鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

破方口と荒神嶽の大国さん

2023年01月23日 | 鳥海山

 「遊佐町史資料第1号鳥海山資料」を読んでいたところ、破方口がピークとして記されています。破方口についての推察はやはり間違いなかったようです。破方口をピークとして示した地図は初めて見ました。今までいろいろな資料から破方口を調べてきたのですが間違いなかったようです。下の地図を見ると康新道は当初破方口へ出るようになっていたことがわかります。現在の康新道は破方口へ寄らずに途中から矢島路へ號りょおします。やはり初めて下りに用いた康新道は旧道だったようです。かなり荒れていましたからね。

 さて大黒天ですが、七福神の中の神様。七福神はご存じのように、大黒天、弁財天、毘沙門天、布袋、福禄寿、寿老人、恵比寿様の七神です。大黒天、弁財天、毘沙門天がインドの神様、布袋、福禄寿、寿老人が中国の神様、恵比寿様(事代主命)だけが日本の神様です。大黒天はインドでは「マハーカーラ」と呼ばれていたそうです。「マハー」は大きいこと、「カーラ」は黒いことを表すため、大黒天と意訳されたのだそうです。もともと佛教を守護する神様でしたが台所の神様も兼ねていて、家豊か、すなわち台所には食べ物が豊富、ということで福の神になったのだそうです。(「地名の由来を知る事典」 武光 誠 平成九年東京堂出版)

 荒神岳の大国さんですが、かつて鳥海山には文殊嶽から千蛇谷へ降り、荒神嶽へ登る道があったということで、大黒様はそこで祀られたものではないかということです。(「遊佐町史資料第1号鳥海山資料」による)


 地図は「遊佐町史資料第1号鳥海山資料」による

 また「遊佐町史資料第1号鳥海山資料」によれば、院内村で鳥海山七高山に大国主神を祀ったが山焼けのために尊体を院内村に遷したとあるそうです。七高山のある長根を大国長根と称したそうですから院内村と大黒様は関係が深そうです。噴火が収まってから荒神嶽へ遷したということでしょうか。大黒様の岩の側には墨で書いた文字跡のようなものもあります。かなり年月を経ていると見え判読は不能です。各所にある石の祠は大正から昭和初めに置かれたもののようですがどうやら荒神嶽の大国さんは他の石の祠と違い、行者岳の役行者とともにかなり昔からのもののようです。


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