残照日記

晩節を孤芳に生きる。

待ちの時

2011-07-31 18:10:01 | 日記
【「待つ」という解決法】(「論語」より)
≪子游曰く、君に事(つか)うるに数々(しばしば)すれば、斯(ここ)に辱められ、朋友に数々(しばしば)すれば、斯(ここ)に疎んぜらる。≫(里仁篇)≪子曰く、「大臣なる者は、道を以て君に事(つか)え、不可なれば則ち止む」≫(先進篇)≪子貢、友を問う。子曰く、忠もて告げて善もて之を導く。不可なれば則ち止む。自ら辱めらるること無かれ。≫(顔淵篇)⇒主君や友人に過失又は異論があって、諫言するにしても、「数々(しばしば)する」な。口やかましくやりすぎると、却って嫌がられ、反発心に火を点け、主君からは恥辱を受けることになったり、友からは疎遠にされる。このような時の処世法は「不可なれば則ち止む」、即ち「待ちの哲学」が必要だ、と。

【政治を判断する座標軸】(7/31東京新聞「社説」)
≪政治に対する厭世気分が広がっている。根本原因を探れば、国民に「政策を軸にした選択肢」が用意されていない点にあるのではないか。菅直人政権の内閣支持率が急落している。時事通信によれば、七月の支持率は前月に比べて9・4ポイント落ちて12・5%。他の調査でも同じ傾向だ。脱原発を掲げて上昇する要素もあったが、そうはならなかった。事実上「辞める」と言いながら、ずるずると首相が居座る姿に多くの人々がいらだっている。では野党の人気が高まったかというと、そうなっていない。自民党の支持率は15%にとどまり、支持政党なしが67・4%に上っている。つまり、菅政権は支持できないが自民党も支持できない。そんな民意がうかがえる。これは何を意味するか。大胆に言えば、既成二大政党の枠組みが国民の声を十分にすくい上げていない。そう思う。世論調査が絶対とは言わないが。…≫(注:ですます体をである体に変更してある)

∇今朝の東京新聞の社説は、他紙にみられる現政権のみの批判傾向に止まらず、野党第一党である自民党をくるめての「両成敗」と、今後の提案について一歩踏み込んだ点で賛同できる。当該社説は上記に続いて、≪国民が政治に求めるのは政策だ。突き詰めれば、だれが首相だろうと、多数が望む政策をちゃんと実行してくれればそれでいい。国民の採点は選挙で示す。そういう仕組みが機能するには、政治家と政党が実現しようとする政策を明快に掲げ、政権をとったなら約束通りに実行してもらわなくてはならない。ところが残念ながら、そうなっていない。民主党政権は二年前の総選挙で「脱官僚・政治主導」の旗を掲げて圧勝したが、いま見る影もない。…政権が掲げた旗を隠してしまうなら、代わりに私たちが政党と政治家に政策を問うてみたい。それが「政治を考える座標軸」になると思うからだ。≫として「増税・原発・公務員制度」の三点を挙げる。①増税に関しては≪「改革なくして増税なし」「成長なくして財政再建なし」と考える党内野党勢力が両党に存在しているから≫ウヤムヤのまゝ。②原発・エネルギー問題に関しても民主党側は「脱原発」否「減原発」の≪言葉遊び≫だし、自民党側も≪脱原発論者から強力な原発推進派まで混在≫している。そして③公務員制度改革は全く進展していない。寧ろ≪民主党政権は逆コースを進んでいる≫と。

∇更に続ける。≪増税と原発推進、公務員制度改革への抵抗。この裏側には共通点がある。それは「官僚の既得権益」だ。増税が実現すれば差配できる予算が増える。原発推進政策は電力会社への官僚天下り利権と表裏一体だった。議員を選ぶ国民から見れば、政党が「増税、原発・エネルギー、公務員制度改革」という三つの座標軸ですっきりと立場が異なれば投票で判断しやすい。ところが自民、民主の二大政党は中がてんでんばらばら、どっちに転ぶか分からない状況で選びようがない。それが現状だ。≫ じゃあどうするか。≪当面は政党ではなく個々の議員の政治行動をしっかり監視する。選挙前の公約と実際の行動が違っているようなら、次の選挙で支持しない。メリハリが必要だ。…政治家一人ひとりの真価が問われている。≫というのである。殆どの世論調査が内閣支持率の凋落振りのみを強調し、結局「菅おろし」に加担して「ハイそれまで」で終ってしまうのに比し、東京新聞の社説が意味を持つのは、≪支持政党なしが67・4%に上っている。つまり、菅政権は支持できないが自民党も支持できない。そんな民意がうかがえる。これは何を意味するか≫、という点に焦点を当てたことにある。そして「座標軸」として、当面は≪個々の議員の政治行動をしっかり監視する≫ことを提案している。誰がどんな発言をしたか、しっかり記憶して、爾後の行動との整合性をチェックしよう、そうやって時を待とう、と。賛成できる提案だ。

∇確かに、「君子は機をみて作(為)し、日を終わるを俟たず」(「易経」繋辞下伝)の言葉通り、「機敏さ」は勿論大事だが、それはまさに“時機到来”の時の処世法だ。現在は「易経」で「待ちの時」を意味する「需(じゅ)」の卦の時。即ち、≪雲が天に上り、まだ雨となって大地を潤すには至らぬ時。かような時は、君子は悠々と飲食享楽して時を待て≫。愈々8月、菅直人首相が辞任表明した所謂「辞任期限の月」に差し掛かった。それが盆前か、8月末ギリギリかは首相専権事項且つ首相の戦術であるので未だ明然としないが、こゝまでくれば時間の問題で、水面下では静かに「ポスト菅」の動きも察せられる。マスコミや国民にとってギャア/\騒がず「待つ度量」が必要な時だと思う。自然は音も香も無く時を刻んで、しかるべき頃合に万物を生成化育している。ものなべて時に遭わねば開花しない。それまでじっと待っている。時あたかも、経産省原子力安全委と電力業界との「やらせ」問題が発覚している。この徹底的究明の道筋だけは現内閣で詰めてもらいたい。思わぬ“ネズミ”が飛び出てくるやも知れない。日本のエネルギー問題の根幹を揺すぶり兼ねない緊急焦眉の課題だ。東京新聞が「監視」課題に挙げた「増税・原発・公務員制度」にも関連する。もう少しの辛抱だ、「社説」の提言を組み入れて待ってみよう。今は「需」の時、当事者は“人事を尽くして天命を俟つ”。即ち≪人間として出来るかぎりのことをして、その上は天命に任せて心を労しない。≫(「広辞苑」) 老生の如き隠居爺は、≪悠々と飲食享楽して時を≫待とう。


連帯意識

2011-07-30 19:31:12 | 日記
【原点回帰】
≪宗教でも国家でも、それを長く維持していきたいと思えば、一度といわずしばしば本来の姿に回帰することが必要である。──なぜそれが有益かというと、それがどんな形態をとるにしても共同体であるかぎり、その創設期には必ず、なにか優れたところが存在したはずだからである。そのような長所があったからこそ、今日の隆盛を達成できたのだから。しかし、歳月というものは、当初にはあった長所も、摩滅させてしまうものである。そして、摩滅していくのにまかせるままだと、最後には死に至る。≫(塩野七生著「マキアヴェッリ語録」)

∇一昨日(27日)、朝日新聞主宰の読者の視点から当紙紙面を議論する「紙面審議会」の第二回会合の記事が載っていた。議題は「模索続く震災後の報道」。主に「放射能汚染」「政治停滞」「流言蜚語」に対し、報道のあり方が問われ、委員の中から次々に要所を衝いた指摘が挙がっていた。例えば「政治停滞」。≪「現実見ぬ政治の惨状」「新代表 速やかに選べ」「首相は潔くあれ」等は、復興に対する政治的リーダーシップが見えない中で強く印象に残った紙面だったが、一方で首相が辞めればそれで済むのだろうか。退陣後の展望が欠けているように感じた。≫(古城佳子東大院教授)≪政局中心の政治に、メディアも乗っかっている構図が相変わらず続いていないか。政策の検証にこそ紙面の軸足を移して欲しい。政治のレベルが低いのなら、朝日は政策中心で報じる姿勢を明確にし、思い切った政策提言をどんどん打ち出すべきだ。≫(土井香苗国際人権NGO「H・L・W」日本代表)etc 。世論を育て上げていくというジャーナリズム本来の役割の一つである、肝心の「首相退陣後の展望」や「政策提言」に欠けているのが、朝日に限らず、殆どの新聞・テレビ報道に蔓延している「ジャーナリズム皮相症候群」である。もうひとつこの病の特徴を挙げれば、政治学の「いろは」の欠如、即ち塩野七生女史がマキアヴェッリの思想を見事に喝破したように、≪(彼の)思想の独創性は、まさに政治と倫理を明確に切り離したところにある≫という点である。政治の世界にやたらと道徳論や感情を持ち込むことは、却って本質を見誤ることを、特に政治評論家に提言したい。

∇朝日新聞の悪口ばかりで恐縮だが、今朝の星浩編集委員の「政治考」などがその典型である。題名は「岡田氏の「孤立」──民主は政権党の「奥行き」学べ」。星評論は、岡田幹事長の同情論から始まる。≪社長(菅直人首相)は思いつきでものを言うし、前社長(鳩山由紀夫氏)は現社長の悪口を公言する。社員資格停止となっている元社長(小沢一郎氏)は、現社長を引きずりおろそうと執念を燃やしてきた。若手社員は文句ばかり言う。そんな会社でワンマン社長に仕える専務(幹事長)には、誰もなりたがらないだろう≫。生真面目な岡田氏は党内に特定のグループを持たないこともあって「孤立」している。その岡田氏が尊敬するのが自民党の伊東正義元外相だそうで、その清廉頑固な伊東氏は、「月並会」という懇親会である塩川・奥野・鯨岡・細田(吉)らという、≪タカ派とハト派、官僚出身と党人脈など、立場に違いがあったが、友情で結ばれていた≫、と続く。そして「政治考」はこう提案して論考を締めた。≪いまの民主党に、こんな連帯感があるだろうか。板挟みに悩む岡田氏を冷ややかに眺めている議員たちがほとんどだ。逆風の時こそ励まし合うという作法が民主党には欠けている。せめて、かつての自民党が持っていた連帯感くらいは身につけないと、難しい政権運営などおぼつかない。≫と。

∇先ずこの「政治考」は一体誰に向かって論じているものなのか判然としない。文脈から類推すれば、逆風の時こそ励まし合う民主党であれ→その為には、かつての自民党が持っていた連帯感くらいに身につけよ、ということだろう。だが、民主党に≪連帯感を身につけよ≫ということゝ、伊東正義元外相を側面から支えた、≪古き自民党の「厚み」を示すグループ≫の存在があったことゝどう関係があるのか。星氏によれば、元々「友情」で結ばれたベテラン議員グループが存在したからこそ伊東元外相は支えられたのであって、そのようなグループを持たない岡田氏を支えるには≪連帯感≫をどう≪身につけ≫たらいいのか。そも/\≪連帯感くらいは≫という言葉が間違っている。今の民主党には、最も大切な「連帯感」が全く欠乏していることこそが大問題なのだ。まさにバラバラ状態。その第一原因は星氏が冒頭に述べた如く、菅・鳩山・小沢氏らが、互いの個人的思惑を腹蔵している事による“トロイカ体制”の崩壊に起因する。逆風の時こそ励まし合うべき首脳陣が足の引っ張りを公然と行なう。しかも「菅おろし」と「居座り」が交互作用を起こして、子分議員たちが右往左往している。そこにきて「ポスト菅」に人を得ない。どんぐりの背比べで、皆な“どっこい/\”の状況だ。このような状態での≪連帯感≫欠乏は、星氏が主張する「友情」などというセンチでやわな次元でとらえるべき問題ではない。

∇こゝは寧ろもっと冷徹非情なる「損得勘定」で論じられるべきであろう。このまゝ、民主党議員があっち向いたりこっちを気にしたりして「テンでバラバラに」スタンドプレー宜しく自己主張していたら、「菅おろし」どころか、党員皆がその席を失ってしまう程の大危機に直面していることを自覚しなくてはならない時なのである。危急存亡なのは菅内閣どころか、民主党が再度永久野党化するや否の分岐点にあるのだ。懸命に震災事故処理に取り組んでもはかばかしい進捗状況に至らず、責任与党として日ごとに世論の目は厳しくなっている。しかも与野党接近しすぎてそれぞれの政策に差別化が見られない。「ポスト菅」で新しい政権が成立しようが、根本的な状況は変わる可能性もない。まして、この状態で解散すれば、「民主党よりまだまし」という理由で大惨敗することは必定だ。民主党サバイバル戦略とすれば、“ダメ菅”であろうが何だろうが、菅首相の主張する政・官・財癒着構造壊滅を視野に入れた思い切った「脱原発」推進や、「増税已む無し」を断言し、世論に添った野党との差別化政策を掲げて、民主党が一丸となって「大連帯」することの方が断然得策なのである。≪連帯意識は庇護、相互防衛、目標追及など、あらゆる社会集団活動をもたらす。≫≪指導権は支配能力を通じてのみ存在し、支配能力は連帯意識を通じてのみ存在する。≫ イブン・ハルドゥーンが「歴史序説」(岩波書店)でそう言う如く、党の≪連帯意識≫こそが生き残りの全てだと断言できる。政権を継続する意思があるなら原点回帰すべし。野党時代、「政権交代」の一念に党員全員が結束したように。……


コラムの読み方

2011-07-29 20:45:30 | 日記
【中国高速鉄道事故─追突の原因は信号設備の欠陥】
≪信号欠陥伏せたまま点検指示 中国鉄道省──中国浙江省温州市で23日夜に発生した高速鉄道事故で、鉄道省は追突の原因とされる信号の欠陥を事故の直後に把握しながら、公表しないまま、数時間後の24日未明に全国の駅に点検を指示していたことがわかった。中国政府の事故調査チームが同市で28日午前に開いた1回目の会議で、鉄道省次官が説明した。 事故車両を現場に埋めたことと同様に、都合の悪い情報を伏せたまま身内で処理しようとする同省の隠蔽(いんぺい)体質が改めて露呈した。…(当初は)「落雷事故による設備故障」「特殊な要因がもたらしたもの」などとして、具体的な説明を避けてきた。…≫(7/29 朝日夕刊)

∇昨日の「天声人語」を読むことにしよう。このコラムの起承転結は、流石に見事な出来栄えである。「起承転結」とは、周知の通り、≪1 漢詩、特に絶句の構成法。第1句の起句で詩意を言い起こし、第2句の承句でそれを受け、第3句の転句で素材を転じて発展させ、第4句の結句で全体を結ぶ。起承転合。2 物事の順序や、組み立て。≫(「大辞泉」)であるが、一般的に文章上では、≪2 物事の順序や、組み立て≫の意に用い、大雑把にいって「起」は文章の出だし、「結」は最後の結び・締め部分としていいだろう。当コラムは、その文章の出だしを、「まさか」起きることはないと大抵の人々が思っていたノルウェーで、連続テロ事件が起きたこと、逆に、中国浙江省温州市で23日夜に発生した高速鉄道事故は、なりふり構わず猛スピードで技術導入してきた中国の、誰もが懸念していた「やっぱり」事故だったことから書き起こした。コラムでよく用いられる手法である。この「まさか」と「やっぱり」を使って、「結」をこう締めた。≪福島の原発事故が世界に急報された時、技術力を知る親日家の反応は「まさか」、脱原発派は「やはり」だった。両者は今、政治不在の中でもがく国民にそろって同情を寄せている。≫ と。

∇先ず、コラムにしろ論説を読むにしろ、大切なのは“事実確認”だ。当コラムでは、中国の列車事故を≪発展の順序を踏まない、国家による「スピード違反」である。雷神の気まぐれで脱線するような代物に、人民を乗せてはいけない≫としているが、この≪雷神の気まぐれで脱線するような代物≫という表現は即刻訂正しなければならない。間違いだからである。冒頭に引用した今日の夕刊記事に≪鉄道省は追突の原因とされる信号の欠陥を事故の直後に把握しながら≫云々とあるように、事故原因は「信号設備の欠陥」にあったようで、「落雷事故による設備故障」ではなかったからである。孰れにせよ、温家宝首相が事故原因究明の指示を出したことが分っていた時点での「早とちり」は決定的ミスで、読者に謝罪或は弁明する必要がある。報道は第一に「正確を期す」ことが求められる筈だから。「天声人語」を「書き写しノート」に綴っている生徒たちに侘びを入れるべきだろう。次に≪汚職も絡み、強権体制の下で命を惜しむのは河清をまつがごとし。日本に生まれた幸運を思う。≫についてだ。先ず、唐突に使用された≪河清をまつがごとし≫を説明しよう。普段余り使われない喩えには要注意が必要である。

∇儒学者必読の古代中国の文献に「四書五経」なるものがある。「大学」「中庸」「論語」「孟子」を「四書」といい、「詩経」「書経」「易経」「礼記」そして「春秋」(注釈の一つに「春秋左氏伝」)を「五経」という。その「春秋左氏伝」襄公八年に次の記事がある。≪楚が鄭に進攻してきた。大臣達の意見が二つに割れた。一方は楚に従おうと主張し、もう一方は晋の救援を待とう、と。侃々諤々の議論が続いた。遂に宰相が決断した。「詩経」(周詩)に<河の清(す)むを俟つも、人寿幾許ぞ。兆してこゝに謀ること多ければ、職として競い網をなす(黄河の水が澄むのを待つように、いつまでも待っていては人の寿命がもたない。かといって、占いに頼れば謀ることが多すぎて、網にかかるように身動きがとれない)>と。謀る人多ければ、意見もまちまちで、事の成就は難しくなる。今や民は危急存亡の時、当座は楚について民の難儀を緩め、晋軍が来たら、その時はその時で晋に従えばよい、と。≫──この故事から「河清(かせい)を俟つ」は、≪いくら待っても、望みの達せられないこと。≫(「広辞苑」)

∇要するに天声人語子の、≪汚職も絡み、強権体制の下で命を惜しむのは河清をまつがごとし。日本に生まれた幸運を思う。≫は、汚職絡みで、強権体制(一党独裁で強権政府主導体制)下の中国では、いくら待っても命を惜しむことなど期待できない。日本に生れてよかった、と言うのである。故事のいわれを懸命に調べてきた先生の話を聞いて、意味を理解した子供達は、あゝ、中国はひどい国なんだ、日本に生まれてよかった、と思うに違いない。しかし一転、そうじゃないよ、と来る。≪無論、弱い政権で助かったという意味ではない。福島の原発事故が世界に急報された時、技術力を知る親日家の反応は「まさか」、脱原発派は「やはり」だった。両者は今、政治不在の中でもがく国民にそろって同情を寄せている。≫ と。事故勃発時、親日家の人々は、日本は世界に冠たる技術立国故原発にも最高レベルの保全策がなされている筈だから、皆な「まさか」と思い、技術過信するべからず、として脱原発を唱えていた人々は「やっぱり」起きた、と思っただろう、というのである。これはその通りだろう。だがエピローグの“落し文句”、≪両者は今、政治不在の中でもがく国民にそろって同情を寄せている。≫が、「牽強付会」で、“策士策に溺れる”体の「蛇足」となった。

∇中学・高等学校では、大抵このコラムを読んだ後、コラムの主旨は何かを問われる筈だ。その意味でこの「結」は重要部分となる。こゝで天声人語子は、≪両者は今、政治不在の中でもがく国民にそろって同情を寄せている。≫という、都合よき虚構を作為している。平たく言えば、この文章は、親日家と脱原発派の人々は、共に今、①≪政治不在の中でもがく国民≫に、②≪そろって同情を寄せている≫となる。先ず≪政治不在の中でもがく国民≫、即ち、政局の混迷や事故処理のもたつきに国民が苛立っているのは事実だろう。だが、≪そろって同情を寄せている≫か。親日家も脱原発派も、≪同情≫どころか、早期解決に向けて一刻も早い事故収拾を希求すると同時に、今後のエネルギー政策の行方を注視している筈だ。天声人語子は、「まさか」と「やっぱり」を使って、今の「政治不在」について○○を言いたかったのだが、最後の抽象的な「結」語が、それをあいまいにしてしまった。≪同情を寄せている≫からどうなのだ! それと、中国の悪口はほど/\にしなくては。我が国にも≪命を惜しむのは河清をまつがごとし≫の同類事実が現前しているのだから。例えば、経済産業省原子力安全・保安院のやらせ問題が発覚している。≪海江田氏によると、経産省主催のシンポジウムで、2006年6月には四国電力に、07年8月には中部電力に対し、国が社員らに発言を行うよう要請。海江田氏は「(要請したのは)保安院だと思う」と述べた。≫(7/29朝日新聞) 今日はこゝまで。

牽強付会

2011-07-28 21:12:01 | 日記
【五祖、衆に示して曰く】
 福は受け尽すべからず、
 勢いは使い尽すべからず、
 好語は説き尽すべからず、と。
(「五祖法演禅師語録」より)

【原子力臨調で国民的議論を】
≪福島原発事故の真の原因は何か。この問いに答えるのは容易ではない。だが少なくとも、我々の多くが原子力についての民主的な熟議を怠ってきたという事実は、認めなければなるまい。誤解を恐れずに言えば、この事態は「閉鎖的な専門家システム」と「大半の国民の無関心」の、いわば共犯関係によって生じたのである。そして今や、この国には巨大な相互不信が渦巻く。従って我々は、原発被災地の復興と同時に、科学技術と社会の、あるいは専門家と市民の間の、失われた信頼関係の再構築という難問にも、取り組む必要がある。そのために、まず提起したいのが「原子力臨調」の立ち上げである。…≫(7/27 朝日新聞「ニッポン前へ委員会」委員・東大准教授神里達博氏の解説)

∇「国民的議論」は「流行語」化しつゝある。くれぐれも“世の取沙汰も七十五日”(「毛吹草」)で尻切れトンボにならぬことを願う。朝日新聞が独自に設立した「ニッポン前へ委員会」委員の神里氏が、≪福島原発事故の真の原因≫を、≪「閉鎖的な専門家システム」と「大半の国民の無関心」の、いわば共犯関係≫としているが、かなり「片手落ち」である。突如襲われた、人為上想定外の“天災の脅威”という面と、“人災”面では電力会社(東電)、政府(与野党)、関係省庁官僚、そしてマスコミ・有識者等々にも当然大いなる責任がある。たゞし、神里氏が言うように、≪我々の多くが原子力についての民主的な熟議を怠ってきたという事実は、認めなければなるまい≫。──とは言うものゝ、「国民的議論」を「いつから・誰が・何処で、何の議題を以て、どのように」発足・スタートさせるかが現実上の最大課題である。提言するは易く、実践は難しい。老生の場合は、市の広報や地域新聞等を媒体に、参画できそうな「市議会」「討論会」「サークル」に顔を出すとか、近隣自治会での催しに積極参加することから始めてみようと思っている。又、現在既にやっている、あちこちへの「投書」は今後も継続するつもりである。オリンピックではないが、“参加することに意義”がある、と考える。

∇さて、広義な意味で「国民的議論」に参加するには、「議題」に関する正確な情報を収集・知識化し、自己の見解として駆使できるよう、それを“自家薬籠中の物”としておかねばならない。少なくともその方向の努力は惜しんではなるまい。そしてそのニュースソースに最も手軽で安価なツールが、再々論じているように、どこの家庭でも必ず一紙は取っているであろう「新聞」だと考えている。最近では、小中学校でも新聞切抜を推奨し、それで授業を進めている学校も多いようだ。先日朝日新聞に、当社が発行する「天声人語」の「書き写しノート」が静かなブームを呼び、今年4月末発売後既に20万冊超のヒット商品になっている旨の記事があった。≪国語力アップ、進学・就職対策、社員教育、老後の「頭の体操」に役立つと、学校で、家庭で、世代を超えて広がっている≫由である。某高校では、週4日分の書き写しが課題で、担当教師は、≪高校生がニュースに関心を抱くきっかけになっている。…これから半年間書き写しを続けて、基礎力を養いたい。≫と語っている。確かに「天声人語」は百年以上続く名物コラム。老生も古くは荒垣秀雄→辰濃和男、毎日新聞・高田保「ぶらりひょうたん」、石井英夫の「産経抄」等のコラムを愛読したことを思い出す。

∇ただ、正直なところ、最近の「天声人語」はじめ各紙のコラム、そして新聞社の「顔」とでもいうべき「社説」が見劣りしているのが気になる。「国民的議論」を盛況にすべき素養を涵養するそれらは、文章上の「起承転結」等の技巧はさすがだが、「国民的議論」に関連する記事となる政治・法律・社会(原発・環境・教育etc)等の筆致には問題がある。適宜な「断章取義」を用いるのは筆者の“教養”の然らしめるところで結構だが、内容に「我田引水」「牽強付会」「片手落ち」「両成敗不足」、そして「蛇足」が多々見受けられる。若い頭脳に間違った或は偏った思想の洗脳役とならぬよう、十分注意が必要だ。論説やコラムには、膨大な批判・訂正の「投書」が入るそうだが、老生も何度もそれに参加している。ツイッターやブログでの監視も、最近は増えているが、よいことである。「大辞泉」で上記用語を幾つか説明した後、例題として昨日の「天声人語」を全文下掲するので、じっくり読んで可笑しな点を見つけてみて頂きたい。≪「断章取義」=作者の本意や詩文全体の意味に関係なく、その中から自分の役に立つ章句だけを抜き出して用いること。≫≪「牽強付会」=道理に合わないことを、自分に都合のよいように無理にこじつけること。≫≪「蛇足」=(下の「戦国策」等の故事から)付け加える必要のないもの。無用の長物。≫ 解説は明日又。

【蛇足の典故】
≪楚の宰相であった昭陽が、王命により魏を攻めてこれを破り、八つの城を落した勢いを駆って斉を攻めた。斉王は気をもみ、秦からの使者・陳軫に相談した。説客に立った陳軫は軍中で昭陽に面会した。陳軫は、「貴方様は既に宰相たる最高位のご身分でいらっしゃる。私に一つ喩え話をさせて頂きたい」と申し出て次の話をした。「楚のある屋敷で家来に酒を振舞った者がおりました。家来たちは全員で飲むには足りないが、一人で飲む分には十分だということで、地面に蛇の絵を描いて、一番早くできた者が飲むことにしようと取り決めました。ある男が描き終え、「俺には足だって描けるぞ」と言ってそれを描いているうちに、次の男が蛇を描き終えました。「馬鹿者め、蛇に足などあるものか」と彼は酒を取り返して飲んでしまいました。(蛇足) さて、貴方様は宰相という既に最高位の御方です。魏を殲滅させられただけでも十二分のお働きなのに、これ以上斉を攻められて何の得がございましょう。斉に勝利したところで官も爵位もそれ以上高位になれるわけでもなく、負ければ命を落し、爵位は奪われ、楚国中の謗りを受けられるだけでしょう。いっそ兵を引き上げ、斉に恩をきせる方が賢明で、これこそ“満を持するの術”ではありませぬか」と。昭陽は「なるほど」と言って兵を引き上げた。≫(「戦国策」+「史記」楚世家)

【天声人語)(7月26日)付
≪日本の新聞は「愛国的」で、海外の事件事故をトップ級で伝えることは少ない。先週末、それが珍しく続いた。ノルウェーの連続テロ、中国高速鉄道の衝突事故だ。一報に接した印象は前者は「まさか」、後者は「やっぱり」だった▼乱射と爆破で約80人を殺害した容疑者の男(32)は、イスラム教に敵意を燃やす極右だという。ゆがんだ憎悪は、移民に寛容な現政権に向けられた。平和が薫る国での暴発は不気味だ▼列車事故も悲惨だが、テロほどの意外性はない。ざっくり言えば、メンツで急いだ高速化のツケ。発展の順序を踏まない、国家による「スピード違反」である。雷神の気まぐれで脱線するような代物に、人民を乗せてはいけない▼半世紀で新幹線網を整えた日本に対し、中国はその4倍を数年で敷いた。内外の技術を足し合わせる突貫工事がたたって、自慢の北京―上海間も故障続きという。「日本の技術を盗んでいないことが証明された」。自嘲と怒りがネット上にあふれる▼当局は現場検証もそこそこに、運転を再開させた。原因究明の鍵とおぼしき先頭車両は、運転席ごと埋めてしまった。汚職も絡み、強権体制の下で命を惜しむのは河清をまつがごとし。日本に生まれた幸運を思う▼無論、弱い政権で助かったという意味ではない。福島の原発事故が世界に急報された時、技術力を知る親日家の反応は「まさか」、脱原発派は「やはり」だった。両者は今、政治不在の中でもがく国民にそろって同情を寄せている。≫

国語力涵養

2011-07-27 19:22:09 | 日記
【フローベルの手紙より】 
≪「作家の文庫は、彼が毎日繰り返して読まねばならぬ源泉であるところの五冊か六冊までの本からなっているべきである。その余の本について云えば、それを知っているのはよいことだ。しかしそれぎりのことである。」繰り返して読む愛読書をもたぬ者は、その人もその思想も性格がないものである。≫(三木清「読書と人生」)

【国民的議論】
≪菅首相「国民的議論が必要」=脱原発依存──菅直人首相は26日午前、首相官邸で国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長と会談し、自身が表明した「脱原発依存」について、「福島第1原発事故を受けて、幅広い観点から国民的に議論する必要がある」と強調した。天野氏は、25日の第1原発視察を踏まえ、IAEAとして原発周辺地域の除染や、燃料棒の取り出しなどで協力する方針を伝達。首相は「(事故収束に関する工程表の)第1段階が終了し、第2段階に向かって収拾に努めている。IAEAと十分協力したい」と応じた。≫(7/26時事通信 )

∇一体我々は、日常必要な情報をどんな媒体を介して入手しているだろうか。大震災発生後一週間強が経過した3月19日から20日にかけて、野村総合研究所は、震災関連の情報を入手するに当たって、どのようなメディア(情報源)を重視したか調べるため「東北地方太平洋沖地震に伴うメディア接触動向に関する調査」を実施した。調査は関東(1都6県)在住の20~59歳のインターネットユーザー3224人が対象。その結果、「重視する情報源」は、NHKのテレビ放送が80.5%とダントツだった。民放テレビを重視する人は56.9%だった。一方最新の㈱バリュープレス、㈱チェンジフィールド共同調査(回答2625人)によると、主な情報源は「テレビ」が48%と半数近くを占め、「Webサイト(ニュースサイト、情報ポータルサイト)」が22%、「新聞」12%、「ソーシャルメディア(SNS、Twitter、等)」と「人(対面、電話、メール、等)」は共に4%、「ラジオ」は3%だった。尚、ニュースの信頼性を判断するポイントについて尋ねたところ、「媒体の知名度」が1位で40%、「媒体運営企業の信頼度」が38%、「伝える人物(知人、執筆者、専門家、など)」が37%と続いた。

∇我が国では、相変わらずテレビをニュースソースとする人が圧倒的に多い。そしてその情報の信頼性の尺度は「知名度」に一括される。世論形成に影響を与える情報種(例えば政治・原発・復興財源etc)にまで層別されて問われたものではないので、上記順位が即世論形成順位になるわけではないが、媒体としての「テレビ」、信頼度としての「情報媒体・組織体・人物の知名度」が、人々に大きな影響を与えているということだけは断言できる。尚、新聞・雑誌等の記述式情報媒体が、後日詳細を知るために重用されている事実も別アンケート調査で分っている。孰れにせよ、「国民的議論」を活発化するためには、国民が正しい知識を獲得し、洞察力、批判力、判断力、構想力等を身につけなければならない。先ずはニュースソースに信頼性を期待する。テレビ解説からワイドショーに至る番組の、解説者や出演者の厳選、そして彼らの真摯な研究態度が希求される。一方で、視聴者の我々は、出演者の「知名度」に惑わされず、彼らの識見を具に監視する洞察・批判・判断の目を不断に涵養しておく必要がある。そのためには、中勘助の「銀の匙」一冊を、中学校の3年間で読み解くという型破りの授業を実践し、灘校を全国一の進学校に導いたとされる元灘校の名物国語教師であった、橋本武氏の言葉に耳を傾けるのも一助になろう。

∇≪国語はすべての教科の基本。「学ぶ力の背骨」なんです。観察力、判断力、推理力、総合力などの土台になるのが国語力。国語力があるのとないのとでは、ほかの教科の理解力が大きく違ってきます。社会に出て表現する力も国語。国語は生きる力と置き換えてもいい。どんなに環境が変わっても背骨がしっかりしていればやっていけるんです。≫(7月22日号「婦人公論」)≪答は後回しでもいい。疑問を持つことが第一≫≪すぐ役立つことは、すぐ役に立たなくなる≫≪知りたいと思ったら、どんどん横道にそれよう≫≪徹底的に調べれば、やる気と自信が生まれる≫等々の名言も吐かれている。そういう意味では、最近当ブログで試みている新聞記事の深読みも、「国民的議論」の前提をなす「素養」を鍛える一助になると確信する。新聞を情報源とする媒体率は先のアンケートにもあるように、大概10%台である。しかし、報道内容・論説が虚実混交すと雖も、膨大な情報量を毎日安価に入手できるものとして、新聞くらい有難いものはない。しかも読み手の読み方次第というところがいい。上述の方式等で確固不抜な「国語力」さえ身につければ、下手な雑誌や単行本を読むより、余程≪観察力、判断力、推理力、総合力≫+洞察力、構想力が発達する。老生が新聞にこだわる所以でもある。余談になってしまった。次回こそ「閑話休題(文章で、余談をやめて、話を本題に戻すときに、接続詞的に用いる語。それはさておき。)」(「大辞泉」)──本題に戻そう。明日又。