鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

谷文晁の見た鳥海山

2022年09月18日 | 鳥海山

 谷文晁(1763年~1841年)の日本名山圖繪は文化元年(1804年)に「名山圖繪」としてまとめたものを文化九年(1812年)「日本名山圖繪」として改題して天地人三冊で刊行されたものだそうです。(Wikipediaを丸写ししてしまうと「文化9年(1812年)に著した」と半分しか正解になりませんのでWikiを鵜呑みにして引用するのは要注意です。)

 谷文晁は享和二年(1802年)までにはこれらの山の姿を描いていたそうですからここに描かれた鳥海山はおそらく享和元年(1801年)の噴火以前の姿ではないでしょうか。庄内から見た鳥海山ですがどこから見て描いたのかはわかりません。山の姿は誇張して描いてはありますが山頂に飛び出す新山が描かれていないのでやはり噴火前なのではないでしょうか。享和の噴火前の鳥海山には興味があります。

 絵には鳥海山在出羽州由利郡とありますがこの当時由利郡は現在の飽海郡も含んでいた、田川・飽海の2郡はその設置年代が不明ということですのでやはりこの絵は現在の飽海郡の何処からか描いたものでしょう。現代の行政の地域割りはいったん頭の中を白紙にして考えないといけません。この時代の歴史は専門ではないのでさっと資料に目を通しただけです。

 三冊の和本は高いですがこの復刻版は結構安く手に入ります。三宅修 著の現代日本名山圖會というものもあり、こちらは文晁の描いた山を写生場所を推定、同じ地点からカメラとペンで文晁の山を再現したものとありますので今度はそちらを見てみましょう。面白そうなので注文しました。こちらも結構安く手に入ります。届いたらまた紹介いたします。

 


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