師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

それを選択すれば、あたえられる

2015年03月19日 | 神さま通信



「罰はあたるものなのですよね、と言われてぎくりとしたわ。」
古神道の先生はある日、ご自身が神事(かみごと)をされていることをご存知ない方から
真顔で言われたそうだ。
『罰』という概念がどういうものなのかはともかくとして、
それは結果としては、 
ある(存在する) 
と何度も教えられてきた。
だが、それもまた本人が選んだ結果なのだ。
時に人は自分自身を責め、罰をあたえることで自分自身を守ろうとする。
けれども、その結果は周囲をもまたまきこむ。
巻き込むためにそれを選ぶ。
汚染することで満足しようとする。満足を得ようとする。
だから、孤立する。
別な立場からみれば、各自もまた自分を守ろうとするからだ。
選択すれば、それはそうなる。
光選ぶものには、光が、希望が
やみ選ぶ者には、やみが、絶望が
あたえられる。
自分で蒔いた種から派生したものは、自分に還ってくる。
ただ、それだけのこと。
それを希望とし、宝とするか、罰とするかは、
自分で決めている。

     
     
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に  
感謝 天卜占と臣


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