鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

鳥海山の山小屋料金

2022年07月28日 | 鳥海山

 以前読んだ、万助小舎二五周年記念祭の講演で池田昭二さんが話している内容がおもしろいです。

 「山と高原地図 鳥海山」は当時池田昭二さんの執筆ですがそのころ一万数千部だしていたそうです。一番売れていたのはどこでしょう。そう、東京です。ついで神奈川、埼玉大阪、仙台。その頃池田昭二さんが勤めていた松山の書店では年に一冊しか売れなかったそうです。現在はどうなんでしょう。今の「山と高原地図 鳥海山」はデータとしては最新でしょうけれど資料として読むには池昭さんの地図の方がずっと面白いです。

 その講演の中で鳥海山の日本一自慢が続きますが、そんな話は大して面白いものではありません。日本一として紹介している中で面白いのは鳥海山の宿泊料金の話。以下同書より、

 「他に鳥海山において日本一 はないかと言うことなのですが、あるのですね。鳥海山の山小屋の宿泊料金が日本一高い。食事 や待遇と比較して非常に髙いですね。一泊二食で五〇〇〇円を越えますね。このことは、実は、神社の会議でも度々話題になる。神社は勿論沢山の登山者の苦情を受けているのだけれども、これ以上安くは出来ないらしいのです。と言うのは、二〇年に一度改築する神社の建物の負担を登山者にお頋いしていかなければならないため、宿泊料金をこれ以上安く出米ないというようなことを言っておりました。それならば とにかく髙いなりにもうすこし待遇を良くするとかすればよいのですが、サバの 水煮と佃煮とか、ナスの昧增汁とか、北アルプス等のメニューと比べると大きくずれているのですね。
 山小屋の料金の髙さは日本一、待遇の悪さ日本一、これも日 本一には違いないと思います。」

 これは1861年時点での話。長いこと頂上小屋には行っていませんし、今後行くこともないと思いますが、今も事情は変わりないでしょう。大物忌神社の山小屋には山小屋の必要条件である水が天水(雨水)以外確保できない、沢水、湧水が無いという事情がありますので食事もつくる、片付けすることを考えればやむを得ない所もあるにはあるのですけれど。山頂、御浜どちらもですね。
 河原宿だけは水に恵まれていましたけれどもともと大物忌神社の小屋ではなかったことと利用者が少なくて採算が取れなかったのでしょう。東日本大震災を口実として閉鎖されてしまいました。遊佐町でやらないかと持ちかけたそうですが町から断られたという話も聞いています。


 横堂の小屋も今小屋跡を訪れてみると、どうしてこんなところで生活できたんだろうと思うかもしれませんが、小屋のある時は「横堂の小屋の水場は小屋の前から右に向かい下れば赤滝だが途中で別れてしばらく登ると大木がありそこから湧き出ている水を汲んでいたものだ。そこは赤瀧の湧き出る最初のところ。後にそこまで行くのが難儀だということで鳳来山のやや下からチョロチョロ湧き出る水を使うようになった。」という話を横堂にいた方から聞いていますので水は何とか確保できていたようです。でも今行っても水を突き止めることは困難です。赤滝の源頭へは踏み跡もありませんので。どなたか挑戦しませんか。

 昭和29年横堂の前の小屋で憩う。奥に見えるのが横堂。


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