師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

まんまる

2010年07月30日 | 天意の実践

自分を見出すと、そこはことばのない世界。

自分でいる。在るだけの世界がひろがる。

すべては、自分であり、自分がすべて。

そこには喜びの波動が満ち溢れている。

やわらかで、ゆったりとしたバイブレーションの世界。

自分という塊から場へーそして、場から、自分という宇宙への変転。

せまい閉ざされていた個体から液体へそして、開かれた気体へと

変化をする。

そのとき、自分という意識は、全体との関わりであることに

きがつく。 

つながりあう喜び、つながりあう手と手。

その手は、よく伸びてすみずみまで行きわたり、誰もが、誰かのためにと

腕を手を、指を広げている。

個体や場であった時に、ちぢこまって、握りしめられていた手が

今は広げて、どこまでも広げてあたたかく包み込む。

握っていては、なにも手には はいらない。

自分の望みばかりを握りしめていた。

かつて、望みは叶わなかった。

けれども、今、すべてとつながることで、『私の望み』は消える。

『私』は消える。

限定された世界から抜け出し、わたしと同じ世界の誰かが

望みを叶え、笑いあう。その、喜びの光は世界を照らす。

つながりあう円環は世界そのもの。

すべてが在る世界。

満ち足りているのだから、満ち足りていないものは何もない。

誰かとことばという不完全なもので、伝えあわなくても、

つながることで、すべては伝わる。

これは体感のみが在る世界。

自分の本当の姿を見出すことができるのだ。

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