紫陽花記

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別館★写真と俳句「めいちゃところ」

障子の穴

2022-04-18 19:45:41 | 実録🌞太陽の子守歌★障子の穴
「今、息子さんはどうしていますか」
 突然なことに、受話器を握り締める。
 八年間も聞いた声。
 十年以上も聞いていなかった。
 緊張する。
 あえて、ゆっくりとした口調で答える。
「はい。変わらずです」
「もう一度、治してあげましょうか」
「いえ。自然のことと思っていますから」
「まぁ、あんた。気楽やねぇ」
「・・・・・・」
「それで、ご次男さんは」
「お陰様で。勤めています」
「ああ、そんなになりましたか。どこへお勤め」
「この近くです」
「近くの何処?]
「・・・・・・」
 璃子は、最小限度の言葉で応対する。
 しばらく無言が続く。
「それじゃあ、頑張って下さい」
 あの人が電話を切った。
 震える手で受話器を戻す。
 しばらく自室のベッドにかけていた。
 昭和四十五年。障害者の長男・太郎が二歳。
 次男、裕次がハイハイをしていた頃入信する。それから八年続けた後、脱会。
 夫、正志や元信者等とその頃のことを話す事がある。布施の工面をした事。奉仕活動の一環として、チラシ撒きをした時の話など。
元信者は、布施する金もなくお参りした時「あんた。何しに来たんや」と、あの人に言われたのが、脱会のきっかけだったと言う。
「金が無くなったら行けない所だわ」と言いながら、最後には決して無駄ではなかった。
と、璃子たちは思うことにした。
  

あの人は白い着物に、黒の上衣。
六畳間に座り、庭に面して目を閉じた。
口の中で何かを唱えている。
膝の上で、両手の親指と人差し指で輪を作る。微動だしない。
璃子は太郎を抱き、裕次を引き寄せた。新興住宅地の真昼。
「御本尊にお願いして、三か月で十五万円。
起き上がって歩くまでにして頂きましょう」
と、あの人は言った。
「そんなことあるのかな。そんなんだったら医者なんていらないよ」と夫の正志は言う。
「でもね。もしかして治るかもしれない」
「家を買ったばかりだし。借金がある」
「通帳に丁度十五万円あるわ。私が遊んで使ったと思って、私に頂戴」
あの人の言った金額が、わが家の残高と同じというのが不思議なことだ。三か月朝参りをすれば、太郎が起き上がって歩く。
翌朝。四時半過ぎに起きる。
太郎を自転車に乗せて、新興住宅地の外れにあるあの人のお堂に出向いた。
十坪ばかりの家。六畳間と四畳半の続き間に祭壇がある。一番上段中央に木造の仏像。
金色の蓮の飾り物。幾つかの位牌。太いろうそくが左右に立ち、灯がともっている。
あの人は白髪を後ろに一つにまとめ、黄楊の櫛をさしている。昨日と同じ姿だ。
五時。鉦を鳴らす。お経を上げる。
璃子は太郎を抱き、手を合わせる。
お経が終わる。御本尊様に何かを唱えた。
そして、こちらを向いた。
「お加治をします」と言う。
あの人は太郎を自分の膝に抱くと、目を閉じる。全身を撫で回す。塩と酢を練り、マッサージをするように塗った。


太郎をつれ五時参りを続けた。涎の出が少なくなった。言葉は母音だけ。寝返りがやっとできる。お加治をされている時は、首をすくめて、あの人を見上げていた。
三か月祈願の最後の日。
「満願の夜だから」と徹夜で祈る。
璃子は手を合わせ続ける。
祈りは続く。外が明るくなってきた。
「あんた。御本尊を疑いませんでしたか」
あの人が振り向いて、璃子の目を見た。
「治して頂くには、少しの疑問も駄目。それに今あんたの親戚らしい人が出てきて、供養してくれと言ってます」
その親戚らしい人の供養をする。
布施を包む。二万円。
「御本尊を信じなさい」ときつく言う。
入信してから、太郎の名前を変える。通称幸一。璃子の父親の供養。水子の供養。家屋敷のお払い。家族全員のお守りを頂き、車のお守りを受ける。
一日と二十一日はお堂にお参り。月に一度は我が家の仏壇にお経を上げて頂く。
確かに、本当に治してもらえるのだろうかと思ったことはある。だが、毎朝の五時参りと、自宅でのお経上げ。太郎に甘酢を飲ませて、酢と塩で体を清める事を怠らなかった。
璃子は二十八歳。夫の正志は二十九歳。
入信した以上、あの人の言葉を御本尊の言葉と信じてついてきた。
「少しの疑問も、幸一君に反映するのよ」とまた、きつく言う。
心の揺らぎがなかったわけではない。
璃子は、自分の心の持ち方のせいなのだと、太郎を抱きながら思った。
四か月目から、朝参りはしないが、そのほかの言いつけは守る。


本堂。集会所。庫裏も新築された後だ。
テレビ局から取材に来ると言う。
 檀家の皆さん出席するようにと、通達があった。暑い日だった。
 番組の主になっている男優は、世界中の不思議に挑戦していた。妻の女優を伴い、ディレクターとカメラマン。
あの人がUFOを呼び寄せると、檀家さんが番組に売り込んだらしい。
 集会所に長いテーブルを出す。お茶やお菓子を用意する。
あの人は、新興住宅地の四メーター道路に面した、寺の門前に腰を下ろしている。
目をつむり、何かを唱えている。
璃子は、道路やその周辺に、何か変化が起きるのではないかと目を配る。
何の変化もなく時間だけが過ぎる。
集会所の中でテレビ局のスタッフが、変化があった場合のためにスタンバイしていた。
朝八時過ぎから来ていた。
昼過ぎになっても何の変化もない。
テレビ局のスタッフが、小さい声で話して
いる。眉を寄せたり、首を振ったりする。
あの人の娘婿が、何度も門前と集会所を往き来する。璃子の近くを通った時、
「UFOなんて来る分けないよ。呼べないのに」と小声で言った。
午後四時頃。
門前の道路に変化があったらしい。
みんなが集会所を飛び出す。
何もない。
「UFOは途中で故障して、ここまで来られないと使いの者が来た。ほら、花の香りがしますよね。彼らのものですよ」と言う。
テレビ局のスタッフは、無言のまま帰って行った。


豆腐屋さんを寺に連れて行くことになった。
結婚して四年になるが、子供が授からないと言う。
璃子は太郎の体が成長に合わせて、少し良くなったのを御本尊様のお陰と信じていた。
だが、起き上がって歩いたわけではない。それでも、重かった心が『これも運命。背負わなければならない業』と悟り始めていた。
どうにもならないものでも、委ねる所があるだけでも助かった。そんな心境が信者を増やす。自分が助かったなら、他人も助ける。
というものに繋がっていった。
その頃、太郎はゆり学園に入園した。ゆり学園では、機能訓練と医療の両面で指導を受けられる。それまで通っていた福祉センターの機能訓練士の勧めと、学齢になったこともあって入園させた。
「起き上がって歩くまでにすると言ったじゃないか」と正志は怒ったが、現実問題として仕方がなかった。
ゆり学園から、隣接する県北養護学校に通うことになった。太郎はやっと親と離れることと、学園の生活に慣れた頃だった。
あの人は、お経を上げた後豆腐屋さんに質問していた。大半は夫婦生活の事らしかった。
後日。
「今度の土日にお子さんを頂きなさい」と言った。そして。お布施の額を言う。
豆腐屋さんは忠実に土曜日の夜、眠りかけている夫を起こし、交渉を持ったそうだ。後で聞いた事だが、結婚後何回も性的交わりはなかったとか。だからその時も、豆腐屋さんは必死に夫を起こし、その気になってもらったと言った。
たった一度の交渉で、女の子が授かった。
その事実は、璃子をまた寺に通わせた。


豆腐屋さんが導いた人が死んだ。
首つり。
自分の家のベランダにぶら下がって。
入信のきっかけは夫の海外赴任の時。
現地妻がいたとか。その彼女が日本までも逢いに来たとか。そんな悩みを聞かされて、豆腐屋さんが寺に伴った。
多額の給料を取る夫だが、女に優しい。それが最大の悩みだと言う。
一時、信じていいものかどうかと悩んだらしく、璃子の所へ来た事があった。
「縋る事によって、心の平安があればいいのじゃないだろうか」と璃子は言った。
豆腐屋さんの子供の授かった事と、障害児を育てながら明るくしている璃子を見て、入信する気になったらしい。
暫くして、自宅の地続きに土地を買って新築をし、古い方は貸家にすることにした。
新しい家に似合った仏壇が欲しいと、思ったらしい。仏壇はあるのだから新しくする事はない。と言うのが夫の言い分だった。
そんな喧嘩の翌日、ベランダにぶら下がっていた。
噂によると、布施、寄進は千万円単位だったというが、定かではない。
何年もたって璃子がとうにお寺に行かなくなった夏。実家で、義弟と母の法事を終えて帰って来た夜だった。
家の駐車場に車を止めた。運転していた正志と大学生の裕次が降り、璃子と太郎が車の中に残っていた。
豆腐屋さんの導いた人が現れた。赤っぽいチェックのバイヤス地で、セミフレアーの膝丈のスカートを履いていた。顔と足はない。
「何か言いたかったのじゃないの」と裕次が言った。


信仰して約七年。
本堂が建ち。集会所が建ち。三階建ての庫裏が建ち。霊園もできた。
毎月の御参りの日。集会所にいた。
「息子さんが良くなるには、思いきった寄進
をせなぁ、あかんがな」
あの人が改まった口調で言った。
「どんな寄進ですか」
「そうやなぁ。家一軒」
「えっ。いま住んでいる家でさえローンがあるのに。どうやって」
「あんたらの名義でお金を借りて、権利はお寺にするのですがな」
あの人は「その位のことをしなければ、とても息子さんの体は良くならないですがな」 と言うと、庫裏の方に去って行った。
その時点ではもう無理な事と解っていた。
ただ、心の安定を得ただけでもいいと思っていた。水子の供養。父。親戚の者。夫の昔の彼女の失踪までも供養した。それはそれでいいとは思う。何にしても供養なのだから。だが、家一軒の寄進なんてとても無理なこと。
その頃では、自分の信仰する対象がどんなものか理解していた。それでも離れなかったのは、離れる怖さだった。それに自分の心を預ける所が必要だった。
その場にいた数人の檀家さんは、みな無言で聞こえない振りをした。
あの人の娘婿が璃子に近寄って呟いた。
「今まで、一生懸命やってこられたのに。その上また、家一軒だなんて」
璃子は黙っていた。
このことを聞いたら正志は何て言うだろう。
集会所の廊下の障子に穴が開いていた。その穴から、あの人の娘さんがこちらを見ていた。そして、そっと離れて行った。


本堂に、七十人ほどの檀家がいた。全国から集まった人々。あの人の跡継ぎ息子もいた。
高齢でもうけた息子は病弱だった。そのせいなのか溺愛していた。
お経が終わった。
あの人の説法も終わった。
毎回のことだが、素直な気持ちで御本尊にお縋りしなさい。でなければ何も叶えてくれませんよ。という内容だった。
璃子の方に向きを変えてあの人が言った。
「あんたは恐ろしい人だ。いつも、懐に短刀を持っている。隙あらば突いてくる」
それは突然の発言だった。
璃子は返した。
「私は、先生のおっしゃることはすべて御本尊のお言葉として聞いてきました。いつも、そうおっしゃっていましたから。ですから、これっぽっちの間違いもしてほしくないのです。全面的に信ずるのですから」
璃子は「これっぽっちの」と、右手人差し指の先一センチを、親指の爪で弾いて見せた。
対抗するというよりも本心だった。
あの人は眉をひそめた。
「あんたは、恐ろしい人だ」とまた言った。
「前に言ったことと後で言うことが違うのでは、迷いの原因になりますよ。信じたいと思って縋って来ているのですから」
本堂の中に静寂が続いた。
怒りの表情のあの人。
璃子はじっと見つめ続けた。
絶対の御本尊の言葉となれば、間違いはあるはずはない。間違いがあるとすれば、あの人の意見なり、考えで言ったことになる。
「御本尊にお願いして、三か月で十五万円。起き上がって歩くまでにして頂きましょう」
と言った言葉を、また、思い出した。


檀家総代から電話が入った。
寺に行くと檀家さんたちが集まっている。
詳しい訳は聞けなかったが、三台の車に分乗して出かける。行き先は福島県。
「二週間前ですって」
同乗の筒井さんが言った。
あの人の娘夫婦が、二人の子供を連れて寺を出て行ったと言う。
「どんないきさつなのかは解らないが。自分たちの所帯道具はすべて持って行ったらしいの。戻れと言ったみたいだけれど、電話も止めちゃっているらしい」
筒井さんは、はばかるように言った。
五時間位走った。
海岸に近い林道に沿って二階建てがあった。
林道に駐車をした。
檀家総代を先頭に玄関に向かう。
玄関脇の六畳間に、あの人の娘さんと娘婿が座る。璃子達十二人に向かって頭を下げた。
「もう戻るつもりはありません。わが母ながら、もうついて行けません。こんなこと、皆さんに言いたくはありませんでしたが、言わなければ解って頂けないと思いますし。あの人は、娘の私夫婦にでさえ檻に入れ、棒でつっ突くような事をする。何かにつけて、重箱の隅をほじくるようにされた。こちらへ来てからは、毎日電話で脅かされました。仕方がないので、電話も止めています」と言う。
娘さんは膝の上で拳を作って泣いた。
「私達はここで御本尊にお縋りしていきます」と、娘婿もうなだれた。
 璃子は、娘さんの導きで入信した。
娘さんの「あの人」と言う呼び方に、集会所の障子の穴を思い出した。
帰り道。どう報告するか皆で話し合った。
結局、ありのまま言う事にした。


寺に行かないことが多くなった。固い決意で行かないわけではない。
太郎は、五年生から養護学校の寄宿舎に移った。毎週土曜日の朝璃子が迎えに行く。連れ帰ってすぐ仕事につく。自宅続きの店なので都合が良かった。食事はスプーンを使う。
衣類の着脱は時間がかかるが出来る。車椅子もこの頃では、右足で蹴ってバックで進めた。
知能は低いが、日常的な会話は理解した。
太郎の存在は、璃子たち家族に課せられたもの。その他の事が順調であれば良としょう。
心身ともに苦しかったのを救われた。悟らせてもらっただけでもいい。と思う。行き続けるか行かないか。不思議な事もあったが間違いもあった。しっかり働かせて頂いた。布施は多額だったぞ。璃子の中で問答する。
「お寺に行かないのか」と正志が聞く。
「どうしようか」
正志は行けとも行くなとも言わない。
行かない事でしばらく怯える。
何かあると「南無阿弥陀仏」と唱える。
寺に行かないのに、縋っていいのか。と、璃子のどこかで言う。
嫌な事を連想すると「不用物退散」と念じる。その連想したものを振り払う動作。それも、あの人に教わった事。
日々薄らいでいく。
それでも、生活の根底に残っている。
いつの間にか集会所の障子の穴も忘れる。
御六字の掛け軸。教本。数珠。あの人の自叙伝。その他諸々。すべて布施をした上でお受けしたもの。そのすべてを「引き上げます」と、あの人が持って行ったのが、それから二年後のある日曜日の夕方。
平成七年。オウム事件の夏。
あの人の声で電話がかかってきた。

          終わり

あとがき
著書「太陽の子守歌」に掲載した実録です。
障碍者の息子を授かった私たち夫婦に、新興宗教の誘いが近づいてきました。
まだ二十代の私たちには、善悪の見極めも出来ないまま、苦しい毎日から救い出してくれるものと信じてしまったのでした。
その結果は、大半の大人が冷静に判断できたものだっただろうと思います。
ようやく目覚めるまでの出来事は、大きな代償の代わりに、運命とか縁とかいう自分の力ではどうにもできないことがあること。
そして、それも自然の成り行きみたいに、受け入れなければならないことのように思えるまでになりました。
30年と7カ月の息子との関わりの中、楽しいこともありました。
また一緒に過ごせる時が来ることを願うこの頃です。

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