残照日記

晩節を孤芳に生きる。

終戦記念日

2011-08-14 19:13:14 | 日記
【批判する条件】(呂新吾「呻吟語」より)
一友人が他人と争って、相手の短所をあげつらっていた。
予「君にも十中一つくらいは非なる点があるだろう」
友「まあ、一、二は無きにしも非ずだ」
予「その一、ニが無くなってから相手を責めてはどうか」
友「………」

∇明日15日、66回目の終戦記念日を迎える。今朝の6大新聞社説は皆なそれを語っている。「終戦記念日を迎える」に当って、過去を鑑み将来を俯瞰し、今後の日本をステップアップさせるのに幾許かでも裨益すべき評論であるべきなのに、老生の感想では、殆ど話にならないのが産経と読売、まあまあが朝日・毎日、一番まともだったのが東京・日経だった。それぞれの社説が主張したい箇所を幾つか拾って整理しておきたい。先ず産経は≪あす終戦の日 非常時克服できる国家を 「戦後の悪弊」今こそ正そう≫と題して≪国に尊い命を捧げた軍人・軍属と民間人計310万人への慰霊の日である。深く頭をたれて追悼しつつ、国家と民族のありように思いを致したい。≫と口火を切った。その思いは当然同感するところである。が、例によってあとが悪い。東日本大震災・東京電力福島原発事故のリスク管理等の不手際も、日本国憲法第54条の中途半端案条項をそのまゝ放置したのも、安全保障会議設置法に従わず安保会議を開こうとしなかったのも、弱腰外交問題も、国家の命運を左右するエネルギー戦略で、脱原発のムードに流され、代替手段を万全にすることなく、原発をゼロにしようという選択に傾倒しそうなのも、○○も××も、皆な菅首相がダメだったという論調で終始。国家の強さだけ求め、何の提案もなきボヤキ社説であった。マスコミ責任すら一言もなきこんな新聞こそ消滅すべきだ。

∇≪戦後66年 政治の「脱貧困」をめざせ≫と題した読売も似たようなもの。≪震災から既に5か月を経たが、復興への歩みは遅れている。この国難を乗り越えていくためには、強力な政治のリーダーシップが求められる。しかし、今日の政治の劣化は深刻だ。「政治の貧困」という点では、むしろ戦前との共通点も少なくない。≫ こゝでいう「政治の貧困」とは菅首相のダメ具合を連綿と連ねただけの内容。そして一番言いたいことが≪戦後は、石炭産業に資金を集中的に投入してエネルギー不足を補い、復興の足がかりとした。その後の石油への転換と原子力発電の導入で経済は大きく発展した。≫即ち、「「脱原発依存」」は甘いぞ、ということ。要するに、≪首相の指導力不足と、場当たり的で稚拙な政治手法が野党側の協調機運を阻害した。与野党連携は失敗し、政争が復興に向けた体制づくりの足を引っ張ることになった。≫と。そして最後の締めがこうだ。≪政治の責任が厳しく問われている今、「政治の貧困」から脱することこそ急務だ。首相退陣後は、まず与野党が結束し、震災復興を強力に進めていくべきである。≫ 唐突に付け足しで与野党の言葉が出る。いつまでも性懲りなく過去の「菅おろし」路線的「社説」を綴っているようでは、この新聞もやがて“旧弊紙は消え去るのみ”だ。

∇同じ菅内閣批判でも毎日は冷静で客観的だ。≪日本は経済の長期停滞、少子高齢化、財政危機など構造的な問題を悪化させ続けている。年金・医療問題などを契機に自民党から民主党へと政権の主役が代わったのが2年前。だが、民主党には政治的な未熟さの上に衆参「ねじれ」問題が立ちはだかり、混迷を続けた。2代目の菅内閣もまもなく命運が尽きる。大災害からの復興に加え、円高や外交立て直しなど課題山積の中で、今度こそ政治の機能回復が急務である≫。尚、毎日は≪大震災と終戦記念日 「ふるさと復興」総力で≫が主題で、≪今の日本の緊急の課題は、被災地の人々の「ふるさと」を取り戻すことだ。「ふるさと」を奪われた人々を支え続ける。そのために知恵と力を結集させなければならない。≫とし、論説の9割をその具体的提案に触れている。朝日は≪終戦に思う―今、民主主義を鍛え直す≫ だ。≪経済産業省や電力会社は、地震国の真実に目を塞いだ。都合のいい情報は伝えるが不利なデータは隠す。さらにやらせ質問で世論を誘導。ウソを重ねた軍部の「大本営発表」顔負けだ。 でも原子力村だけの責任か≫と振り返る。そして原発事故の真因を神里達博東大特任准教授の指摘する≪「閉鎖的な専門家システム」と「大半の国民の無関心」という共犯関係≫に及び、≪生命や財産は、国民一人一人が守り抜くという意思を持ち、その意思を実現できる人物を政治家に選び、働かせる。国民と政治家が問題の価値やリスクをチェックできる仕組みを作り上げる、すなわち民主主義を真っ当なものに鍛え直すしかない。≫≪健全で利害から独立したジャーナリズムが果たすべき責任と役割は重い。情報を官僚らに独占、操作させず、生命や資産が脅かされる可能性のある人全員が共有する。失敗の歴史を忘却せず使命を果たしてゆきたい。≫とした。

∇東京新聞の題名は≪終戦の日に臨み考える 新たな「災後」の生と死≫。曰く、≪震災と放射性物質の拡散は、ふだん人々が忘れている死を身近なものに感じさせた。しかし、無力感や虚無感にとらわれることこそ、今は排すべき≫だ、と戦後日本が≪それまで培ってきた産業基盤や技術だけでなく多くの人的資源を失い、占領下に置かれても、人々は立ち上がり日本の復興を成し遂げた。それに比べ、大震災で打撃を受けた東北の製造業が短期間で回復したように日本の産業基盤は健在だ。放射性物質との闘いで武器になる食品の汚染測定も日本は世界一の技術を誇っている。放射性物質を除染し、子どもたちの命を守ることを、あきらめることはない。長期にわたる放射線による影響調査やがん予防は、先進国の中で立ち遅れている日本のがんへの取り組みを一段と強化する機会になるはずだ≫、負けるなと。そして、≪幕末の思想家、吉田松陰は二十九歳の若さで処刑された。処刑の前日、人間の寿命には長短があるが、「それにふさわしい四季がある」と述べ、明日死ぬわが身にも「四季はすでに備わっており、花を咲かせ実をつけているはずだ」(「留魂録」講談社学術文庫)と書きのこした。生ある限り、自らの四季を豊かにする努力を惜しまない。それこそが新たな「災後」に、まず心の復興を成し遂げる一歩となるのではないか≫と。今日はこゝまで。日経は明日。「留魂録」の当該部分全文を添付しておこう。

【留魂録】
≪今日死を決するの安心は、四時の順環に於て得る所あり。蓋し彼の禾嫁(かか)を見るに、春種し、夏苗し、秋刈り、冬蔵す。秋冬に至れば、人皆其の歳功の成るを悦び、酒を造り醴を為(つく)り、村野歓声あり。未だ曾て西成に臨んで歳功の終るを哀しむものを聞かず。吾れ行年三十、一事成ることなくして死して禾嫁の未だ秀でず実らざるに似たれば惜しむべきに似たり。然れども義卿(松陰のこと)の身を以て云へば、是れ亦秀実の時なり、何ぞ必ずしも哀しまん。何となれば人寿は定まりなし。 禾嫁の必ず四時を経る如きに非ず十歳にして死する者は十歳中自ずから四時あり。二十は自ずから二十の四時あり。三十は自ずから三十の四時あり。五十、百は自ずから五十、百の四時あり。十歳を以て短しとするは蟪蛄(注1)をして霊椿(注2)たらしめんと欲するなり。斉しく命に達せずとす。義卿三十、四時已に備はる、亦秀で亦実る、其の秕(しいな)たると其の粟たると吾が知る所に非ず。若し同志の士其の微衷を憐れみ継紹の人あらば、乃ち後来の種子未だ絶えず、自ずから禾嫁の有年に恥じざるなり。同志其れ是れを考思せよ。≫

注1:けいこ=夏ゼミのこと。セミの命の短いことを言う。
注2:れいちん=大長寿の霊木。注1、注2共に出典は「荘子」