残照日記

晩節を孤芳に生きる。

写真・人相

2011-08-19 19:03:59 | 日記
【三学】
少にして学べば壮にして為すあり。
壮にして学べば老いて衰へず。
老いて学べば死して朽ちず。 
(佐藤一斎「言志晩録」)                  

∇今日は眼科治療。帰宅してふと大学時代のスナップ写真を見ていたら色々なことが思い浮かんだ。 一つは、「座の心理」ということで、人は不思議と、会議の席取りや劇場での座席をある位置に定めたがる。自分はいつも端に座を占めている。そこが落ち着くからだ。 決して謙遜・引っ込み思案というわけではない。片側が自由であることを本能的に欲する からかもしれない。根っからの束縛を厭う勝手人間のなせる心情なのだろうか。 二つは、「人相」ということである。アリストテレスに「人相学」なる著作があり、 人を動物の容貌に類型してその性質を推定できるとした。小生はさしずめ「亡羊猿」か。 「宿曜経占術」では、「柳宿」といい、「軟眼にして眠り多し。性強情にして怒りを嗜む。 布施を好み、又侵奪も好みて著しく諸事に耽る」。よく当っている。写真の顔はまさに未だ成長なき自分のまゝだ。……

∇既に物故された大学時代の恩師O先生に、卒業間近、友人N君と祇園でご馳走になった。先生じっと小生の顔を見られて曰く、「君は化学では成功しないね。まあ、しかし何者 かにはなるだろう。その為には社会へ出たら、決して晩酌するな。10分でよいから毎日 読書しなさい」と。 O先生の予言は的中して、企業人生では三度失敗。何とか自由業で20周年やり遂げた。「座の心理」や「人相」による判断もそう馬鹿にしたものではない。尚、恩師の御訓えだけは しっかり守って実践している。そのうち人相も好転し、「座の心理」にも変化が表れるかもしれない。 プルータークは、人の性格は容貌よりも言論に表れると言った。ブログで自分の意見を練ることも、或は人相に少なからぬ変化を誘発するに違いない。「善き顔」を作りたいものだ。瞳孔を開いたせいか霞んで見えるので今日はこゝまで。 明日又。