師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

たましいはたのしい

2011年12月28日 | 天意の実践

存在する個々の魂は、それぞれに『楽しい』を創造する

個々の楽しいは共鳴し、つながりを体感する

『苦しい』が『楽しい』であれば、つながりは閉ざされる

おのが『苦しい』は別の他者の『楽しい』にあらず

逆もまた、同じ

他者の『苦しい』が、おのが『楽しい』であれば、

なおのこと、円環は途切れる

『楽しい』につながるは『楽しい』のみ

その体感なくば、おのが『楽しい』もわからず

魂が欲するは、『楽しい』にあり

ウツワを守るも、また、同じ

 

守られている自分を感じると、ある種の制限を受けます。

それは、自分に災いが降りかかることを予見できるからです。

なにもかもが自由なのでは、と、思うのであれば、

そのココロには、傲慢さがあるのです。

予見は、この世界のネットワークにつながっているからこそ、

可能となります。

うたがわないココロ

信じる気持ち

その無邪気さが、洗い清められた在り様、そのものなのです。

神の一部を体験するために、神の一部分である魂を宿して、

わたしたちは存在する。

自分という存在は、魂のためのウツワ

カラダもまた、同じ

神さまとともに、『楽しい』を体感する

魂の『楽しい』は、体感してこそ。

そして、『楽しい』は、あなたという存在そのもの

どのような状態であっても、『楽しい』を忘れない

『楽しい』は、自分そのものだから、

自分で在り続けることこそ、人生そのものであり、

運命を受け入れたこととなる

コメント (2)
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