橋本賢助の鳥海登山案内に以下の一節があります。これがもととなって上の写真の高山植物園が設けられたのでしょうか。
実はこの写真の左から先一帯、特に千畳ヶ原への分岐点あたりは緑豊か、御田ヶ原ともいわれたのはこのあたりだと思いますが、今は荒れはてた岩ゴロゴロになっています。これは多くの人がテントを張り、排水の溝を掘ったためだそうです。吹浦口八丁坂も木道は敷かれましたがあの荒廃は回復することがないでしょう。
第二章 鳥海山高山園
高山植物を中地に移植して栽培する高山園は、西洋では既に十六世紀にシャーレ、ドウ、レクルース氏が、オーストリャ、アルプスに採集を行ひ、イキンなる氏の庭園に植ゑたのを濫觴として、現今では頗る園藝上に於て重要視され、英國の如きは大仕掛なる高山園を造ってゐる有樣である、我が國では近時漸く其の聲を聞く様になつたが、誠に喜ぶべき現象で一般人にも追々高山趣味を解せられた結果と思はれる。
然し乍ら平地に造る高山園では、どうしても完全に高地と周園の事情を等しくする事が出來ない結果或は折角の珍品を枯らし或は形態及び生理狀態に變化を來すのを常とする、それ故眞の高山園は平地に設くべきものでなく、やはりフランスのロータレの如く、周圍の事情の等しい高山に設置すべきものと思ふ。
今ロータレに於ける高山園を聞くに、海扱七千尺丁度鳥海山位の高所で、十八年前に 設計したとの事であるが、當時五百種の高山植物は現今では二千有余種の多さに達し登山者泊めるべき宿屋さへ設けられ、其區域内には平坦の土地あり、丘陵あり、谷も川もあつて其の一部には蔬茶の栽培も行はれて宿屋の需要に應するのだそうだ、然も此處には植物學考がたづさはり、園丁も常にゐて種子は版賣してゐるとの事である、我が 國にも斯樣な高山園の設けられる事は望ましい極みであるが、目下の狀態では中々容易には出來そうもない、せめては鳥海山一山に限る簡単なるものでもよいからと云ふので設計したのが之である。度々云ふ如く蕨岡口の河原宿は海抜凡そ五千尺當山七合目位のテーブランドで、山中随一の美麗なるお花畠の所在地である、然も川あり丘陵あり濕地あり高原あり、宿屋はないが之に代るべき笹小屋があつて夏季中は此處に茶屋をはって番人が居るのみならず植物の豊富な所であるから僅かの移植に依つて優に當山に於ける百二十有余種の高山植物を集める事が出來る、之に一々名稱を附けるのであるから、採集者にはどれだけ便利だかわからない、一般登山者にも慰安となり參考となり、或は高山趣味の鼓吹の具ともなるだらうし、殊に之に依つて絶滅に近い高山植物の保護ともなるのである。
こうした紹介が逆に鳥海山の自然の破壊に力を貸したのかもしれません。
河原宿に高山植物園があったんですね。
全く知りませんでした。
前は鳥海山にテント等張ることが出来たことも、知りませんでした。
河原宿から千畳ヶ原へ続く道は、わたしのお気に入りの道です。
ずっとあの美しい風景を残して行くためには
入山する人間が気を付けなければならないと
イヌワシの記事を拝読しつつ、この記事からも思います。
美しい鳥海山が大好きです( ^^)