが、古くから忌日とされる「悪日」「さんりんぼう」といったものも、一概に「迷信」で片付けられるものではないのではないか、と言っている。「柳の下に泥鰌が二匹」いたり、「二度あることは三度ある」のが実は普通なのかもしれない。現内閣や民主党の将来は、オバマ政権の動向を注視することで分る? 尤も、それまで政権が持てば、の話だが。呵呵大笑。

大事を争え

2010-11-27 12:04:53 | 日記
∇約5兆900億円の経済対策を盛り込んだ10年度補正予算が26日夜成立した。今後臨時国会は「相次ぐ閣僚への問責決議」「政治とカネ」等々の問題で与野党が激しく対立したまゝ12月3日の会期末まで続く。それにしても今国会の論戦は史上最低レベルの内容で終始した。<国会は「大事争うべし」>と題して、< 成果においても、審議の質の面でも、今国会の惨状は目を覆うばかりである。論ずべき重要課題は多いのに、傾聴に値する議論がほとんどない>と今朝の朝日社説が切り捨てている通りである。尖閣諸島沖の事件も、この度勃発した北朝鮮による韓国領砲撃をめぐる事件も、ビデオの流出や公開、政府初動の遅れ等“些事”に議論が集中し、肝心の「今後の対中露外交戦略」や国内問題等については少しも掘り下げられていない。

∇「天声人語」氏も言う。<国会は言論の府のはずが、このところ口論の府になり下がっていないか。そんな趣旨の投書が東京で読む声欄に相次いでいる。……テレビの国会中継は質問者のパフォーマンス会場みたいだと、投書氏らは嘆く。とりわけ野党の若手に目立つようだ。「ヒステリック症候群とでも称すべき態度」で「大げさな物言いや、汚い言動で罵倒」する。そうした場面が続くことに、「これでは一種の低俗番組」と厳しい。わが印象も相似たりだ>と。(11/26付) 投書氏の中には老生も含まれ、紙面に掲載された分が導火線役を担った。何はともあれ、「国会」なのだから、外交・安全保障問題のみならず、国内の経済政策・社会保障政策等々をも論題に上げ、実のある論議をして欲しいものである。

∇さて、朝日社説は、<小泉純一郎元首相がよく引用した言葉に「大事争うべし、些事構うべからず」がある。権力者の逃げ口上にも使われかねず、現にそう使われもした。しかし、昨今の国会論戦を見るにつけ思い出される警句ではある>で締められている。古典をよく読んで引用好きだった小泉氏だが、この言葉に原典は見つからない。敢て憶測すれば、「史記」項羽本紀に出る<大行(たいこう)は細瑾(さいきん)を顧みず>、を私流に表現したのかもしれない。<大事業を成就しようとする者は、ささいなことにはこだわらない>(大辞泉 )と言う時によく使用されるからだ。元々は、項羽と劉邦が会見した名高い「鴻門の会」で、項羽の臣下が劉邦を殺害せんと企てたのを見抜いた劉邦の側臣が彼に脱出を促した言葉である。

∇紀元前200年頃、乱れた秦政権打倒のために立ち上がったのが有名な楚の項羽と漢の劉邦だ。最初に要地である関中攻略を果たしたのが劉邦軍だった。他方項羽は、秦政権最強の軍団を激戦の末破り、関中を目指して進軍してきた。ところが函谷関に到着してみると、既に劉邦が守備しかつ咸陽を攻め落としたとの情報が入った。激怒した項羽は鴻門に軍を敷き、大軍を以て劉邦軍を撃破する計画を立てた。総攻撃の前夜、項羽の叔父により両軍和解の折衝が行なわれた。それが秦の首都・咸陽郊外で行なわれた「鴻門の会」である。酒宴が催された。劉邦殺害の危機が迫る。参謀・張良らは劉邦遁走の計を図った。その時、項羽に挨拶もせず去るのは失礼に当らぬか、と躊躇する劉邦を、部下のhankaiが叱った言葉が<大行は細瑾を顧みず>である。

∇この言葉のあとに、<今、まさに刀俎(とうそ)たり、われは魚肉たり、なんぞ辞するをなさん>と続く。「大事の前の小事です。今の我々は俎上の魚同然です。こんな危険な時に、何で挨拶がいりましょうぞ」とせかしたので、劉邦は「然り」として遂に逃げ去ったのである。──朝日社説が、小泉氏がよく引用した「大事争うべし、些事構うべからず」という言葉は、<権力者の逃げ口上にも使われかねず、現にそう使われもした>と書いているが、<大行は細瑾を顧みず>もまさに遁走時の理由付け口上であった。今、我が国はまさに非常時だ。「鴻門の会」ならぬ「国会」を乗り切るには、菅内閣も<大行は細瑾を顧みず>と大言壮語して、当面のドタバタ劇を切り抜け、内閣改造を試みたり、万策を尽くして再起を図ったらどうか。


<初動空白の70分>

2010-11-26 11:33:22 | 日記
▼<幾は動の微にして、吉凶の先ず見(表)るゝものなり。君子は幾を見て作(立)ち、日の終るを俟たず。>(易経・繋辞下伝)──幾とは兆(きざし)。そもそも幾とは、事のはじめの微妙な動きであり、事が吉となるか凶となるかを示唆する前兆である。故に君子はその幾を見て、必要な措置を講じ、日を終えるのを待たず、ただちにこれを実践に移すのである。

∇<北朝鮮砲撃─首相官邸に空白の70分間>、その間、職員数十人がいたものの、政治家は不在だった? という“初動空白の70分”問題が国会を沸騰させている。野党側は「国民が心配している最中に首相官邸は空っぽ。首相は公邸で国会対策の話をし、国家より党のことを考え対応していた」「治安対策を担当する岡崎国家公安委員長が、連絡を受けた後も警察庁に登庁しなかった」「発生から関係閣僚会議を開くまで6時間。危機管理にあまりにも無頓着だ」等々と批判している。確かに、最近発生した諸々の外交対応を鑑みると大きな不手際が目立つ。政府は勿論のこと、与野党すべてが不断の危機管理意識を高め、深耕させ、スピーディな実践対応ができるシステムを作り上げることが焦眉の課題であると思う。それには先ず、中国古代伝説聖王の如く、大臣・議員諸兄たちが率先して、より職務に精励することが不可欠だろう。

∇孔子が言うには、「夏王」であった禹については、私が非難すべき欠点は全く無い。飲食を薄くして孝を鬼神(天地の霊神)に捧げ、祭礼に着る衣服は質素にし、宮室(住まい)を卑しくして力を灌漑水路に捧げた。(「論語」泰伯篇)──「史記」にその奮闘ぶりを<身を労し思いを焦がし、外に居ること十三年、家門を過ぐれども、敢えて入らず>と記されている。朝から晩まで、仕事、仕事。家族から離れて工事現場に寝起きすること十三年。家の前を通っても立ち寄ることなく、洪水対策一筋に身を捧げた、というのである。その甲斐あって、治水に大きく効をおさめることができた。一国を預託された首相・大臣・議員ともなれば、家庭を顧みず、寸時たりとも、国民の安寧・幸福を実現すべく政務に尽くすべきだ、ということだろう。

∇しかし、今の世は「夏王」の時代とは比較もできぬ程複雑で、難題・急務が膨大量ある。内閣全員が首相官邸に押し詰めただけで事が片付く訳ではない。有能なる人材を揃え、高度に構築されたシステムを以て、的確に初動・機動されることが重要である。何にも増して優先するのが人材を得ること。「史記」に有名な「捉髪吐哺(そくはつとほ)」という熟語が生まれた故事が載っている。<周公が息子の伯禽を戒めて言うには、私は現在の成王にとっては叔父にあたる国家の重役である。その私でさえ、天下の賢人を失ってはならぬと。人が訪ねてくると、一度沐浴して洗髪する間にも、三度中断して髪を捉(にぎ)り、一度の食事中に、食べかけのものを三度吐き出して人と会っている。それほど気を使っても、まだ優れた人物を見逃しているのではないかと心配でならない。お前も魯公となったからには、国君だからといって決して驕ってはならぬ、と>。

∇人材を得て何をするか。「高質な分業」である。「論語」に曰く、<孔子が言うには、鄭(てい)の国の外交文書は大変勝れていて、落ち度が無かった。命令書作成に当っては、卑ジンが草稿を作り、世叔が検討し、外交官の子羽が添削し、子産が脚色したからだ>と。(憲問篇)── 有能な人材が、それぞれの役割をキチンとこなせば、首相官邸での「空白の70分間」も大騒ぎする必要は無い。首長は幾を見て作(立)てばよい。北朝鮮砲撃の矛先が、即刻日本への砲撃に繋がるわけでは無いのだから。最近は些細と思える事柄でも、野党側がヒステリックな口調で内閣を問責し過ぎる。「知りたがる覗き見志向」を「知る権利」と取り替えて、メディアがそれを助長する。そろそろ与野党共々腰を落着けて、“喜怒を色に形(あら)わさず”、とドッシリ行きたいものだが、どうだろう。

∇今から約1800年前、中国では所謂「三国志」の時代が終わり、魏が蜀・呉を滅ぼして国を晋と号した。そしてそれも束の間、晋は辺境の匈奴に滅ぼされ、南京に逃れて東晋王朝を築いた。北方では苻堅が一帯を鎮めて前秦という国を建国し、東晋を降すべく百万の大軍を動員して南征に乗り出した。その時、彼らを「淝水の戦い」で大敗させたのが東晋の名宰相・謝安(320~385)だった。謝安の大度量ぶりは「十八史略」を引用する。< 前秦の侵入するや、東晋では官民ともに震え上がった。だが、謝安は平然として客と碁を打ち、別荘を賭けて勝負していた。戦勝報告が入った。謝安は報告書を読み終わると、それを座の側に置いたが、<喜色無し>(別に喜ぶ様子もなかった)。客が報告書の内容を尋ねると、「何、小僧どもが賊を打ち破ったそうで、と。> まあ、大将たるものこれくらい肝が据わっている必要もある。もっとも、碁客が帰るや、<謝安部屋に入り喜ぶこと甚だし。下駄の歯が折れたのにも気がつかなかった程>だったとか。