鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

自然環境に配慮して登る

2022年01月25日 | 鳥海山

 今は登山シーズンではありませんが、まずは下の写真をご覧ください。

 石畳が敷かれる前の八丁坂です。昭和六十年代です。ほとんどの登山者は荒れた道の中央は登らずに右端の草の在る方を登っていました。長年そうやって歩いた結果裸地はどんどんと拡がっていきました。長坂道出会いから御浜へ至る道もかつてはほとんど登る人がいなかったのですが多くの人が登るようになって道は荒れてきています。笙ヶ岳もまた人が歩き回ったために余計な道が出来てしまっているようです。

 もう一枚、昭和四十年代中頃の同じ場所です。上の写真と比較してみてください。

 すでに荒れてはいますが上の写真を見ると道の拡がる速度の速いのがわかります。

 こちらの写真は写真家佐藤要さんの「鳥海山を登る 夏から秋の登山道ガイド」(2014年=平成26年発行)の最後に載せられた写真です。写真の説明にある通り、鞍部の先、手前共に石畳が敷かれましたが一度荒れてしまった道はそう簡単に回復はしません。(「鳥海山を登る」は最近写真集でも出ましたがこれは先に同じタイトルで出た登山道ガイドの方です。)

 この写真のページに書いてある文章のタイトルが表題の「自然環境に配慮して登る」、佐藤要さんの承諾を得てありますので一人でも多くの方に読んでいただきたく、全文掲載させていただきます。どうか最後までお読みください。


 石畳で整備された道、木道が敷かれた道。左右にロープが張られた道、そんな登山道が鳥海山に増えている。登山者の増加により負荷が掛り崩壊が進んだ事への対策と言われている。河原宿小屋を過ぎて心字雪渓から流れる清流に沿って進むと、赤褐色の大きな岩が転がる台地に出る。千畳ヶ原に続く道の分岐点だ。現在の荒れ果てた状態からは想像が出来ないが、かつては多くの花々が咲く緑の草原だった。山上の楽園と言われたキャンプ場で、夏山の最盛期には五〇張りものテントが並んだ。雨水を流すための側溝がテントの周りに掘られ、その結果表土が流され岩だけが残る無残な姿になった。

 鳥海湖北斜面の中段の台地も同じ原因で表土が流され岩が露出した姿をさらしている。ここも河原宿と共に景観に恵まれた憧れのキャンプ地であった。キャンプ禁止や、立ち入り禁止の措置により少しずつ植生が回復しているが、一度壊された自然は二度と戻らないという実例だ。

 扇子森から御田ヶ原分岐に下り八丁坂を登る。下り始めから続く幅広い石畳の道がある。ガレ場の道の歩き易い所を選んで歩いた結果、鞍部から先は道幅が二〇m以上に広がってしまった所である。

 石畳で道幅が制限されたが今でも周りの植生が回復していない。以前のまま土の道が残っている長坂道や康新道も、道幅の拡大や洗掘が始まっている。舎利坂や心字雪 渓の周辺は踏み跡が錯綜して崩壊が激しい。

 鳥海山をひと夏に訪れた人が一〇万人(観光客を含む)を超えたと言われる。多くの人が山の自然に興味を持つことは良いことである。一方で登山道やその周りの高 山植物への影響が懸念される。登山道から外れて草原や湿原に踏み込んだり、急いで登ったり無理をして登るなど、環境に負荷が掛かるよぅな登り方はやめて余裕を持って山を楽しむようにしたい。

 石畳の道は膝の負担が大きく、木道の踏み外しはケガにつながり、ロープが張られた道を歩くのは気分の良いものではない。しかしこのまま破壊が進むと登山道の総てが石畳や木道に変えられて、近い 将来鳥海山も入山料徴収や入山者数が制限される可能性があるかも 知れない。動植物生態系への負荷、登山道の破壊、排泄物の処理問題 など、登山者自身が真剣に考えな ければならないことは多い。


 同ページの河原宿と御浜の画像も併せてご覧ください。

 どうか今年の登山シーズンはこの文章を思い起こしながら鳥海山に登ってください。


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