残照日記

晩節を孤芳に生きる。

ソクラテス流

2011-08-20 16:18:12 | 日記
【知るということ】
≪子曰く、由(子路)よ、女(なんじ)にこれを知ることを誨(おし)えんか。これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らざると為せ。是れ知るなり。(為政篇)≫(孔子が言った。「子路よ、お前に知るということを教えようか。知ったことは知ったこととし、知らないことは知らないこととする、それが知るということだ」と。)

【ソクラテス流儀】
≪ソクラテスは、信心について語る者にも、「勇気」という言葉をしょっちゅう口にする者にも、国家制度や説得的な話術の勝手が分っていると考えている者にも、もしもこれらの人びとが一度(彼と)歓談を始めてしまうと、彼らはたちまち破れてしまう。なぜならそうなるとソクラテスは彼らに、皮肉やさまざまな問答の上の術策を用いて、彼らがそれについて大変自信たっぷりにうかうかとおしゃべりしていることについて、彼らが根本的には何も理解していないこと、また彼らが自分自身を、一番理解していないことを示すからである。≫(ヴァイシェーデル著「思索への34階梯」公論社版より)

∇孔子もソクラテスも「知ったかぶり」を極端に嫌った。ことにソクラテスの場合、プラトンがソクラテスのやり方を「産婆術」と比喩したが、そんな生やさしいものではなかった。相手の意見が熟するのを手助けするどころか、相手の考察結果の真偽を識別・鑑定することがソクラテスにとって重要な役割だった。(岩波「哲学思想事典」の中畑正志京都大学教授) ディオゲネス・ラエルティオスは、その著書「ギリシア哲学者列伝」(岩波文庫)で、≪ソクラテスは、自分たち自身に大きな誇りをもっている人たちを徹底的に反駁して、彼らが愚かな人間でしかないことを示した。…それは相手の意見を奪い去るためではなく、真実をきわめようとする為だった。≫と書いている。それが高じて、高慢なアテナイ人に恨みを買い、≪不敬罪と若者たちを堕落させたという罪で告訴され、…ソクラテスは哲学者たちのなかで有罪の判決を受けて死刑に処せられた最初の人≫となった。(同書) 有識者・知識人と称される人々は、孔子やソクラテスに責めらぬように、発言・発表する前に、考察結果の真偽と妥当性・引用の正誤・思想&思考の整合性等につき、徹底的に検討しなくてはならない。“社会の木鐸”なのだから。──では、早速昨日の「天声人語」をソクラテス流に検証してみることにしよう。先ず以下に全文を転載する。

≪小学生のころ、作家の山田詠美さんは教師を「良い先生」と「悪い先生」に分けていたそうだ。子どもは大人と同じように悩み苦しみ、大人以上に羞恥心(しゅうちしん)を持っている。そのことを知っているのが良い先生だったと随筆に書いている▼教師ではないけれど、この人たちはどちらだろう。福島県の子らが東京で、政府の担当者らに思いを伝えた。素朴で切実な訴えへの答えは、「最大限努力したい」といった紋切り型が目立ったそうだ▼会合の後にある子が言った「何で大人なのにちゃんと質問を聞いていないの?」は大人にとって痛烈だ。「何さいまで生きられますか?」「菅そうり大臣へ 原発全部止めてほしいです」。来られなかった子の手紙にも、「子どもながらに」という形容を許さぬ悩み、苦しみ、疑問が詰まっていた▼福島では、検査をした子の45%に甲状腺の被曝(ひばく)が確認されたという。専門家は「問題となる値ではない」と説くが、そうであっても心の重荷はつきまとう。事故以来、この手の言葉の信頼性は暴落している▼「身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」と言う。古めかしいが、親にもらった体を大事にしなさいとの教えだ。国策の果ての放射能で損なうようなことがあっては、ご先祖も泣こう▼英詩人ワーズワースに「子供は大人の父なり」という一節があった。俗にまみれず神に近いからだが、打算や保身でがんじがらめの大人には耳が痛い。父から教わる必要が、ありはしないか。≫

∇文中≪身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり≫は、「孝経」出だしの「開宗明義章第一」からの引用である。「孝経」の作者は孔子説、曾子説、曾子門人説等諸説あるが、曾子門流の手になる説が妥当だろうとされている。「孝道」について説かれたもので、孔子と曾子が歓談している折に、孔子が「孝」という無上の徳について語ったところから始まる。孔子が言うには、≪孝行があらゆる道徳の根本なのだ。教化の由って生ずる根源なのだ≫と。そしてそのすぐあとに有名な≪身体髪膚、これを父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始めなり。 身を立て道を行い、名を後世に揚げ、もって父母を顕(あら)わすは、孝の終りなり。≫と続くのである。即ち、「我が身体、髪・皮膚の末々に至るまで、すべて父母から頂いたものだ。それを敢て毀傷しないようにする。それが孝行の始めだ。そして立派な人物になり、正しい道を行い、名を後世にまで高く揚げて、あれは誰々の子だと父母の名を世に広く輝かせる。それが孝行の終わりなのだ」とする。こゝで注意しなくてはいけないのが、≪敢て毀傷しない≫の意だ。父母から頂いた大切な身体・髪・皮膚を「敢て(みだりに)」傷つけるな、即ち、「自分の不注意によってみだりに傷つけてはいけない」、の意であって、天声人語子が≪国策の果ての放射能で損なうようなことがあっては、ご先祖も泣こう≫という意味に使うのは笑止千万だ。

∇ソクラテスに「天声人語子よ、何でもかでも大震災や放射能事故に結びつけるのはいかんよ、そういうのを牽強付会と言うのだ。第一「孝経」の本文を読んだことがあるのかね」、と叱られるはずだ。子どもたちの甲状腺被曝は、個々人が「戦々競競として」(論語)身を慎んで尚、≪敢て毀傷≫したものではない。まさに“想定外”で起きた大震災で顕になった、≪国策の果ての放射能≫被害であって、子どもたちには防御不可避の≪毀傷≫だった。寧ろ、天声人語子は、≪会合の後にある子が言った「何で大人なのにちゃんと質問を聞いていないの?」は大人にとって痛烈だ。「何さいまで生きられますか?」「菅そうり大臣へ 原発全部止めてほしいです」。来られなかった子の手紙にも、「子どもながらに」という形容を許さぬ悩み、苦しみ、疑問が詰まっていた≫をもっと重く受け止め、子どもらの「諫爭」を真剣に傾聴すべきことを訴求すべきだった。「孝経」の「諫爭章第十五」に、次の言葉がある。≪ 父に争子(そうし)あれば、すなわち身、不義に陥らず。 ゆえに不義に当っては、すなわち子もって父に争わざるべからず≫と。聞き手の曾子が孔子に、「子が父親の言いなりになったら、それは孝行と言っていいでしょうか」と尋ねたことへの回答である。否、否、子がどんなことでも親のいいなりになればいいものではない。父親が間違っていたらその非行を諌め争わなければいけない、と。

∇儒教で「孝」とか「忠」といえば、みだりに従うことと捉えてはいけない。≪諸侯に争臣(非道を諌める大臣)五人あれば、無道といえどもその国を失わず。 大夫(家老)に争臣三人あれば、無道といえどもその家を失わず。≫≪ 臣、もって君に争わざるべからず。ゆえに不義に当ってはすなわちこれを争う≫というのが本来の儒教思想なのである。≪会合の後に≫子どもらが言った幾つかの言葉は、婉曲的な表現ではあるが、大人への厳しい「諫爭」なのである。大人たちは真摯な気持で、それに耳を傾けるべきなのだ。そして堅い決意を以て「行動」に移すべきなのだ。甲状腺被曝への完全対策、ひいては脱原発へと。──そのことを天声人語子は、英詩人ワーズワースの≪「子供は大人の父なり」という一節≫を挙げ、≪俗にまみれず神に近いからだが、打算や保身でがんじがらめの大人には耳が痛い。父から教わる必要が、ありはしないか。≫ などと“美文調”で文章を結んでいるが、≪父から教わる≫は適切な表現ではない。「教わる」のではなく「諫爭」を聞き入れることこそ緊要なのだ。尚、「子供は大人の父なり」は有名な「虹」という詩の一節である。≪わが心はおどる。/虹の空にかかるを見るとき。/わがいのちの初めにさなりき。/われ、いま、大人にしてさなり。/われ老いたる時もさあれ。/さもなくば死ぬがまし。/子供は大人の父なり。/願わくばわがいのちの一日一日は、/自然の愛により結ばれんことを。≫(「ワーズワース詩集」岩波文庫) 天声人語子はこの原詩も読んでいるようには思えない。嗚呼!