鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

熊 月輪熊 ツキノワグマ ついでにD.I.Y

2021年04月16日 | 鳥海山

 今日はホームセンターに買い物に出かけたら結構いろんな人に会い、話を聞くもので。

 まずは熊の話なんですが、熊、月輪熊、最近は何を見ても月輪熊と漢字で書かないんですね。日本人の識字率が下がったと考えている方がそういう方向にもっていこうとしているのでしょうか。ツキノワグマ、カタカナではなぜツキノワグマと呼ぶのかわかりません。漢字なら一発です。ちなみにKeith Jarrettに羆のことをサンベアだと教えた人がおりまして、アルバムタイトルがサンベア・コンサートとなってしまいました。

 今日あった一人は、鳥海山麓の遊歩道のメンテナンスなどもやっている人で、冬季に入る前に橋の歩み板を取り外したり、シーズンになれば取り付けたりなどしているのですが、彼の住まいは鳥海山三ノ俣口のすぐ下の方、彼の家から山に向かっていくと鈴木小屋を経由して天主森へ行きます。

 立ち話しているうちに熊の話になり、二ノ滝口は駐車場にまで熊が出るという話から、以前彼がひとりで軽いい気持ちで鈴も持たずに二ノ滝口を散歩に行ったら帰るなり、親爺さんにしこたま怒られたという話に。

 地元の人は熊の恐ろしさを十分にわかっているので二ノ滝口、三ノ俣口なんぞ決して一人では入らないのだと。イラストのようにかわいらしくちょこんと座っているだけならいいですが、熊は人肉も食います。以前知っているうちの方の奥さんが最上川沿いの村で行方不明になり、そのあと射殺された熊の胃袋からその人の着ていた衣類が出てきたことがありました。

 熊と出会ったら熊に背中を見せないように後ずさりするのが良い、なんて言われているけれど、「俺はできないよー」って言ってましたね。熊スプレーっていうのも結構いい値段がするんですね。持っていてもとっさの時に使えるかどうか。一番いいのは熊の出るところへは行かないことです。まして一人では。

 

 今日はレコードプレーヤーを置くのに作るための何か安くていい板はないかと見に行ったのですが、ひょいと2×4材6Fを見ると値段がいつのまにか400円近くに。知り合いの店に人に聞くと、2×4材はヨーロッパ産が多いのですが近年コロナの影響でもの作りする人がアメリカで増え、需要がそちらへまわってしまい日本へは入荷しづらくなってきたのだそうです。そのために価格は急騰、これからも値上がりは続くらしいです。週単位で価格が上がるために予約も受けられないのだそうです。コロナの影響はこんなところまで。

 もっとも2×4材は棚を作るには全く向いていません。自重がありすぎるし狂いは多いし、組み立てた後も曲がったり反ったりします。よく2×4材とプラスチックの接続具を使ったラックが紹介されたりしていますけど、実際あれを組み立ててみると超重いです。あれは車庫なんかには置いてもいいでしょうけど室内には不向きです。集成材のほうが加工はしやすいし仕上がりはきれい、狂いは出ない、それに立米単価を出してみると、集成材のほうがお得です。オーディオラックを組み立てようとする方は集成材をお勧めします。よくランバーコア材やら厚手のラワンベニヤを使う方もいますが、ランバー材もベニヤ材も小口へのねじくぎは効きづらいです。また塗装もきれいには仕上がりません。出来上がりから言っても集成材にはかないません。

 

 と、今日も熊の話からずっこけてしまいました。


出る、出た、お化け、幽霊、霊

2021年04月16日 | 兎糞録

 よく山での怪異譚は聞きます。鳥海山にも出るようで、幸いにして出会ったことはありませんが。鉾立山荘の佐藤さんが出会った深夜山荘のガラス戸をすり抜けてくる幽霊の話は以前に書きましたが、

 落語の本の中の一話「王子の狐」を読んでいて思い出しました。

 ある日出張で知り合いの会社社長と一緒。車は社長が運転。いつもの慣れた道を本合海から近道をして行くと葬儀の行列。そこを通り過ぎてしばらく走るとまた葬儀の行列。周りを見ればさっきと同じ場所。二人で???
 気を取り直してまた走り出し、なんとかいつもの道へ。二人互いに顔を見合わせて狐に化かされた?
 
 またこれも同僚と仙台へ出張の時の話。関山のトンネルを走っている時、運転席の同僚が、「トンネルの中、女の人歩っだ。何だあれ?」
 
 大型トラックの運転手のひとから直接聞いた話、
 ある冬の日夜の関山峠を通ると電話ボックスに白い着物を着た女の人が。こんな凍えるような寒さの日に薄そうな着物を着た女の人が、しかも周りに何もないところの山の中の電話ボックスにしかも真夜中、と思い車を止めて電話ボックスに近づくと、?誰もいない?
 目の錯覚かと思い車に戻りまた走り始めると隣に何か気配が!助手席を見ると薄衣を着たオッ女が!!
 続き?その場面の恐ろしさが強烈でそのあとは覚えていません。
 
 仕事の知り合いで霊感の強いMさんは加茂港から通ってくるのですが、まだ両羽橋が新しくなる前、「ああ、仕事帰りにあそこの橋を通ると橋の入り口に何人か立ってるよ、出羽大橋にもたってるよ。」
 その方は海に潜るとたまに足を掴まれることがあるそうです。振り払って海から上がって足首を見ると赤く腫れて掴まれた手の跡がくっきりと。
 
 ある女の人がこの世に恨みを残したまま地獄に。幽霊になってなんとか恨みを晴らそうと思うのですが幽霊になるのも閻魔様のお許しがないとなれないのだそうでして、しかも幽霊は定員いっぱいでとてもなることができない。地獄の鬼にその女の亡者が閻魔様になんとか幽霊にしてくれるように頼んでくれとお願いしたところ、鬼は女の顔を覗き込んで、「うーん。幽霊は無理だから化け物にしてくれとお願いしろ。」
 
 夏の怪談噺にはまだちょっと早かったようですが、実際に怪異に出会った人から聞いた話です。霊感強くなくて良かった。また話が飛びますが、西丸震哉、直接知る人に聞いたところあの人は相当の変わり者だったそうですが、彼の本にもそういった怖い話がいっぱい出てきます。特に釜石の幽霊の話は鳥肌が立ちます。
 
 怪談噺とは違いますが一度だけ何かわからないものの力に助けられたことはあります。
 ある日川に面した崖の上でなんだか長い棒のようなものを持っていた時、バランスを崩し前のめりになって体がほとんど川に水平近くに飛び出し、あ、落ちるんだ、と思った瞬間何かが自分を背後からぐーっと引っ張り上げて地面に戻してくれたのです。腰のあたりをつかまれた感触がはっきりとありました。周りには誰もいません。何十年たってもこの感覚は忘れられません。思えばその時、一生分の運を使い果たしたのでしょう。その後いいことは何もないまま現在に至ります。

記念切手の鳥海山

2021年04月14日 | 鳥海山

 昭和44年2月発行の鳥海国定公園切手です。鳥海国定公園として指定されたのが1963年(昭和38年)7月24日だそうですからこの切手は結構後から発行されたものですね。図柄は面白味のないものですが、子供心に鳥海山と名がつけば身の回りに置いておきたかったようです。

 当初集めたこの切手をはじめとする多くの切手は何冊かのストックブックに入れて取っておいたのですが現在は見当たりません。おそらく家を離れている間に捨てられたのでしょう。この切手は後日来信に貼ってあったものを取っておいたものです。どうやら蒐集癖はこのころからあったようです。

 

 昭和四十年代、クラスの男どもは競って切手を集めていました。ストックブックに一杯収めてお互いに見せっこして自慢しあうのです。国内の切手で飽き足らず、海外の切手まで。シェラレオネなんて国があることも知りました。切手と言えば四角いものと思っていたのに、それは国の形にかたどられた切手でした。それに目打ちもなくこれも切手なのかなと思ったものでした。

こんな形です。

 それにしてもあの切手ブームはいったい何だったのでしょう。現在は過去の記念切手も未使用でもほぼ額面の金額で取引されているようです。見返り美人なんて高くて買えなかったですね。でも日本の記念切手ってみんなきれいです。

 この切手は消印を見ると昭和55年。なんと四十年も前ですね、色も褪せずによく残っていたものです。


桜枝垂れぬ、緑ぬ、散りぬ

2021年04月13日 | 兎糞録

 乱れた日本語で、桜枝垂しだれぬ、緑ぬ、散りぬとタイトルしてみましょう。

 枝垂しだれぬ。

 葉っぱを見ると桜餅が食べたくなります。

 花満開もいいですけれど、葉が出てきたところもまた素敵です。

 桜散りぬ。散る花びらもまたいいです。桜吹雪を見ると、つい

 「この桜吹雪が目に入らぬか。」

   「恐れながらお奉行様、それは遊び人金さんなるものが。」

 「さっきから黙って聞いてりゃいい気になりゃぁがって」、、、と続きます。

 

 この写真の一瞬前が見事な桜吹雪でした。


立ち上げる?

2021年04月12日 | 兎糞録

 朝起きるとパソコンを立ち上げる。

 変な日本語だと思いませんか。赤ん坊が初めて立ち上がったとは言いますが、私は赤ん坊を立ち上げたという親はいませんし、聞いたこともありません。なのに"事業を立ち上げた"などとは平気で言う。まあ事業が勝手に立ち上がることはありませんけど。
 "立つ"は自動詞、他動詞なら"立てる"です。"上げる"は他動詞。自動詞と他動詞が合体することはありません。この場合無理して言うなら"立て上げる",そんな言葉もないでしょうが。
 語調がいいと言うことで使われるようになったのでしょうが。昔の無学文盲といわれた人でも使わなかった言葉を今の人はなんとも思わず使っているのです。
 
 "ガッツリ"と言う言葉も北海道以外で使うといやらしいですねえ。方言としてその地方で使われる分にはいいのですが。それをその地域以外に住む人が得意げに使うのはちょいと聞き苦しい。
 でもそのうちガッツリマンデー、なんて番組が出来るかもしれないですね。
 ガッチリマンデーといえば、たまに知る会社が出たりするのですがその会社の内情を知っていれば、そりゃ嘘だー、となります。あっ、そうかタイトルをよく見ていなかった。その時は「ガッカリマンデー」だったのかもしれません。
 
 
 そういえば、無学文盲で思い出したのですが昔は車夫馬丁なんて言葉もありました。
ずっと以前の仕事先、そこは配達の人も大勢いるのですが彼らは業務を終えて帰ってきても日報やら伝票は休憩室や空いている場所を探して書いていました。それを見かねた当時の専務が社長に食ってかかりました。
 「配達のものたちを車夫馬丁の如く扱うとは何事だ」と。
 結果彼らのために社屋増築、机も完備となりました。
 
 今の世では逆に、あいてる机も場所も無駄だと言って縮少になるんでしょうけど。物理的なことじゃなく、働くもののために下を束ねるものが上のものに対して物申す、と言うことは見かけなくなりました。私も昔これをやりましたが、そしたら社長から「君はこちら側の人間なのだから下のものの代弁をしてもらっては困る。」なんて言われました。
 おっと、車夫馬丁なんて言葉も書くだけで差別だと言われるんでしょうか。
 
 しかしなんですな。とりあえず明日食うには困らないんでこんなお気楽なことも書いていられるんで、明日からどうやって暮らしていこうなんて、これから絶対ないなんて断言できないですよね。えっ、そんな思いしたことないからわからない?それは失礼いたしました。