●〔9〕内田樹『先生はえらい』ちくまプリマー新書 2005 (2005.02.08読了)
教育論というよりコミュニケーション論といった感じもありました。
いちばんたいせつなことは、コミュニケーションはつねに誤解の余地を確保するように構造化されている、ということでした。(p.149)
私たちが敬意を抱くのは、「生徒に有用な知見を伝えてくれる先生」でも「生徒の人権を尊重する先生」でも「政治的に正しい意見を言う先生」でもありません。私たちが敬意を抱くのは「謎の先生」です。あるいは「無-知の先生」と言ってもいいかも知れません。(中略)先生が無知であるという意味ではなくて、私にはどうしても理解できないもの、つまり私の知が及ばないもの、私にとっての「無-知」(non-savoir)の核のようなものが、先生の中にはある。そういう印象を与える先生のことです。(pp.142-143)
わかったような、わからぬような…。