鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

児童書にみる鳥海山

2019年09月16日 | 鳥海山

鳥海山の空の上から。
一時間もあれば読了できます。
児童書ってのは、子供向けに書いてあるつもりなのでしょう。著者は自分では思っていないのでしょうが、大人を読者として書いていますね。
地方を題材とした子供向けの本は何故か、都会の子供が夏休みに田舎へ行く設定になっていることが多いようです。
自分のような田舎者は、都会に住んだ経験から、地方へいったん帰った後、都会、東京へ戻るとき、赤羽を過ぎ、田端、日暮里と続く沿線を見ると、ああ、またこんなとこへ帰ってきたのか、っていつも思っていましたけどね。
今は時々東京へ活力をもらいに散策に行っていますが。
著者の視点がワンパターンなんですね、こういった話は。
鳥海山は話のタネであって、これは何山であってもいいという話。
矢島へ疎開、じゃなくって事情あっていった小学生が、最後に鳥海案山に登るんだけど、何故か矢島口を登らずに象潟口を鉾立から鳥海湖まで登る。矢島から鳥海山を見て、登りたいと思った子供がなぜ、鉾立から登る。それは著者が鉾立コースしか知らなかったから、ということなのでしょう。鳥海山は矢島の人々が信仰の対象として登っていたと書くのなら、それこそ矢島口から登って当然なのですが。

もう一冊は、
蘇乱鬼と12の戦士。
古本としてたまに市場に出ることがあるようです。
これは鳥海山にまつわる伝説をミックスして構成したもの。
だいぶ前、東京の義兄が見つけて送ってきてくれました。

鳥海山の麓に住む身として、鳥海山と書かれた本はみんな面白いのですが、学術書は除外して、地元の鳥海山が生活になっている人たちの書いた本より面白いものはありません。

コメントを投稿