鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

現代日本名山圖繪

2022年09月21日 | 鳥海山

 谷文晁の描いた江戸期の山八十八座を写生場所を推定してカメラとペンで再現、という触れ込み。古書で読んだ形跡もないものが著者署名入りで送料込み二千円でお釣りが来ました。

 

 早速鳥海山の項を開いたけれど、残念ながら文晁の描いた場所は特定していません。「私は、文晁のアングルとは違うけれど、どうしても象潟からの一枚に拘っていた。ことに象潟の港から鳥海山こそ、と思うのである。」と象潟港からの一枚を載せています。象潟から見る鳥海山も綺麗ですよね。

 前回の谷文晁の鳥海山、

 前景の山を除くと下の絵葉書の景色に近くなります。

 この河合新藏「山王森午影」も谷文晁の絵の影響を受けた構図ではなかったでしょうか。「現代日本名山圖繪」の三宅修氏も「彼が鳥海山を描いたのは、左手に日本海の広がる酒田付近ではないか、と思われる。」とは記しています。

 酒田港一帯の様子は江戸期、明治・大正・昭和と埋め立てで相当に変貌しています。河合新藏の描いた山王森は今もありますが前掲の様子は全く変化していて場所も見当がつきません。まして江戸期の文晁の描いた場所は、となると特定するのはなかなか大変だと思われます。文晁の描いた鳥海山の右手の前掲のもこもこした山はどこだろう?と思ってしまいます。ある日何気なく通った場所が、あっ、ここから見たのか、なんてことはあるかもしれませんね。


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