政界再編がテーマのニュース解説の番組で、ゲストの議員さんが、
「誰がトップになり、誰が支えるのかとなった時、
誰がトップになっても支える人がいないのです。」
と話していた。
「どうして、このような、ひととのつながりの薄い自民党になったの
でしょう。」
と、司会者。
そういえば、昨日も別な番組で、こんな話をしていた。
今の大学生は、ひとりで昼食が食べられない。
どうしてもひとりで食べなければならない時、トイレで食べている。
きっかけは、大学のトイレに注意を喚起する張り紙があったことから、
わかったことなのだが、周囲の目を気にしすぎて、ひとりで昼食を
食べていると、「あいつ、友達がいないと思われるのがいや。」
なのだそうだ。
何かが違わないか?
いっしょにいるから、友達なのだろうか?
これは、カウンセリングでも出て来る話なのだが、
そもそも、友達とはなんなのか。
今の総理の盟友と言われたひとは、お酒で失態を見せて、
マスコミの格好のネタとなった。
孤独がいやだから、誰でもいい、結婚したかった。
と、結婚した友人もみてきた師匠。
師匠「私はもともと、障害から、自分はひととは違うのだ、と感じて
いたから、ひとりでもひとりでなくても、あまり意識しなかったな。
必要なとき、必要な人たちがいれば、それでよかったよ。
(芝居をするメンバー。合唱するメンバー。バンドメンバー。)
あまり、関わらなかったから、逆に寮生活の時は、2人部屋
なのに足の踏み場がないくらい、ひとが集まっていた。(笑)
まるで、君のアパート生活の時みたいにね。」
そうだ。私も20代のアパート暮らしのとき、部屋に入りきれなくて、
ベランダにまで(!)ひとがいたりしていた。
みんな、誰かの友達つながりで、知り合い、今でも、時々会う人
たちいるが、それが友達かというと、そこは違う。
だが、何かあると、誰かが音頭をとって、連絡を取り合うのだ。
師匠が言うように、必要なとき、つながりあう。
これは、目に見えて会う頻度が多い、とかではない。
何かの時、助け合うつながりといったところだ。
白洲次郎氏の話ではないが、カントリージェントルマンの
思考にも通じるものがあるように思える。
テレビに出ていた大学生や、この大学生の親世代よりも
少し上の年代の政治家たち。
つながりとは、目に見えているものなのか、それとも、
目に見えないものなのか。
そして、それ以上に、ひととのつながりについて、一考してみるのも
いいかもしれない。
さて、二元化もしくは、二極化でわかりやすいのは、
開放的なのか、閉鎖的なのかということだ。
カウンセリングや、魂読みのリーディング、そして、直会においても、
それによって、結果ーこれから行く道は、大きく変わっていく。
直会やちょっとした日常会話でも、
ネガティブマインドが前面に出ていると会話が成立しない。
さらに言えば、当然のことながら、
本人はそれが当たり前なのだから、
気づこうという意志が、そこには存在しないのだ。
ほんの少しでも光が差し込むのであれば、方法を教えられる。
だから、魂さんも、気がつかなければならないことがあるなら、
そこから少しでも、出てきてもらいたい。
以前にも、悩み相談を受けていたら、
お客さんの守護者が出てきて、何とかして欲しいと言われて、
そのことを伝えたが、本人が結局、
我関せずに立ち戻ったために、守護者の願いは叶わなかった。
今、格段目覚めているのは、当たり前だが、
開放している魂の持ち主たち。
そして、いつまでも、物事の本質に触れようとせず、
閉じたままの魂の主は変わらないのだ。
できれば、少しずつでも気がついて、ネガティブボディを
解消しようと、自らを解放することだ。
この地球を汚染しているのは、
これらのネガティブボディから発せられる、
ネガティブなエネルギーでもあるのだ。
これを消し去るのは、開放された光のみ。
多くが気づき、目覚めれば、地球もまた、浄化される。
住むわれわれも、また浄化されるのだ。