鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

寝コロビながらのiPad

2021年11月15日 | 兎糞録

 横になりながらiPadを見ようとする横着なものとしてはこういうものを使ってみようかと思い、つい買ってしまいました。ダイソーで300円です。

 実際に取り付けてみると、一般的なワニ口式のクリップと違い挟み込みできる厚さは結構な余裕があります。

 タブレット本体を取り付けてみるとiPad9.7インチではちょっと重すぎるのか取付部に挟み込むとグーッと下がります。FireHD8なら軽いので十分かもしれません。でも考えてみたら映画を見るくらいしか使えないのです。タブレットは操作してこそ役に立つのですなあ。寝ころびながら思いついたことを入力したりするのでやはりこの状態では使えません。以前キーボードに組み込んでパソコンのように使えるというものも購入したことがあるのですけれど使い心地はノートPCにはとてもかないません。タブレットはやはり単体で使うのが一番のようです。

 これ、あまりタブレットを倒すとひっくり返ってしまいます。又ヒンジ部分で回転させ、畳んでタブレット状態でも使用できますが今度は重すぎて使用に耐えません。ブルートゥースでマウスも使えるようにすることも出来るのですがそれならやはりノートPCの方が使い心地がいいです。

 でもノートPCも最近休眠状態なのです。大画面モニターを見ながらのパソコン操作に慣れてしまうと15.4インチでは目がついていきません。目と歯がもうくたびれ果てています。


太田宣賢編集発行の「鳥海山登山案内記」その3

2021年11月14日 | 鳥海山

 太田宣賢編集発行の「鳥海山登山案内記」その3を載せるのを忘れていましたので追加しておきます。

 この本の発行されたのは大正二年ですが中身は明治末の話。当時の蕨岡はまだ勢いがありました。蕨岡への交通の便についてもそれが表れています。この案内の「交通」の欄を見ると、


鳥海山に登らんと慾するものは其登山口の如何に依りて自交通線路を異にす而して今日登山口と認むべきものは云ふ迄もなく陽面南麓の蕨岡及西麓の吹浦大正二年ですが書かれたのは明治明治末年の話并背面の矢島乃至小瀧なり然れども元來鳥海山に登るものゝ最大多數は蕨岡口よりす


 もっともこの編集者の太田宣賢という方は蕨岡の宿坊大泉坊の方ですからしょうがありません。又吹浦口よりの登山に就いては


吹浦より登山するには蕨岡に比し行程頗る遠く且つ山中冷泉淸流に乏しきを以て渴を醫するに苦む將來適地を相し淸流を引くか若くは冷泉を發見することあらば登山者の大に悅ぶ處ならん


 吹浦口の水場のなさを挙げています。蕨岡口には弘法水、水呑等水場はいたるところに在りました。ブルーラインを想像しては駄目ですよ、あくまでも昔の登拝路です。だからこそ伝石坂の途中の二の宿も貴重な水場だったのです。

 さて、吹浦口よりも蕨岡口の方が優位である、将来は鉄道も蕨岡付近に停車場が出来るものと太田宣賢は確信していたようです。続けて交通に関してこのように期待を以て書いています。


羽越線沿岸布設の曉は蕨岡附近に停車場を設けらるべければ竣工の後は各方面よりする人々の便宜甚だ多かるべし


 ご存じのように羽越本線は鶴岡、余目、酒田、吹浦と北上します。吹浦駅は1920年(大正9年)に開業しています。吹浦の駅を降りれば大物忌神社吹浦口の宮はすぐです。どういう理由か蕨岡附近に駅ができることはありませんでした。吹浦の駅を降りれば駅前に銅像があります。もう一人の鉄道の父と呼ばれた佐藤政養、明治初期の人ですが彼が吹浦出身ということも吹浦に駅ができた要因の一つなのではないでしょうか。

 これですぐに蕨岡が廃れたわけではありません、しかしその遠因となっているのは間違いないでしょう。


遊ぶPCソフト

2021年11月13日 | 鳥海山

 ズバリ巨大プリント 2、手軽にポスター作るならこれが安くて便利。

 こういう写真があれば画像入力して原稿はA4サイズ、出来上がりがA2サイズになるように設定します。(それ以上も可能ですがコンビニプリントはカラー上質紙はA4が出力上限なので)

 A4×4枚に分割されたA2サイズのポスターが出来ました。あとはコンビニで出力して自宅で張り合わせするだけで大きなポスターの完成です。自宅のプリンターではインクのカスレやらでヘッド清掃、普段使っていないので手間ばかりかかり仕上がりも良くないのでコンビニプリントの方が安上がりできれいです。

 

 もう一つのソフトが「おまかせ読み取OCR」

 画像から文字を読み取るOCRソフトの安いやつ。スキャナからも直接読み取ることが出来ます。ただし、画像入りの文書などはスキャン範囲を分割しないと訳の分からない文書が出来上がります。又旧字体などはこれまた変な文字の羅列になります。「と」を「さ」と読み違えるのは毎度のこと。読み取り精度は決して良いとは言えません、そこは価格相応ということで。

 

 どちらも遊び程度なので業務用には向いていないでしょう。なんといってもダウンロード版で安いので遊ぶには十分です。


鳥海登山案内訂正版より「鍋登り」

2021年11月12日 | 鳥海山

 昨日の橋本賢助鳥海登山案内訂正版にあった「鍋登リ」の部分を紹介します。

 今も鍋森に登る人はあまりいません。古い登山地図には登路も記されていたことがあります。


 山荒らしの卷の一節

   鍋 登 り                                  (大正九、八、二)

『オイどうだ、鍋森に登る元氣があるかエ』といかにも豪傑らしく、マスター振を發揮したのが我輩である。躊躇もあらばこそ『オー登らう』と來たのが連の前田君と强力の市さん。之には流石の我輩も少なからず面喰はざるを得ない。と云ふのは實は鍋森登攀は頗る困難で、旦っ危險が多い嘗て登つた時も念入りに難儀をした苦い經驗がある。地方人は鍋には登れないものとして誰も登るものはない。碁だしきに至つては何か毒瓦斯でも出てゐるらしく云ふものさへある。それを登る事になつたのだ。今さら「やめやう」では我輩の威信にも關するなどゝ、いらざる所へ力瘤を入れてて『では登らう、前ヘー』とは云つたものゝ、號令の終りが可憐そうに振へていた。

今日は鍋森の裏廻りをやらうと云ふので、以前とは反對の方面から登ることにした。愈々登つて見ると、其の名にそむかず鍋の尻を登るやうなもので、到底金剛杖所の騷ぎでない。一步まかり違へば二つあつても命が足らぬ。三人はもう眞劍である。グの音も出さずに漸く絕頂にたどりついた時、時計は丁度十二時を報じた。大方山形ではドンの號砲に「それお晝だ」「オヤ時計が少し……」等とキイゝネヂをかけたり、針を直したりして居る頃だらう。三人は大聲を上げて陛下の萬歲を三唱した。

鍋森とは舊噴火口内に出來た中央火口丘で、頂上に噴火口のない塊狀火山であつて、全山全てゴロゝした、同質の熔岩から成り、遠く之を望めば如何にも鍋を伏せた觀がある。さてこそ鍋の名稱を得たわけであるが、そばに行つても名に恥ぢない峻しい森だ。上りは何とか足場も造れるが、下りと來ては足場の造りようがない。

 暫らく休んで下山の命令を出したさあこうなると又三人はてんゝばらゝ。登りに倍した際どい珍無類の格好をして、殊勝氣に下るうち、三閒半も辷り落ち、靑息をつきながらも『アヽ今の尻乘りは實際痛快だつた』とは隨分負け惜しみながら、あはれにも笑はせる。どうにかこうにか無事に下山して鳥の海湖をめぐる土手に這ひついた。


 古い文章なのでOCRを使っても完全には活字にはなりません。OCRで取り込んだものをWordに張り付け、左画面にPDF 、右にWord画面を出して訂正しながら入力していきます。でもこれがおもしろい。ある程度出来上がったら旧字体に一括で変換します。(旧字体に変換できるサイトあります。)これから80頁取り組みます。


橋本賢助の鳥海登山案内訂正版

2021年11月11日 | 鳥海山

 橋本賢助の鳥海登山案内には大正12年(1923)の訂正版がありました。

 酒田市の光丘文庫こうきゅうぶんこにありました。最初の版と訂正版が光丘文庫に保管されていたのはデータベースで知っていたのですがつい行かずじまい。今日やっと行ってきました。光丘文庫のデータベース上訂正版の方が80頁とページ数が少なくなっているのが疑問でしたがわかりました。図書館にある訂正版は80頁より後が欠落しているのです。道理でページ数が少なく載っているわけです。また、上の画像左側の表紙もありません。左側の写真はかつてオークションに出品されていたものです。あらためてオークションデータを見るとやはりページ数は全149ページとなっています。残念ながらこれは手元にありません。

 

 中には最初の版ではなかった面白い記事もあります。

 「鍋登り」、鍋森に登る話です。このほかにも最初の版にはなかった話が出てきます。手元にコピーしたものがありますのでこれからWordで活字にしていきます。出来上がったらまた紹介していく予定です。