師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

ハタレーマのもの

2010年07月21日 | 天意の実践

『ホツマ』の時代。

神との関係を断ち、ひとたちとのこみゅにてぃから離れて、

どこのものであるかも忘れた流浪のものたち。

罪・科を受け、サスラの刑罰となったため、流浪となったものたち。

これらは『ハタレ』と呼ばれていた。

神から離れたものたち。故に『ハタレ』

この『ハタレ』が群れとなって、クニに反旗を翻したという記述がある。

今の時代でもそうだ。

実際は、どこのこみゅにてぃにも属さず、家族という名の基に

隠れて、現実社会からは隔絶して、サスラにあるものたち。

1人暮らしであろうと、家族といようと、魂は孤独であることを

選び、どこかに属することを忌み嫌い、不安を吐き続けている。

今の時代では神という概念は薄れたが、

むしろちゃんとした、保護されていたつながりを拒み、

拒んだ者同士でつながっていようと群れ始め、

これらが、世界へと不安をハナち、たれ流している。

気がつかないか。

それはあなたも同じだ。

不安とは、つながっていないという恐怖。怯えだ。

実際はつながっているのだから、何も問題はないのだ。

問題のないところに問題があるように、みせかけている

族(やから)もまた、『ハタレ』だ。

今だ、この『ハタレ』が大きな組織を作り、機能することを擁護して、

さらに、『ハタレ』は増大している。

実態あるもの。実体のない想念。これらがおおきなうねりとなって、

あちらこちらで、蔓延している。

どこかで、この繋がりを断たなければならない。

まずは、あなたが、この『ハタレ』との繋がりを断ちきるのだ。

『不安』をばらまき続けているさまざまにものとは、

縁を切ることを宣言するのだ。

一見、到底、『ハタレ』にはみえないような存在でも、根の部分に

『不安』をかくしていては、元も子もない。

世界が輝くよう、選択され、機能するよう選ぶ。

この選択は、ひとりひとりが宣言していくことで、『ハタレ』との

決別ができる。

不安というこころにできた、すきマを除去して、光でそこを

こーてぃんぐしよう。

あなたは目に見うるもの、見えないもの、

すべてのネットワークの中にあって、光輝く。

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