師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

無邪気は天意

2016年03月16日 | 神さま通信

斜に構えている ということばがある
世間を曲解して観ているさま
本人はそのつもりはなくとも、歪みを感じる
それは、波動レベルが歪んでいる存在なのだ
本質で生きていくと、そのような存在の異質さも、感じてくる
本質は、在るがまま
自分本位 
本質は、天意
高質で暖かい
たとえ今はどんなに未熟で低く粗い波動であっても、祖(もと)から流れ出でるは、
天意
天意のままにあるは、無邪気そのもの
 
     

      
『可愛いげがある人は最強。』
の一文を見た。
それで腑に落ちた。
あぁ、だから、違和感を覚えたり、安心感だけがあったりするのか、と納得をした。
魂読みをしていて、するする物事が進む人と、
なかなか、すすまないひと。
熟成の時間が必要な人もいれば、本質において違うのだな、
と感じる人。さまざまだ。
誰もが自分の時間を活きている。
早い遅いは関係ない。ただ、自分時間の在るがまま。
そのベースに在るのは、本質の波動と、それを守るフィルターレベルの差なのだ。
可愛いげのあるひとは無邪気そのものだから、人から好かれ、善きものが集まる。
誰からも助けられ、愛される存在。存在そのものが天意。出力も入力も自由自在。
うまくいっているひとほど、天真爛漫で邪気がない。
邪気とは、クローズ。自分を閉じている。
閉じれば、閉じるほど、波動は低くあり冷たい。
無邪気はオープン。自分を開いている。
開けば開くほど、波動は高くあり暖かい。
閉じていれば、必要な情報が来ても気づかず、やりすごし、
つい、作為してしまう。
開いていれば、必要な情報は、雪崩となって押し寄せ、
必要なものを必要なだけ受け取り、
あとは、分け与えていき、在るがままに生きていく。
これこそまさに因果応報。すべてが必然というわけだ。
どうあるべきかではなく、在るの只中に置く。
ジャッジは必要ないのだ。
ひたすらに自己の本質を感じている人ほど、生きやすい。
ただ、それだけ。

ありがとうございました。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝  天ト占と臣

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする