鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

鳥海登山案内訂正版より「鍋登り」

2021年11月12日 | 鳥海山

 昨日の橋本賢助鳥海登山案内訂正版にあった「鍋登リ」の部分を紹介します。

 今も鍋森に登る人はあまりいません。古い登山地図には登路も記されていたことがあります。


 山荒らしの卷の一節

   鍋 登 り                                  (大正九、八、二)

『オイどうだ、鍋森に登る元氣があるかエ』といかにも豪傑らしく、マスター振を發揮したのが我輩である。躊躇もあらばこそ『オー登らう』と來たのが連の前田君と强力の市さん。之には流石の我輩も少なからず面喰はざるを得ない。と云ふのは實は鍋森登攀は頗る困難で、旦っ危險が多い嘗て登つた時も念入りに難儀をした苦い經驗がある。地方人は鍋には登れないものとして誰も登るものはない。碁だしきに至つては何か毒瓦斯でも出てゐるらしく云ふものさへある。それを登る事になつたのだ。今さら「やめやう」では我輩の威信にも關するなどゝ、いらざる所へ力瘤を入れてて『では登らう、前ヘー』とは云つたものゝ、號令の終りが可憐そうに振へていた。

今日は鍋森の裏廻りをやらうと云ふので、以前とは反對の方面から登ることにした。愈々登つて見ると、其の名にそむかず鍋の尻を登るやうなもので、到底金剛杖所の騷ぎでない。一步まかり違へば二つあつても命が足らぬ。三人はもう眞劍である。グの音も出さずに漸く絕頂にたどりついた時、時計は丁度十二時を報じた。大方山形ではドンの號砲に「それお晝だ」「オヤ時計が少し……」等とキイゝネヂをかけたり、針を直したりして居る頃だらう。三人は大聲を上げて陛下の萬歲を三唱した。

鍋森とは舊噴火口内に出來た中央火口丘で、頂上に噴火口のない塊狀火山であつて、全山全てゴロゝした、同質の熔岩から成り、遠く之を望めば如何にも鍋を伏せた觀がある。さてこそ鍋の名稱を得たわけであるが、そばに行つても名に恥ぢない峻しい森だ。上りは何とか足場も造れるが、下りと來ては足場の造りようがない。

 暫らく休んで下山の命令を出したさあこうなると又三人はてんゝばらゝ。登りに倍した際どい珍無類の格好をして、殊勝氣に下るうち、三閒半も辷り落ち、靑息をつきながらも『アヽ今の尻乘りは實際痛快だつた』とは隨分負け惜しみながら、あはれにも笑はせる。どうにかこうにか無事に下山して鳥の海湖をめぐる土手に這ひついた。


 古い文章なのでOCRを使っても完全には活字にはなりません。OCRで取り込んだものをWordに張り付け、左画面にPDF 、右にWord画面を出して訂正しながら入力していきます。でもこれがおもしろい。ある程度出来上がったら旧字体に一括で変換します。(旧字体に変換できるサイトあります。)これから80頁取り組みます。


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