鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

労働基準法、そんなの知ったこっちゃねえ

2023年01月26日 | 兎糞録

 そんな会社まだまだいっぱいあります。

 再就職した知人、出勤初日に「うちは始業は8時になっているけど、7時20分までには出社すること。」

 5日は行ったけれど「辞めます」

 ある会社、「終業のタイムカードを押してから働いてくれ。」

 よく残業手当は15分単位といいますけれど、それは法的根拠全くなし、というより違法です。雇用側は残業については1分単位で支払わなくてはなりません。

 

 ある人は労災にあい、会社のトップが自分は当日いなかったから責任はない、と言い張るものだから労基に相談行ったらそれが悪いとされ辞めざるを得なくなったと。

 そんな会社だらけです。


これでもまだ穏やかな方

2023年01月25日 | 兎糞録

 久しぶりに荒れた今日、

 出かけたくはないけど仕方なく、道路の温度表示は-7℃。夕方もう一度出かけたときは視界更に悪く。今から何ん十年前でしょうか。国道七号線が止まったことを思い出しました。国道七号線には車が見渡す限り動けなくなっていて、その日繁盛したのはガソリンスタンドと弁当屋さん。まだコンビニのない時代です。その後あんな悪天候はありません。

 あの日は知り合いの気機修理に携わる人から聞いたところでは湯沸かし器、ボイラーが多くの家で凍結、修理の電話が鳴りやまなかったそうです。水道管が凍結していては修理に出動しても直すことも出来ません。それでもお湯が出ないから直してくれと呼ばれ続けたそうです。

 水道管が凍結しそうな夜は肌でわかるんですけどね。

 これも何年前のことになるでしょうか。仙台へ出張の帰り、夜も遅くなり国道47号線。地吹雪になり見えるのは前を行く大型トラックの赤いテールランプのみ。それを頼りにのろのろついていくと途中の信号で大型トラックは別方向へ。道は自分の車のボンネットの先は見えない状態。車は止めざるを得なく、前が見えた時を見計らって前進するだけ、どうやって帰ってきたか思い出せません。

 酒田も昔はかなりの雪が積もっていたようで、女の人が腰まで雪に埋まった写真がありましたがどこへ行ったやら。それにしてもガスも灯油も電気もすさまじい値上がりでこの先やっていけるのか不安です。

 知り合いのガス屋さんんに勤めるお兄さん、ガスは社員価格なのだそうですけれど、家族が一人無くなりガス消費量が二割以上少なくなったのですがガス料金は五割以上あがってしまったとか。

 我が家でも光熱費はうなぎのぼり、こう寒くては暖房を節約もできません。この辺でさえストーブは11月から翌年5月まで出しっぱなしなのです。春が来るまでじっとしているのみ。早く布団に入って寝てしまいましょう。それが一番の節約のようです。


洞吹ノ滝

2023年01月25日 | 鳥海山

 冗談で付けた名前がいつの間にか地図に、以前その名前を付けたグループの方から直接聞いたことがありますが「洞吹ノ滝」の由来。ホラフキノ滝と名付けたと河原宿の小屋での夜話に聞いたのですが、ドウスイノ滝と読む方もいつのまにかいらっしゃるようで。

 上の図は池田昭二「山と高原地図 鳥海山 1976版」ですが現行の山と高原地図にはこの滝は載っていません。

 その命名の由来を本に書いてあるのがありました。高山 登著 「続・山靴の詩」昭和58年。なんだか著者名が出来過ぎた名前ですが某病院のボイラー技士をしていた方です。

 この「続・山靴の詩」に次の記載があります。


 滝の小屋道の車道からよく見える無名の滝があった。この滝は、車で登ると「のぞき」附近から、特によく見える。当時、このような無名の沢や滝など、既成の地図に記載されていないところを探し当て、新らたに書き加えたり、命名したりしていだ、池田昭二氏が、三人組の山友達に
 何か、いい名前はないか?」と、尋ねると「ホラ吹き滝、というのはどうだ。」
 と、提言されたという。実は、この了一人組、どう云う訳か、自他称「ホラ吹き三人組」で、通っているということだ。相談した相手が悪かったが、その時は、「ホラ吹き滝」と、命名することに決め、採用することになったが、字を「洞吹の滝」と変え、今では、立派に、正式名として、地図に載っている。経過を知っている、私には「ホラ吹きの滝」に、見えるからおかしい。


 高山さんには面識はないのですが、もしやして河原宿で酔っぱらってほらを吹いていた人、人呼んで錻力の喇叭こそ高山さんではなかったかと今にして思います。

 それにしてもつまらない、相応しくない名前です。池昭さんの地図には勝手に付けた地名もいくつかあると人に聞きましたがこれもその一つでしょう。だからこそ現行の地図で削除されたのかもしれません。

 「山靴の詩」は酒田市立図書館、貸出禁止。「続・山靴の詩」は貸し出し可のようです。国立国会図書館デジタルコレクションでは家にいながら読むことが出来ます。


破方口と荒神嶽の大国さん

2023年01月23日 | 鳥海山

 「遊佐町史資料第1号鳥海山資料」を読んでいたところ、破方口がピークとして記されています。破方口についての推察はやはり間違いなかったようです。破方口をピークとして示した地図は初めて見ました。今までいろいろな資料から破方口を調べてきたのですが間違いなかったようです。下の地図を見ると康新道は当初破方口へ出るようになっていたことがわかります。現在の康新道は破方口へ寄らずに途中から矢島路へ號りょおします。やはり初めて下りに用いた康新道は旧道だったようです。かなり荒れていましたからね。

 さて大黒天ですが、七福神の中の神様。七福神はご存じのように、大黒天、弁財天、毘沙門天、布袋、福禄寿、寿老人、恵比寿様の七神です。大黒天、弁財天、毘沙門天がインドの神様、布袋、福禄寿、寿老人が中国の神様、恵比寿様(事代主命)だけが日本の神様です。大黒天はインドでは「マハーカーラ」と呼ばれていたそうです。「マハー」は大きいこと、「カーラ」は黒いことを表すため、大黒天と意訳されたのだそうです。もともと佛教を守護する神様でしたが台所の神様も兼ねていて、家豊か、すなわち台所には食べ物が豊富、ということで福の神になったのだそうです。(「地名の由来を知る事典」 武光 誠 平成九年東京堂出版)

 荒神岳の大国さんですが、かつて鳥海山には文殊嶽から千蛇谷へ降り、荒神嶽へ登る道があったということで、大黒様はそこで祀られたものではないかということです。(「遊佐町史資料第1号鳥海山資料」による)


 地図は「遊佐町史資料第1号鳥海山資料」による

 また「遊佐町史資料第1号鳥海山資料」によれば、院内村で鳥海山七高山に大国主神を祀ったが山焼けのために尊体を院内村に遷したとあるそうです。七高山のある長根を大国長根と称したそうですから院内村と大黒様は関係が深そうです。噴火が収まってから荒神嶽へ遷したということでしょうか。大黒様の岩の側には墨で書いた文字跡のようなものもあります。かなり年月を経ていると見え判読は不能です。各所にある石の祠は大正から昭和初めに置かれたもののようですがどうやら荒神嶽の大国さんは他の石の祠と違い、行者岳の役行者とともにかなり昔からのもののようです。


鳥海山地図

2023年01月22日 | 鳥海山

 10mメッシュの地図です。

 山体崩壊の跡が生々しいですね。蟻の戸渡しで繋がった稲倉岳、奈曽渓谷はどのようにしてできたのか、見ているだけで時の経つのを忘れます。

 出所はどこかといえば、カシミール3Dの特別付録です。今は入手も難しいかと思います。この特別付録の地図、カシミール3D附属のCDを発行順にインストールしていかないと使えないようです。単体としては開くことも不可。他に使いようがないのです。何か面白い使い道はないか、工夫してみましょう。