鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

鳥海山の強力

2022年11月01日 | 鳥海山

 写真の佐藤要さんんが以前出していた「山歩きの雑記帳」という小冊子があります。残念ながら現在は新たに発行されることはありませんが今も何冊かはインターネットで入手できます。その№17に鳥海山の強力の特集があります。この号は既に市中にありませんし編集・発行人の佐藤要さんの手元にもないそうです。そこで佐藤要さんの承諾を頂き来ましたのでその中の一部のみ掲載させていただきます。


写真は「山歩きの雑記帳№17」より、編集・発行人の佐藤要さん掲載許諾済です。

この特集の冒頭は次のように始まります。


 登山道を、数人のふんどし姿をした屈強な若者が、三mを超える 木材を身体に括り付けて登ってい る。霞がかった背景 は長坂の尾根 のようだ。おそらく御浜を越えて 扇子森に向かう辺りだろう。
 去年十月、烏海山の麓の遊佐町 が主催した講座「ゆざ学」ー文化遺産としての鳥海山ーの中 スクリーンに映し出されれた、強力が大物忌神社本殿の建て替えに使う木材を運ぶ姿に大きな衝撃を 受けた。一九五七年に撮影された写真だ。
 鳥海山山頂の大物忌神社本殿は、 伊勢神宮と同じく二〇年に一度建て替える式年造営を行っていることは知っていたが、山頂本殿への木材運搬がどのよぅに行われたか、までは想像が及ばなかった。ヘリ コプターによる資材運搬が始まっ たのは一九七〇年代半ばになってからだから、人力による木材の運搬は当然の事とはいえ、二〇〇〇mの標高を跨いでこのよぅな活動 をしていた人達が存在したことに驚きを覚えた。 


  この後に続く文章は貴重な記録です。種々の調査研究よりずっと貴重な記録ですので全文掲載したいところです。

 「日本民俗学」240号に筒井裕氏の鳥海山強力についての二段組十七頁ほどの簡単な研究ノートが掲載されています。これによれば、昭和十六年においては夏期神職が常駐していた社は山頂本殿、鳥海御浜神社、箸王子神社の三社だったことがわかります。箸王子神社はその当時は横堂に祀られていました、今は小さな祠と石段しか残っていないところですが当時は登拝の重要な拠点だったことがわかります。すなわち強力はこの三社へ食料、生活用品、祭祀の品々を運んでいたわけです。又箸王子神社から下った大澤神社についても研究資料はたまについでで触れていますが実際に足を踏み入れるわけでもなし、残された文献と絵図で推測して不正確な情報を記載しているにすぎません。国土地理院の地図も陸地測量部の時代は大沢神社の位置が正しく記載されていましたが現在は間違って記載されています。これは国土地理院に申し入れしておきました。

 箸王子神社に神職が常駐していたのは知っていましたが、強力の荷役範囲に当然ですがここも含まれていたのですね。箸王子神社を経由する登拝道は昭和三十年頃まではまだまだ多くの人の利用するところだったのです。大澤神社もその頃は綱講といって綱を収める神社として参拝の目的地の一つになっていましたが今となっては参拝した記憶を持つ人もなくなってしまった様です。今まで誰も記録をとっていなかったと思われるのは残念なことです。

 河原宿は小屋はありましたけれど蕨岡の共栄社で運営する休憩所で参籠所ではなく、神社の契約した強力が物資を運搬した小屋には入っていないようです。箸王子(横堂)と河原宿の中間、西物見から籠山を過ぎ、白糸の瀧の近くにも明治頃は休憩所があったことが文献には出ています。現在の滝の小屋とは違うところです。それは山本坊の鳥海さんも覚えていましたので昭和の中頃まではあったということです。ただ場所は今行ってもわからないだろうな、ということでした。箸王子の手前には駒止という休憩所もありましたし、もちろん休憩所では酒、菓子、食料、杖、おそらく草鞋も売っていたのですからそれらを運んでいた強力もいたでしょう。どなたか研究する人がいれば幸いです。私はもう無理です、先が長くないので。

 ところで筒井裕氏はその(注)において何の調査もしていないのか「虫穴磐」と書いていますね、また、千蛇谷、箸王子神社の記述を見ると実際には千蛇谷にも箸王子神社跡にも行っていないのではないかと思われます。又、鳥海山についての研究は吹浦口の宮に頼らざるを得ないのでしょうけれど本当は蕨岡にも足しげく通い聞き取り調査を強いなければいけなかったのです。他の学者先生も皆同じ。でも今となっては既に時を失しているでしょう。

 

 今はヘリでの荷揚げになってしまいましたが前の御浜小屋の小屋番加藤さんは強力でした。蕨岡で話をしていた時も、「ああ、あの強力の人」と強力として認識されていたのです。その加藤さんについても佐藤要さんが「山歩きの雑記帳 Vol.7」で「山小屋に生きる」として特集しています。これも掲載したいところですがこちらは掲載許可申請していませんので見送ります。

 山は高山植物、景色だけでなくその地理、生成、歴史、これが一番大事なのですが、その山へ抱く麓住民の思い、登ったことのない人まで抱く思い、そこを考慮してこその山なのではないでしょうか。

 


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