師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

ひとつのものを見つめる2人の人物がいる風景

2012年11月02日 | 天意の実践

ある事象が存在した時、それをどう見るか。

それは、ひとそれぞれだ。

だから、比べられないし、それに対して、感情を寄せることもない。

事象はあくまで事象にすぎない。

それに対して、過剰に反応すると自分を貶閉める。

よくもあり、わるくもありだ。

事象をそのままにするもよし、それに抗うもまた、よし。

すべては、自分が決めている。

義憤に駆られるもの。

他人事とするもの。

驚嘆するもの。

あきれるもの。

無関心に受け流すもの。

そういうものだと知っていれば、何事にも過剰に反応することもない。

そうやって、自分を守るのだ。

悩み多き人は、何事にも過剰に反応が過ぎる。

そして、自分の過剰反応が世界のすべてと思っている。

それは、あなたの勘違いだ。

あなたの世界はあなたを内包しているが、それは、他の世界とも

つながっている。

だから、世界は常に流動的で在ることができる。

自分の勘違いだと気づけば、悩みは減り、肩の荷もおりる。

降ろすことができる。

他者がいて、気づく。

その存在の意味は他にもあることを知る。

だから、ひとりではない。

あなたと、あなた以外とのハーモニーが

この世界のメロディを奏でている。

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