鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

昭和36年の鳥海山案内

2022年07月27日 | 鳥海山

 表紙面に「国定公園候補地鳥海山案内地図」と書いてあります。鳥海国定公園は1963年(昭和38年)7月24日指定。この冊子はあとがきによると昭和36年9月とあります。ということは、今から60年以上前の鳥海山案内ということになります。以前紹介した昭和38年の鳥海山案内地図はあとがきに昭和36年9月初版、昭和38年6月修正版と書いてありますのでタイトルは異なりますが同じ冊子です。国定公園指定日前に国定公園の文字を入れています。

 変更箇所は、鳥海山概念図に国定公園区域が記されたことと、山小屋案内で酒田市山小屋(万助小舎:昭和36年10月竣工)が追加されたことと山小屋の利用料金がこの二年ですべて値上げされていることです。

  昭和36年版、横堂でもこの時点で食事付き宿泊できるようになっています。経営、管理者にも注目してください。

 昭和38年の鳥海山の山小屋一覧です。ソブ谷地小屋、大平小屋は既にありません。この当時の300円は現在では3,000円くらいでしょうか。以前山本坊さんに伺った時、昭和三十年代の山役料(通行料と思ってください)は300円くらいだったかというお話でした。なお大物忌神社(吹浦)には山役料の資料はないそうです。

 この頃は管理人なんて小洒落た言い方はしません。番人です。我々も昔から小屋番と言ってきました。(番人、小屋番、炊きなどというとすぐに差別用語だという人は嫌ですね。)
 そういえば御浜の小屋番をしていたKさんの事を蕨岡の古老は「強力のKさん」と言っていました。鳥海山の最後の強力だったかもしれません。

 この頃横堂でも宿泊でき食事も提供していたということと小屋の管理者については日本民俗学に筒井裕という方が「昭和中期における鳥海山中への物資運搬」という研究ノートを載せていますのでそれと関係してきます。この点については次回少々書いてみましょう。


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