残照日記

晩節を孤芳に生きる。

世論の強弱

2011-08-01 18:30:31 | 日記
【自分の頭で考える】
≪今日以後、私は、まったく私の独自の仕事でないような講演や詩や書物は、世間に公けにしないつもりだ。私は、公開講演その他において、私がそのことで深い思索をこらしてきた事柄のみを語り、一時しのぎに初めて考えたような事柄は語らないようにしよう。≫(エマソン選集「たましいの記録」日本教文社版より)

≪首相「特例公債法案成立まで続投」──菅直人首相は7月31日夜、首相公邸で江田五月法相ら自らのグループの議員約10人と懇談し、8月末の国会会期末までに特例公債法案が成立しなければ、9月以降も続投する考えを示した。 出席者によると、首相は「次の人たちに負担をかけてはいけない。自分で組んだ歳入の問題だから自分で責任をもって成立させたい。特例公債法案が今国会で成立しない場合は、成立するまで頑張りたい」と明言したという。特例公債法案の成立は、首相が表明した辞任3条件の一つ。今のところ、自民党などの反対で今国会成立のめどは立っていない。 首相は「野党は解散に持ち込みたいと考えているが、思惑に乗るつもりはない」とも語り、衆院の解散・総選挙には慎重な姿勢を見せたという。≫(8/1朝日夕刊)

∇さて、今日も昨日の続きで、「待つ」ことについて。──状況・内容こそ違え、過去にも政局が現在にそっくりの状況、即ち、政治的混乱を引き起こした与党の首相が「居座り」続け、さりとて内閣不信任案が通りそうもない状況が続き、国民の間に≪政治に対する厭世気分が広がっ≫た(昨日の東京新聞「社説」)ことがあった。第五次吉田茂内閣時代のことで、警察組織と警察の責務等を定めた警察法案を巡る所謂「警察法改正に伴う乱闘国会」で荒れた時期である。事の次第は次のようであった。昭和29年2月、政府により提出された改正案は、会期ギリギリの6月3日になっても成立の見込みが立たず、政府、与党がさらに二日間の会期延長をはかろうとし、それを阻止する野党との間で乱闘騒ぎが起こった。堤康次郎議長の要請により警官隊200名が衆議院に入り、その混乱の中、強行採決で10日間の会期延長を議決した。与野党間の亀裂は益々深まり、国会は紛糾し続けた。各新聞は与党・自由党を厳しく批判、≪五党会談による収拾、国会解散を連日訴えたが、6月11日、朝日、毎日、読売三社は共同声明を発して、政府、政党および各国会議員にたいし、速やかに混乱せる政局を収拾し正常化することを、つよく要望した。その結果、五党会議は、日本自由党のあっせんにより14日夜妥結し、6月15日衆議院は異例の全員協議を開いて、自粛自戒の「共同声明」を発して変則国会は収拾された。≫(笠信太郎全集「朝日新聞社説15年」)

∇ところが、共同声明を出して一旦収まったものゝ、その後の効果が少しも見られない。殊に乱闘事件まで起こした責任の一半をもっている政府には一向に反省の色が見えない。そうだとすれば、世論(この場合は新聞も含む )はどうも弱いというほかないではないか、ということから、「世論が弱い」という言葉が世間で言われはじめた。当時朝日新聞論説主幹だった笠信太郎は、29年8月16日付「社説」で、「世論・新聞・民衆」と題してそれを取り上げ、≪議会を中心とする民主主義に危険信号があげられているとき、何ごとにも世論を育て上げてゆく辛抱こそ最も必要である。≫とする提案を投げかけた。曰く、≪新聞の主張することや、あるいは世論と思われるものが指向している方向が、直接にはなかなか実現せず、場合によっては、現実の政治はむしろ反対の方向に走っていることすら多い。そういうところから、昨今のように、吉田内閣が自らは退きそうもなく、さりとて、野党の内閣不信任案も通りそうにないというようなことで、空気はよどんでどうにもならぬという時期には、いかにも言論はいよいよ無力という風に人の眼に映り、それが新聞にも世論にも信を置かぬというような気分を醸成しがちになる。これは、まことに困ったことであるが、そういう際に、投げやり気分にならずに、静かに考えてみることだけは肝要であろう。…まどろっこしがり、何か実際行動的なことに訴えたがる人があるが、お互いに警戒しなければなるまい≫、と。

∇どうすべきだろう。曰く、≪取りあえず、一つ二つのことが頭に浮かんでくる。何よりも第一には、世論は弱いとか強いとかいうが、その際の世論は必ずしも国民の多数とか過半の支持を得ているものとは限らないということである。…例えば、乱闘国会の後に、本社がやった世論調査で、吉田内閣の退陣に賛成するものは46%、反対17%、意見なし37%で、吉田内閣は退陣すべしとする意見は如何にもいわゆる世論のように見えるが、これに反対するものと意見をもたぬものの合計は54%にのぼり、賛成だけが非常に多数だということにはなっていないのである。≫。さすが笠信太郎だけあって、昨日の東京新聞「社説」同様、正しい数値の読み方を心得ている。先日の共同世論調査の分析ポイントは、「現内閣支持率12・5%対自民党支持率15%」にではなく、支持政党なし=67・4%に世論の動向を解く鍵があった。さて、笠論説は次の如く続く。≪一般に世論の望むところのものが実現するのは、やはり、その反対者であるとか、または特に「意見なし」に属する人々が、一つの先駆的な世論の方にぐっと傾いてくるということが必要であろうと考えられる。これは、民衆の自覚が進み、民衆の常識が高まることなしには出来ないし、逆に民衆の常識が高く、事物の判断がはっきり出来る場合には、世論によって推進されるような一切の事柄は、より早く進むということにならざるを得ないだろう≫と。

∇これを現在の我が政局について言えば、国民が、どちらの政党に国権を信託すべきか、≪事物の判断がはっきり出来≫ないくらい、“信の置けぬ二大政党”なので、支持率が曖昧模糊たる状態に陥ってしまっている。こういう状態の時はどうすべきなのか。笠提案は次の如くである。≪いかなる事柄も、順序を追ってでなければ実現しないということは、極めて簡単で言うを待たないことのようであるが、日本人の「性急」や「あせり」がしばしば日本人を盲目にすることがある。世論の実現ということについても、順序という最も単純な合理性をふみはずしてはならぬことを強調しておかないわけにはゆかない。その順序とは、ここでは世論が民衆に浸透することを待つということであり、それが浸透するためには、民衆の判断力や政治的関心を不断に高める工夫をしなければならぬということである。議会を中心とする民主主義に危険信号があげられているとき、何ごとにも世論を育て上げてゆく辛抱こそ最も必要である。日本がその運命の戦争に突入して自ら悲運を招いたのも、そもそもの世論の弱さと、それを辛抱強く支えてゆく努力の不足や、事を解決するに性急にぎて、辛抱が足りなかったというようなことが、大いに与っていることが思い出される。警戒し、反省したいものである。≫と。──≪民衆の判断力や政治的関心を不断に高める工夫をしながら世論を育て上げてゆく辛抱≫こそが、新聞人の使命だ、と。やたらに「菅おろし」だけを叫ぶのではなく、世論形成に必要な正確な情報を提供し、「片手落ち」でなく「両成敗」の公平性を以て、事実を順々と知らしめていく。それまで辛抱して民意の固まるのを「待つ」。そして、支持政党なしの占める割合が極小に達した時、世論は既にベクトルを持ち、政治はある方向に動き始めるだろうというのである。最近の論説委員にも、これくらい冷静な「社説」を書いてもらいたいと思うが、どうだろう。「鬼平犯科帳」が始まるので、今日はこゝまで。